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忘備録、、、⑤

4月に入っても、住む場所も仕事も見つからない。

しかし、東京では新学期は通常通りやってきた。

息子は小学生。
『通わせない』
という選択肢を選べなかった事を今でも後悔している。

「言わないで下さい。」
そうお願いしたのに、
「福島県の原発事故から避難してきた」
そう紹介されてしまった息子。

好奇の目が全集中で向けられる。
小学校低学年に罪はない、、、などと呑気な事は言っていられなかった。

息子は情緒不安が増してしまった。
学校で突然泣き出したり、教室から飛び出す様になった。

「お母さんも一緒に、カウンセリングを受けてください。」
新学期初日から5日後、担任からそう連絡が来た。

だから、「言わないで下さい。」とお願いしたのに、、、。
言ったのはどこのどいつだよ!
怒りで震えた。

「みんなはどこにいるの?帰りたいよ!」
息子に泣かれた。

途方に暮れた。
その時、実は都営住宅が当たっていたのだ。

町田市だったので、今の学校からはサヨナラ出来る。
でも、また同じ事になったら?
私の仕事も見つかっていない。

前の職場からは、
「避難先が決まったら、そこから近い営業所で働けるようにします。」
と連絡をもらっていたが、パートだった私の時給は安い。
その給料で、3人で、しかも住んだ事のない都会のど真ん中の東京で暮らしていけるのか、、、。
そこでの生活像が全く思い浮かばなかった、、、。

そんな時だ。

「町の小学校を会津若松市内で再開するから来ないですか?」

息子の担任だった先生から連絡が入った。

息子の同級生のママさん数人に連絡をしてみると、みんなが「行く」と言った。

息子に聞くと、
「行きたい!みんなに会いたい!じぃじとばばちゃんと一緒がいい!」
と半泣きで答えた。

心は決まった。
母に連絡する。
「うちらも会津に行くわ。」

両親はその時すでに、会津若松に行く事を決めていた。
私たちが行くと言ったら喜んでくれたが、子供がいる家庭は避難場所が指定されていて、両親が行くと決まっていた場所とは違かった。

私は急ぎ役場に連絡を入れ、5人で同じ場所にしてもらえるように頼んだ。

そうして4月半ば、私たちは再び福島県に戻った。
姉たちには猛反対されたが、精神衛生上ここにいるのは正解ではないと分かったので、なんと言われようとも福島県会津若松市に移動した。

会津若松市での指定避難場所は
『会津東山温泉』
の旅館だった。

そこからバスで、廃校になった学校を間借りして小学校と中学校、幼稚園も再開された。

約1ヶ月ぶりの友達との再開に、息子ははしゃいでいた。
娘も幼稚園に通わせてもらい、保育所で一緒だった子たちがいて嬉しそうだった。

旅館の1部屋に家族5人での生活が始まった。
正直言ってめちゃくちゃ窮屈だったが、子供たちが毎日楽しそうなので我慢出来た。

旅館の方々も、最初は色々隔たりがあったりもしたが、次第に打ち解けて気が付けばロビー脇を子供たちの遊び場として解放してくれたり、パソコンも貸し出してくれ、高学年の子たちがゲームやネットをしていた。
旅館の仲居さんたちが、たまに遊んでくれたりなんかもあった。
知り合いが子供たちにお菓子やオモチャやゲーム機までくれた。
あの場所は本当にお世話になった。
今でも感謝してます。

私はクロネコさんに避難先が決まったと連絡を入れた。
あいにく、市内は既に満員で、会津坂下町の営業所に通う事になった。
会津の地理は全くだったが、49号を新潟方面に向かえばあると言われて向かった。

小1時間かかる片道だったが、仕事をして少しでも稼がなくてはと思った私は通う事を決めた。

父は年齢的に再就職は難しい。
母が働く事はさらに難しい。
一家5人の生活は、私にかかっていると思った。
5月に入ってすぐに仕事を再開した。

旅館から駐車場が遠い為、折り畳み自転車を思い切って購入した。
朝の忙しい時間に1分1秒が惜しかったからだ。

朝と夕、東山温泉街をクロネコ姿で自転車を疾走させていた私は間違いなく目立っていたと思う。

、、、そして、例の夜が来る、、、。

旅館の大浴場の脱衣室で倒れてしまったのだ。

息子が泣きながら母を呼びに行く姿がうっすらと見えた。
気が付けば、救急車の中だった、、、。

診断は
『過労とストレスによる過呼吸』
点滴を受けて帰る。

子供たちが泣きながら駆け寄ってきた。

やってしまった、、、。

そう思った。

そこで私は思う。

これくらいで倒れるとは、、、。
自己管理が出来なくて情け無い!
しっかりしなくては!
もっとしっかりしないといけないのだ‼︎
とりあえず、翌日は運良く仕事は休みだ。
ゆっくり休んで戻さなくては!
疲れてなんかいられない!
もっと頑張らねば!
気合い入れ直して明後日からまた頑張らなければ‼︎
  

、、、この思考が後に自身を追い込んでいくのである。



ところで、忘備録ってどこまで書けばいいんだろう、、。
現在まで戻ってくるには色々ありすぎだからなぁ、、、。

とりあえず、もう少し書くか、、、。
自分への戒めでもあるからね、、、。

次回へ続く、、、。

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