いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ③ part.15
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
昨日、初めて有料マガジンを刊行したのですが、ありがたいことに、購入のお知らせをいただけました。
嬉しくて泣きました。
人からみれば小さなことかもしれないですが、小さくても、感動で生まれた確かな温かさを伝えられるようなクリエイターをめざしたいです。
いよいよ読了が近付いてきました
「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」
の日です。
最近、私はどこへ流れゆくのだろうかと、想像しています。
もう「どこでもいい」とは言いません。
相手を大切にできるのはもちろんですが、自分自身も大切にされる、そんな場所へと行きたいと願っています。
それでは、参ります。
読み進めていく書籍は、
です。
「前回って、どんな話題だったっけ?」な方に向けて、前の記事を貼っておきます。
また「バックナンバーが見たいです!」な方に向けても、マガジンを貼り付けますので、好きな記事をご覧ください。
ナンバリングが続いていますが、原則1記事完結で読めるように書いていますので、よろしければご覧ください。
「HSP関連」の記事を収納しているマガジン↓
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はじめに
最初にお断りしておきます。
この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、
レビューではありません。
この連載の構成は、
という
個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに
「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」
という「表現」を、共有させていただく記事です。
ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、
何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」
と感じられた時は、
ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。
ですので、
という方は、申し訳ないですが、
・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト
・出版社のホームページ
で、お探しください。
以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、
よろしくお願いいたします。
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【感想:第4章 「敏感な自分」とうまく付き合うには (3) 鈍感な世界に生きる敏感な人たち】
自分を思いやり、自分と和解することで、今まで離れたいった人を考えることがあった。
そう、人を考えていた。
残っている自分ではなく、離れて行った他人を。
他人にふれてもらえて安心感が芽生えるのであれば、どうして自分が自分にふれることに対しては、奇異の目が向けられるのか純粋に疑問に思う。
誰かから受け取れるものはいいのに、自分から受け取るものに関しては、不満を言ったり、嫌だと感じる人が多い気がする。
私もその類いの人間だけど、以前よりもずっと自分から受け取れるものに関して素直な気持ちを表せるようになってきた。
ただそうなると、周囲の人が離れていくという場面を目の当たりにする。
一瞬はへこむ。
でもただではへこまない、私はそこから、自分らしさを掴めているのだから。
人からの愛は称賛されるのに、自分自身への愛は、どこか軽い視線を受けている。
一言そんなことを語ろうものなら「ナルシスト」や「自己中」といったマイナスの意味でのレッテルを貼られる。
それをおもしろおかしく沸き立たせる風潮。
そんなにおもしろおかしく沸き立たせたいか。
真剣に自分自身に愛を求める人がいる。
自分自身への愛が、明日を生きる糧になっている人がいる。
それを誰かの娯楽や消費物にされることが、たまらなく嫌だし、不愉快。
自分の中に充ち満ちているものがあるから、人にも分けたい、求められるならば手を差し伸べたい、と思えるのだろう。
満たすことを、言うほど簡単にできない人もいる。
それはきっと、自分自身をよりよきもので満たしたいと、自分ひいては世界に対して、全力で向き合おうとしようとしているのだろう。
そう思えただけで、世界は必要としている。
綺麗事かもしれないけれど、今の私が見いだせたことだから、多分、それを世界は欲してる。
「私は私を愛す」という自己愛を。
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【学んだこと】
先週から「セルフラブ」について考えているのですが、今ほどこれが必要になってきている時代はないと思っています。
さて、サン博士はここで、これらの方法を提示されています。
自分自身に共感を示すことや、セルフハグや肩を叩いてあげることで、
自己に対する愛情に飢えていることに気が付く瞬間があります。
そうなると、人によってのですが涙を流される方がいるそうです。
また逆に、激しい抵抗を示される方もいます。
私は両方の状態を持っていたので、今よりも自分を受け入れたくない気持ちの方が強く「こんなポンコツ人間、なにか有能な人と代えて欲しい」と思いながら、できない期間を過ごしました。
今となってはいい思い出ですが、自己愛がない状態で、自分自身に他者や社会から期待される姿や能力に応えていくことは、ある意味で危険だと感じました。
物理的な圧力がかかるのではなく、精神的な圧力が大きいです。
精神は人が思うほど強くありませんし、精神を支える愛は、今の社会の中では育ちにくいと言わざるを得ません。
だからこそ、自分で自分を思いやり、和解できることは、それだけで今を生き抜く力があると言えるのかもしれません。
心理セラピーに関して、サン博士はご自身の体験も交えて、次のように語っておられます。
確かに、誰一人として自分と同じ感度を持っていて、同じ思考ができる人に、まず会うことはないでしょう。
それを前提として、社会に合わせていくのが、今のカウンセリングで展開されていることです。
この状態を「個性を潰している!」とは思いませんし、誰かと生きていくのであれば、どうあっても妥協や譲歩は必要になってくる部分はあるでしょう。
ですが、今の社会に合わせることを目的としたカウンセリング形態を、HSPの人がまともに受けるとなると、今の状態よりも、さらに悪化する状態の人が、一定数いるのではないかと思います。
私自身は、まともにカウンセリングを受けてワークをして、悪化したパターンなので、ネガティブ視点を持ってしまうのかもしれないですが、少なくとも手放しに「話を聞いてもらって、すごく楽になったよ!」とは言えません。
どうしても「集団への復帰」という意味合いを帯びることが多いのですが、集団に復帰する前に、自分自身に復帰できないと、本当に何も出来なくなります。
自分を思いやり、和解をすることは、集団に帰る以前に、自分を自分とする大切なことです。
心地良く過ごすことに敏感であることは、最終的に、その恩恵は、自分と繋がっている誰かにも、つながってくることなのだ考えています。
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【自分でどのようにいかすか】
昨日、初めて有料マガジンを刊行したのですが、そうしたことができたのも、自分自身への思いやりや和解を「有料マガジンを刊行する」という目的の基準に満ちたから、とも言えます。
特に難しい人には難しい、自分への思いやり、和解、自分らしくいることの喜び。
これを受け入れられた先には、一体なにがあるのでしょうか。
自分自身にいかすことで考えると、やはり「ご自愛」になるかと思います。
相手には言えるご自愛なのに、なぜか自分相手だと急にご自愛出来なくなる不思議です。
本来、誰かの視線を気にすることなく、ご自愛していいはずです。
それが、どうして自分を労ってあげること、癒してあげることが、好奇の目にさらされるのか、他人のおもしろおかしい話題にされるのか、甚だ疑問です。
「苦しいことを進んで買え」「若いうちに苦労しておけ」という言葉を今でも聞きますが、苦しいことを進んで買って、若いうちに苦労することを積極的に関わった結果、生きにくくなった人が少なくないです。
決まり文句のように言われている言葉ですが、裏でどれだけ多くの人が「苦労」を「自分の体験していることは”苦労”とは言えないだろうから、もっと苦しまないと苦労とは言ってはダメなんだ」と思われているのでしょうか。
これを想像すると、まだまだ「自分を大切にする」という標語だけが、社会を独り歩きしている印象を受けます。
苦労することを「ご自愛」と考える人ならばまだしも、そうでない人も、この世界で生きているのが事実です。
自分自身を思いやり、和解し、自分であることを喜ぶことが、巡り巡って誰かの役に立てていることになるのは、いけないのでしょうか。
その部分での共感を得るには、心地良いとは言えないのが今の日本だと思っています。
私自身、人から見ればちっぽけなことかもしれないですが、有料マガジンが読まれる読まれないといった不安な気持ちのソワソワを和らげてくれるのが、自分自身への慈しみなのです。
「これを書くのは勇気が要ったよね、頑張ったね」と自分を思いやること。
「うまく書けて無くていいんだよ、次書く時はここをこうしたいね」と自分と和解すること。
「ほら、できたね!また一つ夢が叶ったね」と自分で自分の喜びを一緒に分かち合えること。
どれも「敏感な自分」が、意識上の私を助けてくれているからこそ、ここに記事ネタとして書けるのです。
ご自愛は、自分自身の回復力、自分の自分による自分のための生きる力です。
今の社会情勢を考えると、これからもっと必要になってきそうだと思っています。
自分を愛した結果、人・もの・ことが離れても、不安がないとはいいませんが、それでいいです。
「自分の生命への温かな眼差しは、自分が一番に受け取っていたい」と、思っていいのではないでしょうか。
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みなさんから反応いただけることは、とても貴重なことです。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさん、よき夜の時間をお過ごしください。
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。