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私は"私の意識"でしかない
いつも通勤に使っている道。
たまに、ふと「こんなところに自販機あったっけ?」と思うことがある。
ぐっと集中すると見えてくる、いつもは気づかなかったもの。
個人商店の看板や、外壁の落書き、山の中腹の謎の建物。
それは、私が意識しなければ、知らなかったものたちだ。
つくづく、「私のすべては"私の意識"」だなと感じる。
ならば、私の意識の矛先次第で、人生をよりよいものにできる気もする。
ど
ビタミン剤まで摂って働く意味
今年の4月に他部署から入ってきた先輩。
何がスゴイって、もの凄く働く。
まず定時の30分前には会社に到着。
毎朝のお店の周りの掃除を欠かさない。
職場内ではそれなりの地位なのに、書類を綴じたり、率先して窓口で接客したり、下っ端の仕事もやる。
まるで私の仕事が無くなるほどの勢いだ。
そして退社時間も遅い。
私は毎日ほぼ定時に帰らせてもらっているが、どうやら先輩はかなりの時間、残って仕事をしているよ
「今日は良い1日だったな」と声に出してみる
一日の終わり、なんだか偶然に幸せなことが続いた日。
「今日は良い1日だったな」と自然に声が出た。
そうすると、なんだか今日がより素敵な1日になった気がした。
言葉は魔法だ。
声にするだけで、自分の気持ちもそれに呼応して変わる。
「自分の叶えたい夢は、声に出すと叶いやすい」
昔読んだ、ありきたりな自己啓発書に載っていた。
でも、それはあながち間違っていないような気もする。
「言霊」が昔から畏れ
本人による訃報ツイートの違和感
よくTwitterなどのSNSを見ていると
急逝したユーザーの代わりに、家族や身近な人が「〇〇は〇〇才で永眠しました。お世話になった方に御礼を申し上げます」などとツイートしているのを見かける。
「あぁ、最近見なくなったと思えば闘病されてたのか…。」
そんなことを思い、故人を偲ぶのと同時に、ある疑問がいつも浮かぶ。
家族や身近な人が本人のアカウントで訃報をツイートしているということは、その人が故人