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正義と正義の合流地点
今回書く気持ちは、
とりわけポジティブでもなければ、かといってネガティブでもない、
ありのままの思いをつらつらと書ければと。
じゃあ何を書くのかと言うと、
毎日を必死に生きてるなぁ、ってしみじみ思います。
いい意味でもちょっと嫌な意味でも、
これが生きていくということかという感じです。
子どもには子どもの大変さがあるし、
子どもそれぞれによって環境は違うから一概には言えないけど、
どちらかと言
一人になりたい時ほど、”ひとり”にならないようにする
皆さんは「一人になりたいな~」って思うことはないだろうか。
1人で気分転換したいとか、1人で考え事したいとか、
日々いろいろな人の中で揉まれているからこそ、
1人の時間も大切だったりする。
だからここから書くことはあくまで【自分の場合】のことなんだけど、
自分の場合、
”1人になりたい時ほど、ひとりになっちゃいけないな”
と最近思う。
前提として私は集団でいることも1人でいることも好きだ
社会人3年目の終わり
正直このテーマで書くつもりはなかったけど、振り返ってみたら毎年3月の終わりに書いてるから、備忘録的に書いていきたいと思う。
今日で社会人3年目の終わりを迎えた。
▼社会人1年目の終わり
▼社会人2年目の終わり
どうやら1年前にはこんなことを書いていたらしい。そっくりそのまま引用したいくらいの気持ちだ。『もう』3年なのか、『まだ』3年なのか。
この1年って自分にとってある種大きな1年だった
まずは小さくても成功してみよう
唐突だが、ふと「自分って学ぶとき、どうやって身につけているかな?」と考えてみた。
言語化の1つ大きな意味は”再現性”だ。
そこになんとなくあったものを言葉に出来るようになることで、イメージが出来る。イメージが出来ればその通りに遂行すればよい。
まずもって学び方というのは人それぞれで、それぞれに「合う/合わない」があるという前提をお伝えの上。
自分の場合のフローとしては、
だ。
これは個人
ノートに言葉が書き溜まっていくと、自分の心も満たされていく
ここでの「ノート」はその名の通り、紙のノートだ。
すっかり私がnoteに取りつかれているのは言うまでもないが、自分自身の原点でもあり今も頂点は、紙のノートだ。
「塩浦良太」と「書く」という行為は切っても切り離せない関係だ。
いつしか書くことが好きになっていた。
その理由は分からない。
「文字綺麗だね」って言われたからだろうか。
書いた文章を褒められたからだろうか。
作文で賞を受賞したからだろ
「頑張り」を自分で拾っていく
何で人は頑張るんだろう。
何で人は頑張れるんだろう。
何で人は頑張ってと言うんだろう。
何で人は頑張りを求めるんだろう。
そもそも「頑張る」という言葉が抽象的な時点で、
ここらへんの定義って定かじゃなくて。
だからこそ自分次第で決められる部分はあるし、
だからこそ自分なりの定義を相手にも当てはめることは危険だったりする。
じゃあ、お前の定義は何なんだ、っていうと
頑張りは『自分のため』だと思