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自由までの30年間。

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2019年3月の記事一覧

24. やりたいことを100個書き出す。

辞めます、と宣言してから、止まっていた世界は少しずつ動き始めた。

私は会社を辞めたらやりたいことをひたすら書き出すことにした。目標は100個。

今後の仕事は決めていないけれど、「自分で出来そうなことでお金になる可能性があること」というのを試したくなった。その中で出てきたのがお菓子を作ることと、文章を書くことだった。

製菓の学校に行くことを検討し始め、いくつかの学校見学にもいった。
週末のライ

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23. 私、辞めます。

やっと辞められる、辞めよう。
と思えたのは、皮肉なことに会社きっかけだった。

私がいた会社は、年度末の業績次第で春にボーナスが出ることがあった。
その年はとても業績が良く、給料の3ヶ月分くらいのボーナスが出ることになったのだ。

自分の仕事としては損害しか生んでいないのに、会社としての業績は良かったということだ。全く予期していなかった、突然のことに胸の鼓動が激しくなるのを感じた。

急いで自分の

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22. 止まらない涙と辞められない仕事。

入社して7年目に差しかかろうとしていた。

相変わらず異動することもなく、担当替えも起きそうにない。

我慢強さだけでやってきた私にも、とうとう限界がきていた。
頭痛が止まなくて、眠りも浅くなった。漸く眠りについても、朝にはひどい頭痛で目が覚めた。

家を出て会社に着くまでの間は、ずっと涙が止まらなかった。
会社に着くとできる限り表情を動かさないように、感情を出さないようにして過ごす。少しでも悲し

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21. 取引先から奴隷になって。

大口の取引先相手に重大な損害を与えてしまった場合、そのミスをした営業担当者を変えるというのはよくあることではないだろうか。

そうしてくれるといいな、と思っていた。私は直接ミスをした人間ではないけれど、こんなに大きいミスがあったのだから、担当者を変えて二度とこのようなことが起きないようにします。そう会社が判断してくれればいいと思っていた。

だけど、事件後に会社が下した判断は、私にとってあまりに残

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20. 「できる」が壊れる。

その日はいつもと同じ朝のはずだった。

担当公演の、チケット販売状況のチェック。
数字がおかしいことに気づいた。

システム担当者に確認する。システム担当者の顔色がさっと青くなり、慌てて作業をはじめた。

とてつもなく大きなミスが起きていた。
はっきり書くことはできないが、公演のない日のチケットを売ってしまっていたとか、同じ席のチケットを二重販売してしまっていたとか、指定された一般発売日を間違えて

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19. 「できる」に甘える。

なんとなくこなせる、ということはとても恐ろしい。
そこに向上心がなくとも時間は過ぎていき、所定の「仕事」は終わっていく。

指先をこぼれ落ちていく砂のように、日々が過ぎ去る。
こなせる上に周りが優しいと、それでもいいかなと思う瞬間が出てくる。
社会人になってから始めたバンドや、弾き語りの活動も隙間で行えていた。
給料も同じ業界のなかでは良い方だった。
こなせているので社内の評価は上がることもなけれ

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18. 仕事内容か、人間関係か。

異動した部署の仕事はたしかにあまり興味のないものだったが、いいこともあった。上司の存在である。

新規事業開発時代は5〜6人の先輩の中での仕事が中心で、その先輩もそれぞれにとてもかっこいい人だった。
それが営業になると、比べものにならないくらいの大所帯になる。その中で有象無象にひしめく荒々しい人々に囲まれて(異動する前のイメージ)本当にやっていけるのか、不安だった。

社長や人事がとても配慮してく

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17. 部署異動と社会人としての未来。

順調だった社会人生活に暗雲が立ち込め始めるのは、初めての人事異動からだった。

新規事業開発にいる時から、「ここ以外にいきたい部署がない」というのはなんとなく思っていた。あるとしたらひとつだけ同じような性質を持った部署があったので、そこくらい。

会社の根幹を担っているチケット関連の仕事には、正直魅力を感じていなかった。それは、その部署の人たちとの交流があまりなかったり、同期がよく愚痴をこぼしてい

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16. 人生始まったな。

会社員としての日々は華々しく始まった。

私が就職したのは、チケット販売管理(プレイガイドといった方がわかりやすい?)が中心の会社だった。

大まかにいうと主催者から席を預かり、そのチケットを自社システムで販売する仕事。販売手数料を主催者からいただく手数料が売上の中心になる。

営業は主催者や事務所に「うちで売らせてください!」と提案し、販売スケジュールを作成して、無事チケットが売れるように管理す

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15. 就職なんてしないと思ってた⑤

私が突然の就職を決めたことは、周りも驚いていた。

サークルの友達は、
「お前は絶対就職しないと信じてたのに」
「ずっとライブハウスいるんだと思ってた」
と言われた。

バイト先のライブハウスの人たちはあんまり就職に興味がないというか、最初からその発想がないタイプの人が多かったので
「ここから新卒採用する人いるのか」
「まじめだねー」
という感じだった。

就職を決めたイベント会社の人事の方にさえ

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14. 就職なんてしないと思ってた④

2つの採用通知の中から、どちらが自分の行くべき道かを早急に決めなくてはならない。
私はとにかく比較した。

東京に居たい気持ちがあったので、地方転勤があるのは嫌だ。
これはどちらもクリア。

仕事内容と給料が重要かな、と思った。

まずは仕事内容。
イベント関連会社の方は主に全ジャンルのイベントを担当。
チケット販売の管理のほか、新しいイベントの企画をする部署もあるらしい。

音楽事務所は、もちろ

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13. 就職なんてしないと思ってた③

エンタメ業界と言えど、就活は割とオーソドックスなところが多い。そしてライブハウスのバイトにも言えることだが、やめる人も多い業界、フィーリングとなんとなくやれそうなやつを採る、というのは致し方ないことだと思う。

私の就活へのセカンドチャレンジは、できるだけ期待しないように、気負わないように、ただ素直に。進めていった。
春の採用で諦めがついていたのもあって、どうせ受かるはずがないと思っている方が気が

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12. 就職なんてしないと思ってた②

靄がかった将来の展望を抱え、バンドとバイトを行ったり来たり。卒論もそこまで重視されないので本当にふわふわしていた。

そんなある日、春に何気なく登録していた就活サイトから「秋採用のお知らせ」が届いた。

春に痛い目にあっているので、もうやらないと思っていたのだが、たまたまそこに「イベント」の文字を見つけた。

実は春採用のときは、イベンターやプロモーターで新卒採用をしているところは皆無だった。

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11. 就職なんてしないと思ってた①

ライブハウスでの日々は、音楽に関しては最高だったが少し問題があった。それは人である。

チーフと呼ばれるドリンクのまとめ役が、少し年上の男性だった。それに昔からいる主のような先輩。このあたりが今後のことや改善点などを話し合い決めてくる、つまり指導者なわけだが、とにかく性格が悪かった。

新人の悪口を言う。自分の自慢話をする。理不尽にキレる。

私は今よりもっと社交的でなく、仕事以外で職場の人と仲良

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