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道楽 ー地獄ー

プロローグ


 癒えることのない傷が、胸の中に残っている。

 突然現れては消える渦潮のように、私の胸に黒い渦が巻き起こっては、私の心身をかき乱して去っていく。

 一度飲み込まれてしまうとどこへ連れていかれるか分からない渦潮ような——そんな黒い渦。私がどうなるのかなんて知らずに、そいつは私を中枢部分から粉々に破壊していく。

『痛み』というものは、一生自分の中に残っていく。どうにかして自分の中に巣食っている痛みを振り払おうとしても、痛みが自分の中から消えることはない。

 むしろ、振り払おうとすればするほど、自分の傷をどんどん抉っていくことになる。

 痛みは、癒すのではなく、自分の中に取り込んで、それを踏み台として成長していくためにある。もし、痛みが無くなることがあるのだとすれば、それは自分が一回り成長した証だろう。私はまだ、未熟なのかもしれない。

 私はずっと、この痛みを胸の真ん中に抱えたまま生きている。

 私の祖母は、「全ての痛みは成長痛なのだ」と言った。「痛みが人の美しさを作り上げている」と、幼い私に言ったのだ。

 本当にそうだろうか。私はずっと、考えている。

 何のために悲しい思いをしなければならないのか、何のために、傷つかなければならないのか——私には分からない。

 頭がジリジリと痛む。気圧のせいだろうか。
「そういえば、何で気圧の影響で頭が痛くなるんだっけ」と思ったけれど、考えようとして止めた。面倒くさい。

 そんなことを考えてもこの痛みは引かない。

 窓の外から見える景色は、まるで世界の終わりが近づいてきているような、そういう不気味な雰囲気をまとっていた。

 空は鉛のような、どす黒い——といっては誇張になるが、黒に近い濃い灰色の——雲に覆われていた。雨が地面を刺すように降っていて、僕は窓からその光景を眺めていた。

 雲の隙間は一つもなく、昼過ぎなのに外は薄暗くて、気分が上がらなかった。分厚い長方形の窓には大粒の雫が沢山ついていて、外の景色が霞んで見える。

 もうすぐ、飛行機が飛び立つ。アムステルダムにあるスキポール空港から目的地であるパリのシャルル・ド・ゴール空港へ向けた飛行機に、僕は乗り込んでいた。

 今からフランスのパリを経由して、妻と一緒に、日本へ帰る。もうすぐ、二十年前に死んだ妻と娘の命日なのだ。時間が経った今でも、毎年必ず命日には今の妻と一緒に、前の妻と子供の墓参りに行っている。

 新しい妻——といっても結婚したのは十七年前だが——とは、パリの空港で合流することになっている。彼女はある画廊に用があってフランスへ、私はとある祭りに参加するために、オランダのアムステルダムへと来ていた。

 ここ二週間はそれぞれ離れて暮らしていたので、久しぶりに彼女に会えると思うと少し気分が晴れたが、外の天気と胸の痛みのせいか、気分爽快とまではいかなかった。

 特に早急にやらなければならない仕事も無かったので、飛行機に乗っている間、気分転換に先月買った新しい本でも読もうかとカバンから取り出してみたけれど、今新しい本を読む気分にはどうしてもなれなかった。

 何をしたらよいのか分からず、ただぼーっと地面に降り注ぐ雨を見ながら、時間を過ごしていた。

 大粒の雨が街全体の活力を吸い取るようにして降っている。青色の透き通った空に心を躍らせる日がある反面、鉛のような雲が空を覆っている日はそれだけで気分が落ち込む。

 数分して、飛行機が飛び立つ時間になった。飛行機がゆっくりと滑走路へと入っていき、飛び立つための直線ルートに入った。

「久しぶりの日本か」

 そう言って目を閉じると、今までの思い出がうっすらと浮かび上がってくる。しばらくして、機体は急加速し、超高速で滑走路を駆けた後、ゆっくりと機体は空へと浮かび上がった。

 改めて、窓から外の景色を眺めてみる。町中どこもかしこも、空を覆っている暗い雲のせいでどこかどんよりして見えた——思わずため息が出るほどに。

 飛行機はそのまま上昇を続け、雲へゆっくりと近づいていく。——町がどんどん小さくなっていく。

 やがて、窓の外は雲に覆われ何も見えなくなってしまった。

 いつから、雨が嫌いになってしまったのだろうか。幼い頃は傘を差さずにあえて濡れながら水たまりに飛び込んで行っていたのに。いつしか、雨のことを地球全体をどんよりとした空気で包む、汚い水として見るようになっていた。

 目的地までは数時間かかるし、やはり本でも読もうかと思って仕方なく、先程の新品の本の代わりに、ボロボロの小さい文庫本サイズの本をカバンから取り出した。


『道楽—地獄—』


 私が若い頃に自分の人生に絶望して書いた遺書を基に、作り上げた(自伝的)物語だ——遺書といっても、親族に対してではなく、この社会に対して書いたものだ。そのとき、私は妻と娘を失い、遺書を書いて温かいメッセージを残す相手がいなかった。

 画家としてそれまでずっと生きてきた私にとって、『本を書く』というものは初めてのチャレンジで、とても苦戦していた。

 しかし、長い時間をかけてようやく形になった。

 昔絶望して書いた遺書。

 それを基に、この物語を書いた。私はこの本を、生きるために書いた。

 この社会で生き抜いていくために、いざというときに帰ってくる場所を作ったのだ。さながら、この物語は私の聖書である。マイバイブル、というやつだ。

 もう何百回も読んだ。ボロボロになっては新品に取り換え、またボロボロになっては新品に取り換えを繰り返してきた。

 今の本は十七代目だ——一年中持ち歩いていたら、年に一回は新しくしないと本がバラバラになってしまう。

 絶望から這い上がっていくためには、狂気が必要だと私は思う。

 いや、生きていくことそのものにさえ、狂気が必要だ。正気の人間には、この世界を生き抜いていくことはとても難しい。

 みんな、何かに縋りついて生きている。そして、縋りついている対象から得られる刺激や興奮を幸せと錯覚して——あるいはそう信じ込ませて——生きている。

 ボロボロになった本の表紙を見ながら、全てが壊れてしまったあの夜を思い出した。

 僕はもう一度外の景色を見た。相変わらず、どんよりとした雲の水滴が窓の外で機体の進行方向と逆向きに線を描いている。

 痛みは成長痛だと思って、癒すのではなく自分の中に取り込んでいくもの。そして、自分の中に取り込もうとして耐えられない痛みは、一旦丸ごと吐き出してしまうこと。

 不器用な私達は、生きていくことだけで精いっぱいだ。

 これまで沢山の文化や人々に触れてきたが、人の考えや人生というものは、本当に様々だ。

——何のために生きるのか。

 生きる理由は、本当に人それぞれだ。

 幸せに生きていける人が、もっと増えて欲しい。だって人は、楽しむために生まれてきたのだから。幸せになるために、生まれてきたのだから。


 手元にある本をじっと見つめる。いろいろなものが、胸の内側からこみ上げてくる。

『道楽—地獄—』を読み返すと、私はいつでもあのときの苦しい記憶を、体の痛みと共に思い出す。しかし、その痛みこそが、今の私を作り上げているものなのだ。

 だから、私は何度でもこの本を読む。痛みを自分の中に刻み込んでおくために。

 一番底にいたときの自分が、何か次に進むための道しるべになってくれるかもしれない。

 また、昔の自分に会いに行こう。


 最初のページを開こうとすると、急にあたりが真っ白な光に覆われ、私は思わず窓の外に目をやった。すると、先程までいた薄暗い環境で大きくなった瞳孔に、鋭い太陽の光が目を差した。思わず、顔を両手で覆う。痛い。

 目が慣れてくると、初めて外の光景を見た。
 そこには、息をのむような綺麗な青空が広がっていた。

 先程の空を覆っていた不穏な雲は眼下へと移り、さっきまで影も形もなかった太陽が眩しく輝いていて、雲も綺麗な色をしている。

「あぁ、これだ」と声が漏れた。久しぶりに見た——銀の裏地。

 私が目指しているのは、この光景なのだ。私は未だに、空へ飛び立つために、滑走路を高速で走っている最中なのだ。

 これまで五十年近く生きてきたけれど、未だに自分が取った選択が正しいものだったのかは分からない。しかし、正解を選ぶことなど、誰もできない。自分にできることは、自分が選んだ道を正解にすることだけだ。

 自分の人生は、自分で決めなければならない。


 しばらく目の前に広がる青空を眺めたのち、膝の上で閉じていた本のページをめくった。


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