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震災と町での記憶

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東日本大震災関連と震災前の記憶の記事
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#福島県

地元なのに『泊まりに行く』しか出来ないのが現実

地元なのに『泊まりに行く』しか出来ないのが現実

久々に地元で呑んだ。

ここのお店は震災前に数回行った事があり、保育所の保護者会のメンバーと飲みに行った思い出もある。

もちろん、前のお店の場所はここじゃないけど、それでも『久しぶり。懐かしい。』と思ったし嬉しかったので飲み過ぎた・・・😅

ワン達を連れての泊まりなので、『車中泊』。

キャンピングカーと言えど、家の様に『めっちゃ快適❗️』とまではいかないのが事実💦

いつもならワン達専用の

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帰りたいのは私だけ?いや、明日もあるさ、、。

帰りたいのは私だけ?いや、明日もあるさ、、。

説明会。

私の行政区は私1人しか来ていなかった、、、。

明日が最終日だから、明日いっぱい来るのかな?

前回までに来ているらしき人数は2組、、、。

同じ行政区の職員さんと担当者と、三者面談状態の私は寂しかった、、。

これが現実なのか、、、。

でもね、私は帰るよ。

だって、我が家だからね。

息子の鯉のぼり

息子の鯉のぼり

先日のイベントで、13年ぶりに息子の鯉のぼりが陽の目を見る事が出来た

めっちゃわかりやすい場所に飾っていただけた
他の2体もみんなと一緒に空を泳いでいた

感慨深いものですなぁ、、、

寄付して良かったと、心から思った次第であります

線量とかどうでも良くなる程、慣れ親しんだ山林は楽しいね

線量とかどうでも良くなる程、慣れ親しんだ山林は楽しいね

帰還困難区域にある、同級生の家の敷地内で牛が飼われている場所があります。

そこの場所から、取水口に土砂が溜まり水が流れなくなったとSOSが届いたので急遽行ってきました。

遊びに行ってたのは小学生の頃。

子供が出来て、近所にお友達がいたので何度か近くには行っていたけど、そこの家を見るのはもう何十年振りだろう、、、。

とりあえず、薮をくぐって川にある取水口へ。

時間も道具も無かったので、応急

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心中複雑

心中複雑

年末年始休暇初日

家族で映画を観て来た

前作の時
「監督は、地球の環境問題とかをすごく気にしているのかなぁ、、、。」
などと勝手に思って観ていた

今作、前評判を聞いていて、観るのをためらっていたが、『みんなで観れば怖くない』の精神で行ってきた訳で、、、

映画館であんなに泣いたのは初めてかも知れない

泣いた理由も、『感動した』『感激して』『可哀想で』とかではなく、

『ツラくて、苦しくて』

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12年ぶりのおひな様

12年ぶりのおひな様

震災後初めて飾った娘のお雛様は虫喰いも無くキレイな状態だった。

私の母がとても喜んでくれたのが嬉しかった。

去年の息子の5月飾りの兜といい、状態良く残っていてくれた事が嬉しい。

認知症の父には初節句の写真付きで説明したけど分かってなかった。

兜の時もよくわかってなくて、まぁいいかと思ったけど、一刻も早く家族みんなで帰りたいね。

そしたら父も、思い出して喜んでくれるかな?

私はいつになったら帰れるのでしょうか?

私はいつになったら帰れるのでしょうか?

この話題に触れるか迷ってましたが、帰りたいので触れます。

新聞のトップページに載っていましたね。

正直、
「あぁ、やっぱりな…。」
という感想です。

帰還意向調査に
「一刻も早い帰還を希望します。」
と書いて送ったハズなのだが、、、。

空間線量も、割と低めな場所ですよ?

『帰りません宣言』

とやらが影響しているのならば、言わせてください。

「あれ、聞いてません。ニュースで知りました。

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蘇る思い出

蘇る思い出

保育所の解体に伴い、荷物の持ち出しの立ち入り案内状が
届いたので、娘と行って来ました。

あいにくの雨でした。
雨女の娘、本領発揮でしたね。

子供たちが通った保育所。
中に入るのは12年ぶり。
当時の所長先生がいらしてました。
所長先生に会うのは何年ぶりだろうか?
震災後に何回かお会いしたけど、私が事故に遭って引きこもり始めてからは誰にも会ってないから10年近く経つかなぁ、、、。

中庭にあった

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12年ぶり

12年ぶり

大熊町で3月11日を迎えた。

仕事は休んで、町民のつどいに参加した。
準備から参加させてもらった。

本当に久しぶりに、
『好きな事をやっている』
と思えた。

顔見知りの皆さんと鶴を飾り、黙祷する。
そして花を配り、片付ける。

穏やかな一日だった。

ここに両親がいない事が残念でならなかった。

野上の家ではなく、楢葉町の家に帰るのがとても寂しく感じた。
(楢葉町、いい所です。間違いなくいい

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忘備録として、、、①

忘備録として、、、①

noteを始めてから、震災の話ってあんまりちゃんと書いてなかったなぁ、、、。
と思い、間もなく3/11もやってくるので忘備録代わりに書いていこうかと思います。

2011年3月11日のあの時間、私は富岡町夜ノ森地区にある某電力会社の社宅の看板前に愛車のクロネコ号を停めて、伝票に書いてある部屋番号を探して看板を見ていました。

地鳴りの音がして
「何事?」
と思ったら地震発生。

エンジン停止状態に

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忘備録、、、④

忘備録、、、④

3月14日以降は怒涛の日々だった。

所持金も少なく、貯金も少ないシングルマザーの私が親子3人で暮らしていくにはどうすればいいか、、、。

慣れない都会で右往左往する毎日。

周囲の人が普通に生活している事への違和感を感じ続けながら、本当にここでやっていけるのか?と自問自答する毎日。

時間はどんどん経過していくも、何も解決出来ないまま姉の家にいる事で精神的に追い込まれ始める。
それに同調するかの

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忘備録、、、⑤

忘備録、、、⑤

4月に入っても、住む場所も仕事も見つからない。

しかし、東京では新学期は通常通りやってきた。

息子は小学生。
『通わせない』
という選択肢を選べなかった事を今でも後悔している。

「言わないで下さい。」
そうお願いしたのに、
「福島県の原発事故から避難してきた」
そう紹介されてしまった息子。

好奇の目が全集中で向けられる。
小学校低学年に罪はない、、、などと呑気な事は言っていられなかった。

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忘備録、、、⑥

忘備録、、、⑥

旅館で過呼吸を起こしてから、しばらくは順調にこなしていた。

最悪の事態が訪れたのは6月。
職場で昼に配達から戻り、事務所でご飯を食べようとしたら襲ってきた。

過呼吸、、、。

どうにも治らない。
そもそも治し方を知らない。
必死になればなるほど呼吸が苦しくなり、意識が遠のいていく。

小1時間経過しても治らず、救急車を呼ばれる事に。
店長が母に連絡する。
母は全く土地勘がない。

会津坂下町の

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忘備録⑦

忘備録⑦

⑥からだいぶ時間が経ち、続きを書いてみようかと思い始めたので、、

道を歩いていたハズなのに、気が付いたらよくわからない状況になっていた
しかも、動けない、、、

「分かりますかー⁉︎〇〇(私の旧姓)さ〜ん!分かりますか〜⁉︎」

よく見えないが、誰かに呼ばれている
しかし、返事が出来ない。

意識がハッキリするまでどれくらいかかったのか、一度戻ってまた失ってを多分何度か繰り返していたんだと思う、

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