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AIに勝てる文章は「日記」だ。

――どれだけAIが学習したって書けない文章を僕たちは書ける。自分が経験したものを、そこで生まれた感情を書き留めればいいんです。日記を書けばいいんです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

大学生作家として本を書いたり、本を届けたり、本を届けるためにイベントを開催したりしています。

今回は「AIに勝てる文章は『日記』だ」というテーマで話していこうと思います。




📚noteという日記

僕は20歳になったことをきっかけに、何か新しいことを始めたいと思い、noteで記事を書くことにしました。ブログもエッセイも書いたことなんてないから右も左も分からなったけれど、とりあえずその日に伝えたいと思ったことを書くようにしていました。

毎日1500~2000字くらい書いてきて、気が付けば3カ月、1年、2年と経ちました。最近は慣れてきたからか、書きたいことが多くなってきたからか、アベレージ2500字書くようになりました。

そんな日々を繰り返すことができたのは、僕が言葉を紡ぐのが好きだからもそうですが、習慣化されたからという理由も大きいと思っています。歯磨きを忘れてもnoteは忘れないし、どれだけ忙しくても疲れていても日付が変わるまでに記事を書いていました。
#たまに超えちゃうこともあったけど

僕のnoteは、自分の作家としての認知を広める目的もありますが、自分の人生を遺したいという目的も確かにあります。日記なんだから毎日書いた方が良いわけで、それがなんだかんだ強いモチベーションに変わっているのが現状です。

実際、時々過去の記事を見返しては、自分の辿ってきた物語を懐かしんでいます。続ければ続けた分だけ、振り返ったその目に映る思い出の輝きは増すはず。そんな予感を握りしめながら、今日もこうして記事を書いているわけです。



📚悲しみも、夢も、罪も

僕のnoteは公開日記の特性があるので、結構個人的な話になることが多いです。というか、たいていその日に起こったことを受け、その経験からどんなことを思ったか、感じたかを綴っているので、個人的な記事ばかりといっても過言ではありません。

誰に向けているわけでもなく、僕が僕のために書いているときがほとんどだから、伝わりきらないこともあるかもしれません。

僕が書いた作品も、僕がビブリオバトルに出場することも、最近お世話位なっているシェアハウスのことも、多くの人にとっては距離を感じる話題で、身近に感じてくれるのは僕の知り合いばかりなのでしょう。そのうえ僕の初恋の話とか、絶交していた友達と再会しましたとか、小学校時代のこととか、友達と飲み屋で盛り上がっていろ!と石を投げられそうな話題も記事にしてきました。

嬉しかったこと、ときめいたことだけだけではありません。悲しみや罪も言語化してきました。失恋した夜の公園も、ビブリオバトルの全国大会で悔しい思いをした聖夜も、バイトで上手くいかなかった雪の日も、試験日を間違えた大学受験も、同じように綴ってきたんです。

それでも、気が付けばフォロワーは徐々に増えてきて500人を超えたし、全く知らない人からコメントをもらったり、noteで知り合った人とリアルに会ったり……誰からも求められていないわけではなかったんですよね。



もちろん胸の引き出しにしまっておく方が良いものもあるけれど、綴ることで価値が生まれるならそれでいいと思うようになったんですよね。たとえ今は光らなくても、未来のどこかで光っていることを確認できたら、どんな悲しみにも罪にも意味を与えることができる。それに気付いたときから、僕はできるかぎり書きたくないことも書いてきました。

今振り返ると、僕の目には無数の光が灯っています。そのうちのいくつかは、悲しみや罪が光源です。


📚日記はAIに勝てる

昨日、バイトに行く前に、「はちとご」に立ち寄りました。さっきもちらっと紹介しましたが、僕が最近お世話になっているシェアハウスです。家屋の一部を地域に開放する「住み開き」という活動をしているので、コミュニティスペースである「はなれ」がオープンしているときはいろんな人がいらっしゃいます。



昨日は僕の知り合いが「はちとご行きたい!」と言ってくれていたので、案内をするためにもはちとごに行くことにしたんです。待ち合わせ時刻よりも早くはなれに行って待っていました。

そんなこんなでバイトに行くまで、僕はその知り合いや管理人のはやぶささんたちと過ごしていたんです。朝から雨だったけれど、本を読んだり、おしゃべりしたり、日本茶を飲んだり、キャンドルを焚いたり、ステキな休日の朝を迎えることができました。

そのなかではやぶささんからステキな言葉をいただきました。僕とはやぶささんでnoteについて語り合っていたさなかのことでした。

「AIに勝てる文章は、日記だと思ってるよ」


はやぶささん


僕はその言葉に心を殴られました。激しく同意したからです。

どれだけAIが学習したって書けない文章を僕たちは書ける。自分が経験したものを、そこで生まれた感情を書き留めればいいんです。日記を書けばいいんです。間違いだって、罪だって、どんな内容でもいい。

AIに勝てる文章は、その人の人生に依存した日記なんです。

この記事はAIには書けません。僕だから、僕が経験して知覚したからこそ書けるんです。そう思うと、AIの倒し方なんて簡単だし、僕がnoteを続ける意味も再認識できたし、やっぱり人生に勝る物語はないなと思いました。

AIか人間かの二元論ではないけれど、作家や文筆家や趣味で文章を書いている人たちにとって、今回記事で書いてきたようなことを意識すると少し気持ちが軽くなるんじゃないかなと思います。実際、僕はそうでした。これからも人生を物語っていきます。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

20231016 横山黎


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