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Not For Sale 〜50歳からの海外博士挑戦〜

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【メインマガジン】長年、自分が「できること」を切り売りして生きてきました。でも本当は、夢や生き方は「非売品」のはず。そんな想いで、2023年8月にドイツへ来ました。
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2023年8月の記事一覧

#43 ドイツ留学、ふりだしから始めよう

#43 ドイツ留学、ふりだしから始めよう

8月も残り1週間を切り、9月になれば正式に、ダルムシュタット工科大学の研究員となり、勤務がスタートします。今日は後から振り返るためにも、勤務開始を目前にした気持ちをまとめておこうと思います。

迫力のワークショップ

先日、研究室全体のワークショップに出席しました。大規模研究室なので、対面で参加した約30人に加えて、オンラインでの参加者もいて、「活気がある」を超えて「迫力がある」会でした。

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#42 マーケティングが色あせて見えた日

#42 マーケティングが色あせて見えた日

みなさん「マーケティング」と聞いて何を考えますか?僕は、7年間英語教師を務めた後、音楽業界へ移って10年以上海外営業・マーケティングの仕事をしていました。しかし、今はマーケティングにほぼ興味がなくなってしまいました。今日はそんな、「マーケティングが色あせて見えた日」の話です。

「本来の」マーケティングって何?

日本マーケティング協会の1990年の定義では、「マーケティングとは、企業および他の組

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#36 「脇目もふらず」なんてみっともない

#36 「脇目もふらず」なんてみっともない

亥年だった1995年に、友人から届いた一通の年賀状の文面をはっきりと覚えています。「イノシシみたいに脇目もふらず突っ走るなんてみっともない」。目的に向かってまっすぐ突き進むイノシシのようには生きたくないという彼の人生哲学でした。28年も前の一通の年賀状の文面を覚えているとは、よほどのことです。

村上春樹マインド

この年賀状は大学4年生の時にもらったもので、差出人は高校生時代、兵庫県立神戸高校の

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#32 ダルムシュタット工科大学

#32 ダルムシュタット工科大学

明日でドイツに着いて10日になります。このあたりで、住んでいるダルムシュタットの街と、来月から研究員(日本的には博士後期課程院生)になる、ダルムシュタット工科大学(Technische Universität Darmstadt)を写真と共に紹介したいと思います。

ヘッセン州ダルムシュタット

ダルムシュタットはドイツの空の玄関、フランクフルトから南へ30kmのところにあります。日本からドイツへ

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#29 Three Good Things を書き出してみる

#29 Three Good Things を書き出してみる

友人が音声配信を始めました。もともとラジオが好きだった僕は、「これってかなり有効な発信手段かも」と思いました。AI の世界でも、言語だけ、音声だけ、画像だけではなくそれらを組み合わせた「マルチモーダル」の研究が盛んになってきていますが、その有効性を改めて感じた次第です。その番組で紹介されていた(恥ずかしながら、初めて聞いた)Three Good Things の書き出しなるものをやってみようと思い

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#27 何のために書くか 〜ChatGPT考〜

#27 何のために書くか 〜ChatGPT考〜

みなさんは、上の写真のような「機械式タイプライター」を使ったことがありますか?僕は、高校時代に英語部が使っていたものを、「もう使わないからあげるよ」と言われて譲り受けたものが今でも実家の押し入れに眠っています。昔は手書き原稿をタイプライターで清書する「タイピスト」という仕事がありました。今日は、「文章を書く」という作業について、少し考えてみたいと思います。

ChatGPT

note 記事も25

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#26 とりあえずドイツで暮らしてみる

#26 とりあえずドイツで暮らしてみる

なんとも建設的ではないタイトルをつけました。でも実際の生活はそんな感じです。留学や海外滞在には慣れている、とたかをくくっていましたが、25年ぶりに長期滞在を前提に海外へ来てみると、色々と思い知らされることがありました。

オーストラリアより外国度が高かったドイツ

先日の投稿で、1997年に交換留学でオーストラリアに着いた日のことを書きました。真夏の日本から真冬のオーストラリアに着き、みじめな思い

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#23 両手いっぱいの感謝で、行ってきます!

#23 両手いっぱいの感謝で、行ってきます!

8月になりました!いよいよ明日、ドイツに向けて出発します。思えば、25年前の1998年8月、オーストラリアでの1年間の交換留学を終えて帰国の日、「きっと海外の博士課程に進学する!」と心に決めていました。しかし、結局進学することはなく、社会人となりました。友人が次々と博士号を取得していくのをなんとも言えない気持ちで眺めていました。あれから25年、少し遅くなりましたが、思いを果たす時がやってきました。

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