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青と雲 ーZERO Gravityー


 真夏の通り雨のように、その事件は起きました。

 私はきっと、この事件を忘れることはないでしょう。未だに、自分の胸の中に妙な引っ掛かりがあるのです。

  たまに思い出しては、酷くふさぎ込んでしまうときがあります。


 私は、彼を忘れてはいけないと思うのです。

 私に本物の自由を掴むきっかけをくれた人。私は彼を思い出しては苦しい思いをする夜を繰り返しました。

 ただ、長い時間が経って、少しずつ彼についての記憶が薄らいでいくにつれ、私は彼を忘れてはいけないと思い、彼について書き留めることにしました。


 今日も空は青いです。雲一つ無い日本晴れです。しかし、私は青空を見ると少し苦しくなります。彼を思い出すからです。

 ほんの数日の間に、その事件は起こったのです。晴れの日に彼を思い出しては苦しくなるなんて、住みにくい世界になったなと、悲しい気持ちになります。





 私には、昔諦めかけていた夢がある。

 小説家になるという夢だ。大学生になって本気で取り組んでみたけれど、ぽっきりと挫折した。小さい頃から本の虫で、友達ともあまり話さず、隙を見つけては本を読んでいた。

 高校も文系に進み、大学は文学部へ進学した。大学での勉強は思っていたのとは違ったけれど、周りにいるのは本好きの人達ばかりで、生活は楽しかった。

 そこで、かねてからの夢だった「小説家になりたい」という夢を追うことにしたが、書いても書いても「何か違う」という感覚が拭えなかった。

 自分が書いた文章を時間を空けて読んでみると、まるで文字が紙から剥がれ落ちてバラバラになっていくみたいに感じた。

 ——とても読める文章ではなかった。

 たくさん本を読んでいるからといって、良い文章が書けるわけではない。

 たくさんの有名なミュージシャンの音楽を聴いているからと言って、作曲ができるわけではないのと同じだ。

 ただ、私はタイムリミットが来たと思って、小説を書くことはきっぱりやめ、一応保険として取っておいた教員免許を使って先生としての仕事に専念することに決めた。

 ズルズルと夢を追いかけていると、社会から見放されてしまう気がしたのだ。それに、大学に行かせてもらっておいてフラフラした生活をするなんて、親に申し訳が立たないと思った。売れないなら、小説なんて書く意味がない。

——いい年した大人なんだから、現実を見ないと。

 そう言い聞かせて、諦めた。
 結婚しようかと思っている人もいたからだ。現に、生きていくには働かなくてはならない。

 だが、結果的に私は趣味程度に小説を書いては無料の小説投稿サイトに自身が書いた小説を投稿し続け、最終的に少しずつ人気が出てプロの作家として活動している。

 もしろん、先生の仕事は辞め、小説家としての活動も並行で進められるような仕事をしている。

 ——なぜ私が一度諦めた小説家という夢を再び追いかけることになったのか。

 それは、ある子のお陰なのだ。

 でも今彼は、この世界にはいない。たまにどこかからふらっと出てきそうで小さい子供を見ると、ふと見てしまう。

 私が先生という職を辞したのもそういう理由からでもある。





 ある日の放課後、私は自分が担任をしているクラスに残っていました。

 なかなかクラスメイトと馴染めずに、「学校が楽しくない」と言って悩んでいる生徒がいたのです。彼は一輝君といいます。

 彼は夏休みの宿題を期日に一切出しませんでした。

 しかし、一週間経って、原稿用紙五十枚の小説を書いて提出しに来ました。通常の小学生が書けないような量と質の高い小説を出してきたのですが、その小説以外は全く宿題をやっていないようでした。しかし、学校に残ってやらせると、直ぐに他の宿題も終わらせて帰っていきました。

 彼は宿題に集中しているとき、私が話しかけても一切反応しませんでした。そういう、不思議な魅力のある少年が、一輝君なのです。

 彼はその日の授業を私への質問で止めてしまいました。

「先生、宇宙って本当にビックバンで出来たんですか?」
「それはね、まだ研究をしているところだよ」
「それはどこ?」
「最先端の企業や大学だね」
「そこってどうやったら行けるの?」
「中学校高校へと進んで、大学へ入ったら行けるよ」
「先生、待てないよ。今知りたい」
「一輝君、授業の残り時間も少ないから続きを進めてもいいかな? 後で先生と二人で話そう」
「うん、わかった」

 こうして放課後、私と一輝君は一緒に教室で話すことになりました。放課後、私が教室に入ってくると、一輝君は一人で窓の外の景色を見ていました。私が入ってきたことに気づくと、一輝君は振り返ってこう聞きました。

「先生、さっきの話のつづき」
「あぁ、宇宙がどうしてできたのかについての話だね」
「うん。ビックバンじゃないなら、宇宙は神様が作ったの?」

「うーん、先生にはまだ分からないな。一輝君、教科書に書いてあることはね、『今分かっている最新のもの』なんだ。だから、もしかしたら間違ったことが書かれているかもしれない。だから、今後一輝君が気になっている『どうして宇宙が出来たのか』という疑問も、今後解消されるかもしれないんだ」

「でも、時間がかかるんでしょう?」
「そうだよ。宇宙って凄く広いし、謎がまだまだたくさんあるんだ。だから、今から少しずつ長い時間をかけて分かっていくんだと思うよ」
「どうして宇宙が出来たのかを知る前に、僕死んじゃうかもしれないと思うと嫌だ」
「うーん、先生も一輝君に今すぐ教えてあげたいけど、先生も分からないんだ。ごめんね」
「今知りたいのに」

 一輝君は、宇宙について、凄く興味があるようです。

「学校はつまらない」
「どうして?」
「つまんないもん。先生、どうして学校に来なくちゃいけないの?」
「一輝君、それはね、勉強をしないと、大人になったときに困ることが多いからだよ」
「どういうときに困るの?」
「国語を勉強していないと、周りの人とお話をするときに困るでしょう? 算数や理科、社会も日常の中で役に立つことが多いんだよ」

 うーんと、首をかしげています。一輝君は納得していないようです。

「僕も、国語は好き。それと、僕は勉強が嫌いなわけじゃないんだ。学校が面白くないんだよ。先生、放課後は学校に来るから、僕に勉強を教えて」
「お昼に来ることは嫌なのかい?」
「うん。どうして、みんなと同じ勉強をしなくちゃいけないのか分からない。だって、読んだら分かるんだもん。友達と話すのも、苦手」
「そうか。一輝君は、友達から嫌なことをされることってあるのかな」
「ううん、そんなことはないよ。でも、なぜか、嫌なの。話していても、みんな面白くない」

 一輝君は、「学校に来るのは嫌だ」とは言いましたが、毎朝きちんと登校してきます。

 忘れ物がある訳でもなく、特に友人関係にトラブルがあるようにも見えません。だから、至って真面目な、優秀な生徒です。

 そして、特に何か悪いことを彼がしているわけではないため、強く言うこともできません。

「大人になるとね、みんなで協力してお仕事をしなくちゃいけないことが多いんだ。先生もそうだよ。授業は国語も算数も理科も社会も英語も先生が教えているけれど、プリントの準備とか、学校行事の準備とか、いろいろ他の先生と協力しないとできないことがたくさんあるんだ。だから、先生は一輝君にはお友達と協力していろんなことにチャレンジしてほしい。だから、無理はしなくてもいいから、学校で一緒に頑張ってみない?」

 一輝君は机の模様をじっと見つめて、猫背のまま固まってしまいました。


 ——納得していないようです。


「どうして、学校に来たくないって思ったの?」
「分からない。でも、つまらないって思ったんだ」
「何か嫌なことがあるときは、先生一輝君の力になりたいから、何でも言ってね」
「うん、大丈夫」
「じゃあ、一輝君は学校でどういうときに『楽しい』って感じる?」
「国語の時間」
「国語が好きなんだね」
「うん、一年生の時に読んだ『くじらぐも』が好き。あんな風に、雲の上に乗って歩いてみたい」
「いいね。先生が小学生だったときも読んだよ。素敵な物語だよね」
「本当?」
「本当さ」
「熊野先生、どうやったらくじらぐもに乗れる?」
「一輝君にも先生にも羽は生えてないからね。重力が無かったらいけるかもしれないね」
「僕、重力嫌い」
「これは、もう少し理科を勉強していくと分かるんだけどね、一輝君。重力がないと先生たちは大変なことになっちゃうんだよ」
「どうなっちゃうの?」
「宇宙には空気がないからね。地球の外に飛んで行っちゃったら先生も一輝君も生きていけなくなっちゃうよ」
「そうなんだ。それでも、僕は雲の上に乗ってみたいよ」
「そうか」

 外を見てみると、綺麗な青空に綺麗な雲が浮かんでいました。私は、雲一つない見事な日本晴れよりも、いろいろな形をした雲が模様として浮かんでいる晴れの方が好きです。そこで、私は一輝君にこう提案しました。

「一輝君、先生と運動場に行かないか? まだ外は明るいから、雲が見れるよ」
「行きたい!」

 一輝君は、目を輝かせました。

 そうして二人は校庭まで出ていき、運動場の端にあるジャングルジムの上に登りました。その日は運動場にいる生徒は少なかったので、二人でゆっくりと話すことが出来ました。

 私も昔は小学校の生徒でした。
 運動場の周りに生えている木に登ったり、木に隠れたりしていた頃を思い出して、私は懐かしい気持ちになってきました。

 私は、一輝君がジャングルジムから落ちないように気を付けつつ、話しました。

「空が青いなー」
「きれいだね」
「一輝君は、学校だけじゃなくて、どういうときに『楽しい』って感じるの?」
「お兄ちゃんと話してる時かな」
「お兄さんがいるの?」
「うん。大学生のお兄ちゃんが一人」
「そうなんだ。お兄さんとはどういう話をするの?」

「さっき先生と話したようなことだよ。『どうして宇宙は出来たんだろう』とか、『人ってどうして生きているのか』とか、『社会って何なんだろう』とか、『悪いことってどうして悪いのか』とか、そういう話。僕はこういう話が好きなのに、学校ではできないから、つまんない。本当に知りたいことは、どれだけ教科書を読んでみても書いてないんだ」

「そうか。だから、学校が退屈だって思ってたんだね」
「お兄ちゃんと話しているときと、学校にいるときは僕は別人になるんだ」
「別人?」
「うん。でも、怖い人になるっていう意味じゃないよ。お兄ちゃんと話すときは、自由になれるってだけ。でも、先生と話すのはお兄ちゃんと話すときと少し似ているかも」
「ほう。それはどういう意味なの?」
「自分が考えていることを、そのまま言える。あんまりそういう人いない」
「そうか。一輝くんがありのままを出せるなら、先生嬉しいな」

「前ね、お兄ちゃんから、『お前は特別な奴だ』って言われたんだ。そんなことないと思うんだけど。『お前は天からの贈り物をもらった人なんだ』って、お兄ちゃんは言ってた」

「天からの贈り物か。素敵なことをお兄さんは言うんだね」

「ただ、お兄ちゃんは、どうしてか分からないんだけど、僕を心配してた。『お前は気を付けないと、学校でひどい目に遭うぞ』って言われたんだ。『人と違うことはそれだけで恐ろしいことなんだ』って。『自分の能力は隠しておくんだぞ』って言われたよ」

 確かに、一輝君の熱量は他の子供達とは少し違って、あまり周りに馴染めていないように思います。——特に何か人を攻撃しているわけではないので、トラブルが起きることはないようなのですが。

「お兄ちゃんは大学で東京に行ってるから、青森にはたまにしか帰ってこない。だから、たまに帰って来た時は楽しいの。話したいことを話せるから」

「お兄さんは大学で何を勉強しているの?」

「分からない。難しい記号が沢山あって、僕には何が書いてあるのか分からなかった。でも、生き物について勉強してるんだってお兄ちゃんは言ってた」

「生物学かな」
「生物学って何?」
「先生や一輝君は人だよね?」
「うん」

「人やその他の動物がどういう風に区分されているかや、体の中の細胞がどういう働きをしているのかを研究しているものだよ。これだけじゃないんだけど、簡単に言うとこんな感じかな」

「凄い! 大学での勉強って、楽しそうだね」
「お兄さんは、凄いね」
「うん、お兄ちゃんは凄いんだ!」

 一輝君は、お兄さんが大好きなようです。

「大学では、たくさんある学問の内、一つ選んで深めていくんだよ。何個か勉強できるところもあるけどね」

「そうなの? 僕、大学に行きたい」
「でも、大学に行くには中学校と高校を卒業しなきゃいけないんだよ」
「待てないよ、熊谷先生」
「うーん、こればっかりはどうしようもないんだよなぁ」
「どうして一年にこれだけしか勉強しちゃいけないって、決まっているの?」

「それは先生も良く分からないんだ。確かに、一輝君みたいに賢い子はどんどん勉強していって次に進んでもいいのかもしれないね」

「でも、教科書を読んでもつまらないんだ。僕が知りたいことが載ってない」

「どうしたらいいんだろうね。先生も、一輝君に教えてあげたいけれど、どうしても一輝君が疑問に思っていることの答えは分からないや」

「神様なら、何でも知ってるのかな」
「神様ならきっと何でも知っているよ」
「やっぱりそうかな。僕ね、神様に僕のお家に来てくれないかって凄く思うんだ」
「へえ、どうして?」

「家に神様がいたら、ずっと知りたいことを教えてくれると思うから。僕会ってみたいよ。神様に。いろいろ教えてほしい」

「それはいいね。神様が家にいたらいくらでも答えてくれそうだし、家に帰ってくるのも楽しみだね。ちなみに、何から聞くつもりなんだい?」

「んー、最初はやっぱり『宇宙ってどうしてできたの?』って聞くかな。それ以外にも『どうして生き物は死んじゃうの?』とか、『神様って何のお仕事をしてるの?』とか聞いてみたい。いっぱい話したいよ」

「そうか。確かに、先生も神様に会えたら聞いてみたいかもしれないな」
「先生は何を聞くの?」

「先生は、そうだな。一輝君と同じことを聞くかもしれない。教科書に書いてないことをたくさん聞きたいな」

「先生、神様って本当にいると思う?」

「先生はいると思うよ。悪いことをしたら罰が当たるし、良いことをしたら幸せになれるから。きっと、神様がこの世界を良くしてくれていると先生は思う」

「そうだったらいいな。先生、僕はどうなっちゃうのかな」
「何か心配事があるの?」

「うん、僕は普通にみんなと同じように生きていけるのか不安。きっと、退屈で投げ出してしまいそう。周りにいる人達を見ていても、あんまり楽しそうじゃないし、大人もつまんなそうにしてる。僕は将来がどうなるのか、不安だよ」

「きっと、輝いている大人は沢山いるよ。先生はこうして一輝君と話せて楽しい」
「ほんとう?」
「本当さ」

「でも、大抵の人達は『やらなければならない』からやっているように見えるよ。無理して『幸せ』って言おうとしているように見える。辛いって言っちゃいけないから」

「一輝君は、先生達よりよく物事が見えているかもしれないな」
「先生、『将来』って何? 僕は学校へ行って、大人になって、何をしなくちゃいけないの?」
「うーん、大人になったら働かなくちゃいけないね」
「どうして働くの?」
「お金を稼ぐためさ」
「どうしてお金がいるの?」
「ご飯を食べるためだよ」
「みんな、つまらなそう。苦しんでるよ」
「そう見えるのかい?」

「苦しいって言っちゃいけないから、怒られるから、みんな平気なフリしてる。僕はずっと勉強していたいんだ、先生。でも、お金を稼がなくちゃいけなくて、そのためには学校へいかなくちゃいけないんでしょう?」

「そうだね」
「僕、嫌だ」
「うーん。でも、そうしないと働ける場所が少なくなってしまうよ」
「僕は、たくさん勉強したい」
「それは良いことなんだけどね」
「先生は、どうして先生になろうと思ったの?」

「先生が小学生だったときに先生だった人がね、とても優しい人だったんだ。先生が一人で悩んでいた時に助けてくれたんだ。だから、熊野先生もあの先生みたいになりたいって、思ったんだよ」

「へえ、素敵だね」
「一輝君は、将来何になりたいんだい?」
「僕は物語を作る人になりたい」
「おぉ、いいね。どうして?」
「そうしたら、雲の上に行けるから。みんなは『そんなの仕事じゃない』って言うんだよ。先生、仕事って何?」

 熊谷先生は、はっとしました。

 ——仕事とは何か。

 仕事とは、一体何でしょう? 先生は言葉に詰まってしまいました。

「大人になるって、どういうことなの先生」
「何だろうって思うよ先生も。先生もまだ分からない」
「先生って、お仕事楽しいの?」
「うん、楽しいよ」
「先生って、本当に先生になりたかったの?」
「どうして?」

「お兄ちゃんが言ってたんだ。大学では、就職以外にも先生の資格ととるための授業を受けることができて、みんなお仕事の保険をかけるために先生になるための試験を受けるんだって言ってた」

「そんなことをお兄さんは言っていたのかい」

「うん。やりたいことをやって上手くいかなかったときのために先生になるための資格を取るんだって言ってた。先生は本当に先生になりたかったの?」

「本当だよ。でも、確かに先生になると決める前に、別に叶えたい夢があったのは本当」

「へぇ、どういう夢なの?」
「一輝君と一緒さ。物語を作る人、小説家になりたかったんだ」
「へぇ、それはどうして?」

「もともと先生も本を読むことが好きだったんだ。それで、先生がよく読んでいた小説家に憧れて、先生もやってみたいって思ったんだ」

「じゃあ、先生になるよりも、小説家になる方が大事だったんだね」
「そうだね」
「先生も我慢しているんだ」

「そうなるのかな。でもね、一輝君。これだけは一つ言えるのは、先生はこのお仕事好きだよ。小説家になりたいという夢には挑戦して諦めてしまったけれど、先生はこのお仕事も好き」

「先生、僕はやりたいことをするために人は生きているんだと思うよ」

「そうだね。でも、やりたいことをするためには、やらなくちゃいけないことを先にやらなければいけないんだ」

「それが仕事ってこと?」

「そういうことだよ。やりたいことをそのまま仕事に出来る人はそんなに多くないんだ」

「でも、僕は熊谷先生の小説を読んでみたいよ」
「おや、読んでくれるの?」
「うん。読みたい」
「なら、久しぶりに書いてみようかなぁ」
「書いたら読ませて」

 私は先生という立場上、何か個人的なやりとりを一輝君とだけすることは許されませんが、少しまた書いてみようかなという気になってきました。







 私はこれまで、ずっと変わり者だと言われ続けてきた。

 ずっとどこか自分に嘘をつくように、周りに合わせるようにして生きてきた。そうでもしなければ、この社会で生きていくことはできないからだ。

 でも、小説を書いているときだけは違った。自分が考えていること、感じたこと、全てを、そのまま吐き出すことが出来た。

 普段自分が無意識に押さえつけているものが、登場人物を介してどんどん表現されていく。私は、小説を書いていたとき、ずっと興奮していた。楽しかったのだ。

 しかし、大人になるにつれて、どんどん生きていくことがつまらなくなっていった。

 小学校のときに毎日笑い合っていた人達も、社会に揉まれていつしか笑わなくなっていった。みんな、背負うものが増えて辛そうにしている。

 地球に重力で引き付けられているように、私達は大人になるにつれて社会という強力な万有引力に縛られるようになった。

 その背負うべきものを生きがいにして輝く人もいるけれど、自殺に追い込まれる人もいる。現に、私の友人も借金苦で死んだ。この社会には、希望がない。

 何をして、何を信じてこの長い人生を生きていけば良いのか分からない。

 大人とは、何かに縛られている人のことを言う。
 子供とは、自由な人のことを言う。


 純情だった子供たちは社会に飲まれて、生き抜くために悪と化していく。

——虚しい、悲しい。

 人は、生きるためだったら何だってする。

 この子が、のびのびと暮らせる社会になってほしい。でも、先生としてできることは限られている。この子に関わっていられる時間も限定的だ。

 だから、文章を書こう。

 子供の頃に持っていた創造性が、いつの間にか錆びて消えていった。

 昔、必死に描いた作品が文学賞にことごとく落選して、友達に自分が書いた作品を笑われて、とても惨めな思いをした。

 これだけ大変な思いをして作り上げたのに、「くだらない」の一言で一蹴されてしまうのなら、書く意味なんてないと思ったのだ。


 楽しくないなら、生きている意味がないじゃないか。


 もう一度、チャレンジしてみよう。
 押し殺していた自分の可能性に、花を咲かせてみよう。

 今度は、自分の好きなように、やりたいように、自分が書いていて楽しくなるように、書いてみよう。

 やりたいことをやるなら、今だ。今しかない。

 その日の夜、私は暖色のライトを机に付けて、原稿用紙を前に夢中で文章を書き続けた。自分の中から溢れ出してくるものを逃さないように。

 小説家の夢は諦めてしまったけれど、『小説』なんていう枠を捨てて、気ままに文章を書いてみようかな、と思った。

 なぜ書くのか——書きたいから、書くのだ。

「誰が読むか」「どのぐらい売れるか」は二の次だ。

 そう思うと、面白いぐらいにスルスルと文章が湧き上がって来た。

 それまでは、『文学賞をとりたい』とか、『売れて生活できるようにしたい』とか、そういう雑念が多く入っていた。

 自分が好きな作家さんのように、高尚な文学を、とか余計なことばかり考えては、筆が進まない日が幾日も続いていた。肩に力が入りすぎていた。

 これで食えるようにならなくちゃいけない。そのプレッシャーが、自分の書く文章をゆがめていた。

 文学は、日常の中に溶け込んでいるのかもしれない。
 変に力んでも、何もできやしない。


 別に、楽しいから書くでいいじゃないか。自分が楽しむために、自分の好きな文章を好きなように書いて、何が悪い?

 人生は、自分が楽しむためにあるんだ。
 自分が楽しければ、なんでもいいさ。




 結果的に、私がその夜書き上げた文章は、小説ではなく今まで挑戦したことのなかった、詩と論説文を組み合わせたものという新たな形式になった。

 自分の可能性を潰してしまう重力、そんなもの取っ払っちまえ!




ZERO Gravity


  もし地球が無重力だとしたら、僕は何をしたいだろう


 幼い頃、考えたことはないだろうか
 鳥になって空を飛んでみたいと

 少しでも高いところへ行きたくて

 ブランコを漕いでみたりジャングルジムに登ってみたり
 空の青さに心を落ち着かせていた

 「無重力だったら生きていけないよ」みたいなことを言われても、
 やっぱり僕は空を飛んでみたかった

 もし、地球が無重力だとしたら、宇宙の端まで行けるとしたら、
 僕はどこへ行きたいだろう


 太陽にぶつかってしまうだろうか
 隕石にぶつかってしまうだろうか
 呼吸ができなくなってしまうだろうか
 もう帰ってこれなくなってしまうだろうか


 無重力だったとしたなら


 小学生の僕ならきっと、どこまでも飛んで行っていた気がする

 いつから、見えない重力に可能性をつぶされるようになってしまったのだろうか



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  地球上には重力が存在しており、全員に統一された価値観がある。

「どちらが右で、どちらが左か」「どちらが上で、どちらが下か」全て決まっているのだ。

  もちろん人同士が向かい合っているのか背中合わせになっているのかで右左の方向は変わってしまうけれど、静止した状態での上下左右の方向は決まっているだろう。

  しかし、宇宙ステーション、つまり無重力空間では、上下左右の方向は一定ではない。

  宇宙飛行士の人達は、宇宙ステーションの中でお互いに会話をするとき「あなたから見て左」「私から見て前方」という表現の仕方をするらしい。宇宙空間には統一された価値観というよりは、個々それぞれから見てどうこうという各個人にスポットが充てられた価値観が存在している。

  重力だけではなく、私達にはそれぞれを引きつけて固定しておく様々なものがある。

  国家、社会、学校、人間関係、自身の夢、など。

  毎日何かしらの重力に縛られて行動を制限しながら生きている。

  小さい頃は「夢を持ちなさい」と言われ、大人になれば「諦めなさい」と言われる。

  みんな小さい頃に持っていた創造性や希望を捨て去り重力に支配されるまま流されるように生きている。社会や国家といった強力な集団の万有引力に縛られて、私達は動けない。

  いつから私達は、見えない重力に可能性を押しつぶされてしまうようになったのだろうか。

  集団が大きければ大きいほどその引力は力を増していく。

  僕たちは何に縛られて生きているのか分からない。何をすればこの苦しい重力に支配された空間から逃げ出すことができるのだろうか。

  きっと、この大気圏を突破するにはとても大きなエネルギーが必要だろう。

  本当の自由は一体どこにあるのだろうか。

  幼き日の僕に聞いてみたいと思うのだ——自由だったあの頃の僕に。僕はいつまでも、空を眺めて飛び立とうとする人間でありたい。

  すべてを吸い込んで捨ててしまうブラックホールのようなこの集団の万有引力に、僕は負けたくないのだ。


  大気圏を突破した先には、とても綺麗な天の川銀河が待っているかもしれない。

  太陽にぶつかってしまうかもしれないし、隕石にぶつかってしまうかもしれない。

  呼吸ができなくなってしまうかもしれないし、もう元の場所に帰ってくることはできないかもしれない。

  そして別の天体の強力な重力に引っ掛かってしまうかもしれない。


  でも、飛び立った人にしか見ることができない美しい景色を、眺めてみたいのだ。

  僕は少しでも高いところを目指して、今日も生きている。「重力になんか負けないぜ」と小さい頃の自分に笑顔で言ってあげたい。




 私はウキウキしました。初めて、自分の中で納得のいくものを完成させることが出来たのです。

  私は、小説という枠に縛られず、自由に自身の中にある意見を押し出す方が得意だったようです。

  そして、「私ももう少し挑戦してみるよ」と一輝君に伝えようとしました。

 この文章の内容を、一輝君に直接伝えることは難しいかもしれませんが、「先生も雲の上に行けるようになったかもしれないよ」と伝えようと思いました。

「つまらない」と言って暗い顔をしている一輝君に、輝いている私の背中を見せてあげたいと思ったのです。

 私は、休み明けの学校へ行くのが待ち遠しくなりました。

 ——早く一輝君に、私が昔の夢に向かって進み始めたことを話したかったのです。

  そして、「一輝君もきっとできるよ」と、伝えたいと思っていました。





 三日後、私はいつものように朝目覚めて学校へ行く準備を始めました。

 顔を洗い、歯を磨き、服を着替え、トーストを一枚とコーヒーを軽く啜って家を出ました。

  玄関を出ると、気持ちのいい日差しが私を包み込みました。

 今日は気持ちのいい天気です。

  私が好きな、綺麗な白い雲がたくさん並んだ、青空が広がっています。

 そして、学校に着くと、校舎の屋上に何かの人影を感じました。

 ふと見上げると、そこには一輝君がいました。

  そして、私と目が合いました。

「何をするつもりなんだ」と焦燥感が急に芽生えた瞬間に、一輝君は私から目を離し、空を見上げました。

  そして、私に笑いかけた後に学校の屋上から転落して死んでいました。



  私は、自身を過ぎ去っていった風が、全ての意識と感覚を持ち去っていったかのように、呆然とその場に立ち尽くしてしまいました。

 空には大きな大きな、白い雲が浮かんでいました。


 彼は一体、どこへ行こうとしていたのでしょうか。






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