見出し画像

天上の回廊 第八話

 翔太とはるかはサンシャイン通りの道の中央を楽しげに話しつつ歩いていた。空はいつの間にか、抜けるような晴天になっていた。池袋の街は、若者が多く、活気に溢れていて、二人はそんな雰囲気に影響されるように浮き立つ気分だった。
「翔太君」
 はるかは、にこやかな表情を浮かべ、明るい声で言った。
「何?」
「覚えてる?初めて二人で都幾川に行ったとき」
「あー、うん、覚えてるよ。はるかちゃんがビーサンを川に流されてね」
翔太は可笑しそうに腹を抑えて言った。はるかも笑いながら、
「そうそう、川の中まで入って行ったら、流されそうになってね」
「うん、『翔太君、助けてーっ!』って言ったら、全然浅いところだった」
二人は声を上げて笑った。何事もない陳腐な事件も、二人にとってはかけがえのない思い出だった。

 時計は午後5時半を回った。二人は洋服の店や東急ハンズを一通り見て、通りをまた戻り、近くの喫茶店に入った。翔太は店の内装を一目見て、入店したことを少し後悔した。広い店内は見渡す限り、目の覚めるような青で埋め尽くされていた。壁も、テーブルも椅子も、すべて派手な青色である。若者たちもとても多く、かなりカジュアルな店である。サンシャイン通りに面したガラス窓はとても大きく、天井から床まであった。

 メニューはどれも目立つようなパフェやサンデーが多かったので、席についた二人はパフェを二つ注文した。彼は気まずそうに口を開いた。
「はるかちゃん、ごめん。なんか落ち着かない店かな?」 
彼女は口元に微かな笑みを浮かべて答えた。
「ううん、とってもカワイイわ。私、好きよ、こういう店」
翔太はほっとすると共に、大らかなはるかにとても魅力を感じた。
「ありがとう。はるかちゃんといるとすごく安心するな」
彼女はえくぼを見せて笑った。
「そう?嬉しいわ。私も翔太君と、こうしていられて、この瞬間が嘘みたい」
「そうか」
「ずっと好きだったのよ。昔からずっとね。いつもこんな日が来ることを夢見ていたわ」
「うん」
「翔太君のことを想うと、とても切なかった。あなたは私がそれまで出会った男の子とは全然違ったから」
翔太は少し吹き出した。
「あはは、それまで、ってオレたちが出会ったのはまた小学生のときだったじゃない」
はるかも苦笑いを浮かべ、
「そうね」
と恥ずかしそうに言った。
「はるかちゃんは、おませさんっていうか、早熟だったんだよ。オレなんかホント子供で…」
「私も子供は子供だったよ」
二人は声を上げて笑った。翔太はこんなに楽しい時間を過ごすのは実に久しぶりだった。今までの人生で苦しいことも多く、実のところ死を願ったことも一度や二度では無かった。

 でも、今は生きていて良かったと思っていた。こんなに素晴らしい女性と夢と紛うばかりの時間を共有していることは、はるかばかりではなく、彼も現実と疑う程の幸福であった。

「はるかちゃん、サンシャインの展望台に行こうか?もう暗くなってきたから、夜景でも見ない?」
「夜景か…なんか九十年代デートって感じがするなあ…」
はるかは目線を上に向けて答えた。翔太は少し馬鹿にしたようなはるかの返事に、
「何それ、今、鼻で笑った?」
と軽く笑って言うと、彼女は、
「いや、違うわ、ごめん」
と口元に微笑をたたえて言ったあと、急に真顔になって、
「ホントにごめんね。旦那と行ったことがあって、嫌な場所なの」
と小さな声で言った。
「そうだったのか、悪かったよ」
彼は、良く無いことを言ったな、と思った。
「いいのよ、翔太君は知らなかったんだから」
「うん」
そして、はるかはふと店内の奥の方の席に目をやり、なにか怪訝そうな目付きになった。
「はるかちゃん」
翔太は声を掛けた。彼女は返事をせず、じっと奥の方の席を見つめている。
「はるかちゃん」
彼はもう一度言った。はるかは、はっと我に返ったように、
「え?何?」
と若干大きい声を出した。
「どうしたの?」
「いや…うーん…」
「何か気になるの?」
翔太は不思議に思って訊ねた。はるかは何度か唸って、
「翔太君、あそこの席に座っている男、見える?」と声を潜めて言った。
「え?」
彼が振り向こうとすると、彼女は、
「駄目!」
と小さい声で制した。
「え?何?」
「振り向いちゃ駄目。目線で追って」
彼は言われるままに、視線を少しずつ移動させ、奥の席を見た。グレーのスーツを着た男が席に深く座り、肉料理を食べていた。見たところ、少しやさぐれた感じである。頭は短髪で、首の辺りに火傷の痕みたいなのが目立っていた。翔太は視線を彼女に戻して聞いた。
「あの男がどうかしたの?」
はるかは少し怯えたような表情になって、
「なんか、見たことあるわ。旦那と家の近くにいたような気がする」
と言った。翔太は少し驚いたが、気を強く持って、
「大丈夫だよ、はるかちゃん。オレがいるんだ。本当にその男かも分からないし」
と勇気付けた。彼女は口元をきゅっと引き締めて、
「そうね、翔太君もいるし。大丈夫よね。私の勘違いかも知れないわ」
と自分に言い聞かせるように言った。

それから程なく、二人は店を出た。

暫く歩いていると、夜も更けてきて、二人はいつしか、ホテルが乱立するエリアに入っていた。翔太は心の中で少し覚悟するところがあった。はるかが声を掛けた。
「翔太君、いいの?」
「うん、いいよ」
二人は外装の派手なラブホテルに手を繋ぎ入った。フロントで金を払うと、エレベーターで部屋へと向かった。

 結構な値段がするだけあって、部屋の中は豪華だった。綺羅びやかな照明を点けると広い室内には大きなベッドと共に奢侈な調度品が置かれ、少しラブホテルとは思えないくらいだった。風呂はジャグジーだったし、ゲーム類やカラオケなども最新のものが完備されていた。翔太はテレビをつけた。はるかは笑って、
「翔太君、こういうところに来て一番いけないのが、『最初にテレビをつけること』だってよ」
と言った。翔太は笑顔を返し、
「確かにそうだな。でも、オレはテレビを見たい」
と言うと、彼女も微笑んだ。

 風呂に入った二人は激しい情熱を既に抑えられなくなっていた。ジャグジーの中で二人は熱くキスを交わし、翔太は愛しげに彼女の敏感な部分を愛撫した。はるかは、
「ちょっと…待って…。ベッドへ行きましょ」
と困ったように言った。二人は身体を拭くのも早々に、ベッドへ向かった。

 ベッドの上で、二人は激しく求め合った。はるかは時折、低い声で呻くような声を上げた。翔太ははるかの全てを愛した。お互いに相手を愛おしみ、何時間も二人の夢は続いた。興奮が極限まで高まり、翔太とはるかは共に果てた。

 暫く、二人は息を切らし、電気の走るような余韻に浸っていた。翔太は声を掛けた。

「はるかちゃん」
「…ん?」
はるかは薄目を開けて、翔太の方を見た。
「愛してる」
「うん、私も。愛してるよ」
彼女は心から嬉しそうに微笑んだ。彼は彼女の髪を撫でて、ゆっくりと抱きしめた。額に優しくキスをして、大きな瞳を見つめた。
「いつまでもこうしていたい。いつまでも」
「うん」
「オレがはるかちゃんを守る。何があっても」
「大変なこともあると思うよ。旦那は怖い人」
はるかは心配そうな顔になった。翔太は彼女の頬を撫でながら、
「うん、大丈夫。絶対にはるかちゃんを助ける」
と言った。
「ありがとう。嬉しい…生きてて良かったな」
はるかは優しい表情で呟くように言った。夢のような夜は長く長く続いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?