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自分の「女性」に、優しくなるまでの話

みなさん、おはようございます。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


ここ2~3日、いろいろなメディアで「生理の貧困」が話題になっていますね。

「PMS(月経前症候群)」や「生理痛」に関する話題も、少なくとも1年前に比べたら、よく耳にするようになりました。

性に関することとして、いまだにタブー視されたり、避けられたりする話題ですが、自分なりに向き合い、考え続けたい問題です。

行動としては弱いかもしれないですが、タブーという理由だけで、もう目を背けたくはないので、積極的に調べ考えていきたいと思っています。


さて、私は今、「月に一度の週間」最中で、すべてのやりたいことや、やるべきことが、全体的に停滞、もしくは手を付けられないでいます。

今、こうして文章を作成している時も、身体の倦怠感がすさまじいので、無理をせずに、でも、記事作成するなら、楽しく更新したいと考えています。

以前の私であれば、

「自分の行動によって、社会に対する生産性を落としてはいけない」

と思い、自分の心身に鞭を打っていたのですが、このnote生活が始まってから、次第に自分の心身に対する態度が変化し、今では

「今はゆっくり休んで、元気になったら楽しく創作しようね。」

と、自分に声かけができるようになりました。


記事の内容としては、個人的な内容も含む、センシティブな話になるかもしれないとは思うのですが、世の中に浸透するにはいい時期だと思いますので、このまま公開します。

「そうした話は苦手です」

「今はまだ、耳に入れたくないです」

という方は、どうぞ「ブラウザバック」でお戻りください。

またどこかの記事で、お会いできたら嬉しいです。


「綺羅の話からでも、考えてみたい」

「それって大事なことだし、綺羅はどう考えているのか聞かせて欲しいな」

という方は、どうぞこのままスクロールしてご覧ください。

拙い表現になるかもしれないですが、お付き合いくださると幸いです。



🌙


人によって症状が全然違うので、「私の場合」として、この先の話を進めていきます。


私は「PMS」「生理痛」ともに症状が重く、どちらかの期間で、1日はほぼ寝たきりになります。

その時の、主な身体的な症状として、

「偏頭痛」「吐き気」「身体の倦怠感」「腹痛」「腰痛」「味覚の変化」

があります。

ちなみに、「味覚の変化」についてですが、私は普段、味噌、キムチ、すしを食べますし大好きなのですが、この時ばかりは、

「近づけられるのも嫌な食品」

に変わってしまうのです。

味噌とキムチは、あの独特な匂いに嗅覚が耐えられず、すしは、魚の生の食感に気持ちが悪くなってしまいます。


この時、家で食事を作ってくれる母に、該当する食べ物が食べられないことを伝えます。

栄養学的には、食べないといけないとか、不足するから補わないといけないという理由で、体調の変化によって苦手になるものを無理矢理食べることは、

私が、食べ物に対して申し訳ない気持ちになります。


食べ物で栄養を摂取し、体力作りも大切ですが、

「自分の食べたいものを食べて、幸せな気持ちになる」

「”今はこれ!”と言えるものを食べて、次の行動も頑張れそう!」

という、こころや気持ちを満たしてくれるのも、

食べ物が果たす立派な役割だと思っています。


どんな食べ物を摂取すればいいのかは、多くの解説本に載っています。

そうしたことを知りたいのではありません。

「味覚の変化」によって、普段食べられるものが食べられなくなることが、

どうして「付き合いが悪い」とか「なんで食べられなくなるのか分からない。」と思われることにつながるのかが、甚だ疑問です。


自分に優しくしたい時の「食べ物」は、自分で決めていいはずです。

「食べる=栄養」だけでなく、

「食べる=こころを満たすこと」

も同じように重要視していい視点ではないだろうかと、思うのです。



🌙


また私は、精神的な不調も同時に現われます。

「憂鬱」「無気力」「落ち込み」「自己無価値感」「いつも悲しい」

といった状態です。


普段では、そんなに落ち込まない出来事やミスでも、すべて、なにか手違いや失敗が起こると

「自分への全否定」という考え方につながるのです。

本では「なるべくストレスのかからない環境で過ごす」とか「リラックスを心がける」と書いてあるのですが、今の日本社会そのものは、どちらかと言えば、

社会が要求することに応えられない人には、厳しい気がします。

「社会が要求すること」と聞いて、人よって何を考えるかはさまざまですが、今の世の中では「経済を回す」「社会的生産性を上げる」といったことになるのでしょうか。


精神的な不調が出て来ると、「経済を回す」「社会的生産性を上げる」ことが出来なくなる私自身を、

社会にとっては「害悪になる存在」にしか、なれない

と、思っていました。

元々「自己をそのまま認めることをはばかられる環境」にいて、それが普通になっているせいなのか、働けなくなる、動けなくなる自分に

「こんな”欠陥品”みたいな、からだとこころが嫌だ」

と泣いて過ごすことが多かったです。


「いや、薬飲めばいいじゃん?」な話にもなるのですが、3~4種類の専用の薬、漢方薬等を試したのですが、私には副作用が強く、身体には合いませんでした。

これだけ合わないと、自分に合う薬を探すのも、嫌になります。

みんな普通に薬を飲めば元気になれているのに、自分は元に戻らない「悲しさ」や「妬み」で、心身がいっぱいになっていきました。


以前の職場で、一度、同じ女性先輩職員に相談したことがあるのですが、

「生理痛が酷いのは、身体の機能に、どこか異常があるのではないか?」

と、言われたことがあり、表には出しませんでしたが、ショックでした。

なんだか「あなたの身体は、どこかおかしいんじゃないの?」と言われているみたいで・・・。

「あなたは、生産性が少ないんじゃないの?」と言われているように聞こえて、その発言の後の話は、上手く理解ができませんでした。


そんなトラウマや傷も、ひっそりと抱えて、note生活でみなさんの記事を拝見させていただいていました。



🌙


ここでは、本当に多くの、さまざまな経験をされている人に出会うことができます。

私よりも、もっと厳しい経験をされたり、判断を下されたりしている人が、多いと思います。

それでも、noteを読む誰かに向かって、

心を込めて、ご自身が経験されたセンシティブな出来事を記事にしていただけることは、やはりとても勇気付けられますし、癒されます。


あの場面ではわかって貰えなかった辛さを、ここでは「わかるよ」と認めて貰える安心感。

自分を否定し、社会に許しを請うことでしか許されないと思っていたことを、「大丈夫、それでいいんだよ」と理解して貰える嬉しさ。

これら2つのことは、

私が今まで経験してきた「月に一度の週間」で、常に欠けていた感覚です。


ここでは当たり前のように、誰かの調子が悪くなったら、

「ゆっくり休んでね!」

「返信はお気遣いなく。」

「また元気になったら話そうね♪」

といった、それぞれの事情を大切にしてくれる雰囲気が強く、発信しやすいです。

加えて、私は現在、フォロワーさんを絵にすることが停滞してしまっていて、申し訳なくなるのですが、ここまで大切にしていただけて、

「同じ描くなら、元気にバリバリ創作できる時に創作して、納得のいくものを描きたい」

という”自分にも優しく”という視点を持つことに、抵抗がなくなりつつあります。


こうした状態の私も、多分、誰かにとって必要なモデルで、人間なのかもしれないと、多くの記事にふれていて、考えられるようになりました。

早くにできなくて申し訳ないですが、大切な人たちに、私も心を込めて作品や記事を送りたいので、もうしばらくお待ちいただけると嬉しいです。


こころと同様に、からだも、誰一人として「同じである」ことはないと思っています。

この国は、人間がどこまで「同じであること」を求めるのでしょうか?


これからの世代の子たちが、今の時代よりも、さらに「生きやすい」と感じる世の中をつくっていくことが、私たち大人に課せられていることなのかもしれません。

世界中の女性に、多くの幸せが実りますように。



🌙

トップ画像は yumetama様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからのスキに、いつも元気をいただいてます。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございます!

まとまりがない文章でしたが、読んでいただけて、嬉しかったです。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、どうぞご自愛ください。


私も、今日はもうnoteからログアウトします。

気温の変化も激しいですので、温かくしてお過ごしくださいね。



クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。