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明智黒輝
2019年2月21日 11:09
暫く後、翔太とはるかの姿は文京区の小石川後楽園にあった。二人は楽しげに手を取り合って、仲睦まじく歩いた。秋の陽が木々の間から縫うように差して、はるかは眩しげに目を細めた。 こんな日がいつか日常になるときが来るのだろうか、と翔太は思った。遠い遠い未来、二人は住まいを同じくして、一つのテーブルで美味しい朝食を取ることができるのだろうか、と。 池の回りを進みながら二人は周囲に気を配っていた。茂夫の存
2018年6月24日 11:39
それから数日の間、はるかと翔太は直接は会う暇もなく、LINEで連絡を取り合った。翔太ははるかが茂夫の話した真希のことについて気にしているのではと心配していたが、はるかは一言もそれについては触れなかった。翔太ははるかがどう思っているのか知りたかったが、彼もなかなか言い出すことが出来なかった。そのまま、また週末になり、土曜日の朝、翔太に彼女からLINEが来た。「翔太、おはよう」「おはよう」「今夜
2018年2月15日 16:35
翔太は茂夫の次の台詞を唾を飲んで待った。茂夫は中々声を発しなかった。暫し沈黙が続いていた。そして思いもしない言葉が茂夫の口から出た。「お前、女おるやろ?」翔太はその言葉に杭で胸を打たれた様な衝撃を覚えた。彼が呆然としていると、茂夫は続けた。「知っとるんやで。ちゃんと女がおるのにひとの女に手を出して…はるかを守るやと?可哀想みたいに言うといて、はるかを一番裏切ってるのはお前や」翔太は口を開い
2017年12月2日 21:19
二人は屋上庭園に出た。月曜の午後もやや時間が経過して、庭園には多くの人がひしめいていた。風が少し強くなって等間隔に設置されたテーブルに据え付けてあるパラソルがぱたぱたと、はためいていた。空は今頃になって晴れ間が覗き、陽射しの当たる場所は、やや暖かくなり、そこには冷たい風から逃れるように人々が集まっていた。広場の中央に水を張ったテーブルのようなものがあって、二人はその水面を覗き込んだ。そこに映った翔
2017年9月9日 14:40
翔太は身体の奥底から言い知れぬ恐怖心が湧き上がって来るのを感じていた。とんでもない相手を敵に回してしまったような気がして、そんなことを考えている自分自身をまた情けなく思った。左手が小刻みに震えているのがよく分かった。相手は所謂堅気ではなく、何をしてくるか分からないのは明白だった。 今までの自分の人生で、いざこざが無かった訳では無い。学生時代は殴り合いの喧嘩もしたし、気が弱い方でも無い。 しか
2017年8月26日 15:43
部屋のテレビが朝の報道番組になり、リポーターの甲高い声で翔太はぼんやりと目覚めた。薄目を開けて、枕元の時計を見るともう8時を回っていた。はっきりしない意識で彼は部屋を見回した。照明は薄暗く壁際の調度品や絵などに影を落としていて、ベッドのシーツが無造作に乱れ、下着が散乱しているのが目に付いた。 横を見るとはるかが小さな吐息を立てて、うつ伏せに寝入っている。整った横顔は天使のように美しく、肩が静か
2017年8月11日 17:14
翔太とはるかはサンシャイン通りの道の中央を楽しげに話しつつ歩いていた。空はいつの間にか、抜けるような晴天になっていた。池袋の街は、若者が多く、活気に溢れていて、二人はそんな雰囲気に影響されるように浮き立つ気分だった。「翔太君」 はるかは、にこやかな表情を浮かべ、明るい声で言った。「何?」「覚えてる?初めて二人で都幾川に行ったとき」「あー、うん、覚えてるよ。はるかちゃんがビーサンを川に流
2017年7月29日 13:49
池袋は、翔太が学生時代、よく遊びに訪れた街だった。その頃とはだいぶ趣が変わっているが、今も時々翔太はこの街に足を運んでいた。彼はこの街がとても好きだった。ごみごみとしていて、通りや雰囲気も決して上品な街ではなく、むしろ雑多で忙しない感じである。しかし、それ故の、底から湧き上がるエネルギーや、泥臭い活気が溢れるこの街が、翔太には魅力的に見えた。埼玉県民の街、などと揶揄されることもあるが、この場所は
2017年7月15日 12:28
帰りの電車の中で、翔太はひとり黙々と考え込んでいた。日の暮れた車窓をビル群の光が彩っていた。終電間近の車内はおびただしい数の倦怠が支配していて、どの人も、みな一様に疲れ切った顔をしていた。翔太はそういった光景を見渡して、なんとなく、やりきれない気分になった。ひとつ溜息をつく。 乗客の会話が色々聞こえてきて、彼は目を瞑った。さっき、再会したばかりのはるかの顔が瞼の裏に浮かんだ。幼いころから、は
2017年7月1日 14:18
翔太は努めて冷静に話しかけた。「はるかちゃん、どうしたの?オレ、なんか変なこと言った?」はるかは親指の付け根で涙を拭いながら、「ううん、翔太君のせいじゃないわ」と若干震えた声で言った。「ただ、なんか思い出しちゃってね。翔太君とこうして会って、昔みたいに向かい合って話してると」翔太は彼女の目を真っ直ぐ見つめて、「そうなのか」とつぶやくように言った。はるかは続けた。「私、翔太君と過ご
2017年6月17日 15:08
「どうしたの?」はるかは怪訝そうな顔で訊ねた。「えっ?」翔太は初めて我に返った。小学生時代の甘い想い出が胸に甦っていた。「いや、思い出したよ。はるかちゃんだったんだね。すっかり変わっちゃったから、全然わからなかった」「そっか、私もちょっと言い方が言い方だったわね。ごめんなさいね」彼女は、意外にもしおらしく謝った。翔太は、想い出の中のはるかに会った気がした。「でも、元気そうで良かった。
2017年5月28日 15:27
その出来事があってから、はるかと翔太は頻繁に会うようになった。自然が豊かな田舎町で、一緒に山の奥の秘密の場所に行ったり、魚の沢山いる川辺で、はしゃいだりした。二人は次第に心を通わせていった。翔太の家はどちらかと言えば、あまり裕福な方ではなかったが、はるかの両親は貿易商をしているらしく、家に行くと、高価そうな輸入物の骨董品や、絵画や、古銭などが、ずらずらと陳列してあった。ある日、翔太がはるか
2017年5月17日 14:41
翔太は少なからず面食らった。目の前にいるこの女は、自分の幼馴染なのだろうか。しかし、全く女の顔に見覚えは無かった。彼は心を落ち着かせるように、ゆっくりと語りかけた。「あの…」「はい?」女は何処か不敵な笑いを浮かべて、すぐに言葉を返した。翔太は、少し苛立ちを覚えながら続けた。「あなたは私の地元をご存じですか?」「埼玉県H市でしょ?」女の言うことは当たっている。翔太は、胸がざわめいた。「
2017年5月10日 15:40
水曜日の空は、鬱々とした曇天だった。時折、パラパラと雨粒が落ちてきて、翔太は不快な気分になった。なぜだろう…最近は気持ちが沈んで、ややもすればイライラと人に当たってしまう。そんな自分が嫌になることもあり、彼はここのところ、彼女にも会っていなかった。雨が強くなってきて、翔太は近くにあるビルに逃げ込んだ。エントランスホールには、沢山の人がいて、みな一様に無表情に見えた。全体的に灰色のトーンの建