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忘備録⑦

⑥からだいぶ時間が経ち、続きを書いてみようかと思い始めたので、、

道を歩いていたハズなのに、気が付いたらよくわからない状況になっていた
しかも、動けない、、、

「分かりますかー⁉︎〇〇(私の旧姓)さ〜ん!分かりますか〜⁉︎」

よく見えないが、誰かに呼ばれている
しかし、返事が出来ない。

意識がハッキリするまでどれくらいかかったのか、一度戻ってまた失ってを多分何度か繰り返していたんだと思う、、、

ダンナさんの私を呼ぶ声で、意識がハッキリしてきたと思う
なんとか動いた指でダンナさんの手を触ると、ダンナさんが誰かを呼んでいる?

状況が全く掴めない
自分がどうなっているのか、全くわからない、、、

ん?
ここ、病院か?
え?
私、どうした?

理解不能のまま、ようやく目が見えてきた景色
蛍光灯の光
白っぽい天井
近づいてきた人は、医者か?看護師か?
とにかく白い格好している

音も大分聞こえてきた
「ピッピッピ」とか
「ピー」とか


私は車に轢かれ、病院に救急搬送されていたのだ

しかも、意識が戻るまでに数日かかっていたのだ

ICUに居たのだ、、、

挿管されていたから声が出せなかったのだ
身体中に管が入っていて、要は死にかけていたから動けなかったのだ

『意識不明の重体』
というヤツだったのだ、、、

後から教えてもらったけど、結構ヤバめだったらしい

医師に、
「覚悟はしておいて下さい。」
と言われてたらしい、、

確かに、名古屋に住んでる妹が居た
姉は海外に居たから、あえて連絡はしなかったそう
連絡しても簡単には来られないからねぇ、、

搬送直後に子供たちもきていたらしいが、ICUに幼い子供は基本的に入れないし、母親の死にかけてる姿を見てかなりショックを受けていたので、祖母が自宅で子供たちと待機していた

どうやら、搬送直後の姿は凄かったらしい

血だらけで、顔が倍以上に腫れ上がってと、とにかく正視出来ない状態だったらしい

そんな姿見たら、子供はショックだわ
子供でなくてもショックだったらしいが、、、

どうせなら写真でも撮っておいてほしかったところだが、我が家にそんな人はいなかった
まぁ、普通家族が死にかけている現場で写真撮ってる人いないよね、、


搬送直後からの事は、ダンナさんから聞いた話
私は死にかけていたから覚えている訳がない

以上、死の淵から這い上がってくるまでの話

ちなみに、、、
気が付いて数日後、
(そういえば、じいちゃんに会ったなぁ)
という事を思い出した私

よくわからない場所で、向こう側にじいちゃんがいた
満面の笑みで立っているじいちゃん
その姿が何故か怖くて近寄れなかった
じいちゃん大好きだったのに、近寄れなかった
足元は砂利だったと思う

どこだかわからない場所なのに、じいちゃんが居るのが
『向こう側』
と感じたのは、多分本当に向こう側だったんだと思う

『あの世』と『この世』

じいちゃんが居た向こう側は『あの世』だったんだと思う
笑顔がウソっぽく感じたのは、普段そんな顔した事ないからだ
笑う顔を何度も見ていた私には、笑っているように感じなかったのだ
むしろ、めっちゃ怖かった
あれは、じいちゃんなりの
「来るな!」
ってサインだったのかな?
もしかしたら、じいちゃんの後ろに誰か居て、私を呼ぶ様に言われてたんだけど、じいちゃん的にはまだ来てほしくないからあんな笑顔でなんとか気付かせようとしてくれてたのか?

気付きましたよ、じいちゃん
私は気付きました
ありがとう

楢葉町に来てから、頻繁にじいちゃんの墓に行ける様になった
もしかして、じいちゃん、呼んだ?
「墓くらい綺麗にしろ!」
って、私を呼んだ?

どっちにしても、楢葉町に来てから私の運気は上がった気がするよ

だとしたら、じいちゃんは私の守り人なのかな?

ありがとう、じいちゃん


ここから先は、闘病生活日記になってしまう

退院して、リハビリして、治らなくて、落ち込んでいって、、、

『暗黒時代』
と呼んでいる数年間が始まるのさ、、、


気が向いたら、続けます

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