私が子供を産んだ時のお話。~長男~
こんばんは。キュイです。
今日、4月17日。
私の長男のお誕生日です。
おめでと~。
せっかくだから、今日は長男が生まれたときのお話を書いてみようと思います。
あ、大丈夫です。生々しい話はありません。
なにせ、6年前の話です。
全然覚えてません(笑)
その時の印象的だったこと、妊娠の頃から遡ってみようと思います。
2015年8月末。
妊娠が判明しました。
私はその年の5月に結婚したばかりでした。
子供については、主人とは特にいつ、とかの話はしていませんでした。
できたらできた。
そんな感じでした。
そしたら、妊娠発覚。
いや、早いな、と。
特に計画してとかそういうことはありませんでした。
予想もしてなかったので、驚きはありましたが、困ったなどはありません。
純粋に、嬉しかったです。
私、子供の頃は絶対子供産みたくないって思ってました。
痛いのが嫌だから。単純な理由です。
それに、男の人も苦手だったから、自分にそういう未来があると思ってませんでした。
そもそも、子供自体が苦手で。それは今もですけど。
自分の子は違いますよ?よその子が苦手なんです。
まぁ、それはいいとして。
丁度妊娠が発覚するとき、私は地元に帰省することが決まっていたので、地元の病院に最初から行きました。そして、妊娠3か月くらいと判明。
そんな中、引っ越しというね。
初産ですから、すごく調べました。
妊娠初期に引っ越しはよくないと書いてあるのをみて、めちゃくちゃ戸惑いました。
まぁ、決まったことだし仕方ないので引っ越しましたけど。
本当に何もかも初めてで、とにかく不思議でした。
それに、初めてなのは私だけではありません。
私の実家も主人の実家も、どちらも初孫になるわけでして。
まぁ主人の実家の方は離れてますから、そんなに何かしてもらったわけではありませんが、私の実家ですよ。
妊婦初めて、というか、久しぶり過ぎる感じでして。
だから、みんなものすごく気を遣ってくれるのです。
ただ、私、人に頼るのが苦手で。気を遣われることも苦手だったりして。
正直、ちょっと戸惑いました。
これがマタニティブルーなのか・・・?
もちろん、とてもありがたいです。
実際、お腹の赤ちゃんはかなり順調だし、私自身もつわりはほぼないし。
だけど、いわゆる腫れ物に触るような扱いに近かったので、私も結構戸惑いましたし、嫌な態度を取ったかなと反省してます。
父方の地元が東北なのですが、そちらに結婚の挨拶もかねて車で行くことになったんですけど。
妊娠5か月くらいだったかな。
いや、長距離過ぎるやん。
でも、まぁ、言えずね。
休憩はさみつつ行きましたけど。
そっちの東北の方では、妹たちが随分気を遣ってくれまして。
むしろ、私は病人か、というくらい気を遣われて、私もストレスだったのか、結構冷たい態度を取ってしまったかもしれない。
だって・・・頼りたくないし、大丈夫だったし。
マタニティブルーか?
まぁ、無事に帰ってこれました。
そしてね、私はももクロちゃんライブにも行ってるんですよ。
ただのライブじゃないんですね。
真冬の屋外スキー場でのライブっていう。
これは、確か他記事に書きましたね。
有安さんに心配して頂いたやつです、はい。
妊婦、というか妊娠というものを甘く見てましたね。
何事もなかったから良かったんですけどね。
今思えばハチャメチャですよ。知らないってこわ~い。
その後もライブには行きましたけどね。
まぁ、ドームツアーでしたから、お腹大きいけど大阪まで行っちゃいましたね。
でも、正直今しかないと思ったので。
子供生まれたら自由に動けないことは分かっていたので、安定期の今のうちにと思って参加してました。
なんなら、生まれるギリギリ4月の関東まで行こうとしてましたからね。
さすがにそこは諦めましたけど・・・。
そして、出産が近くなりまして。
子供が生まれたら動けない、ということを理解はしていたので、やれることやっちゃおうと思ったんです。
予定日の2週間くらい前にマタニティフォトを撮って。
かなりお腹大きかったですよ(笑)
そして、カラオケにも行っといて。
とりあえずやれそうなことをやったんです。
早めに出産時の入院準備もしとこうと思って、カバンに入れました。
そして、なんとか10日前までにやれたんです。
そしたらビックリ。
突然陣痛的なものが。
やることやったら突然です。
4月17日の深夜1時頃でした。
お腹がなんかチクチクすると。
まぁ、我慢は出来たし、予定日まで10日あったので、とりあえず寝ていたんですけど、寝れない。
チクチク定期的にするので、寝れないんです。
そして、朝方7時頃、さすがにこれはおかしいと。
女性なら分かると思いますが、生理痛みたいな痛さでした。
波があって、定期的にくるやつです。
私、当時は陣痛タイマーとか知らなくて。
病院からもらった、連絡するタイミング的な紙を参考にしていて。
確か痛みが10分置きくらいになったら電話して、と書いてあったかな?
朝7時頃、そんな感じになったので、病院に電話したんです。
そしたら、「う~ん、もうちょっと様子見ましょうか?」。
実は、この数日前に妊婦健診に行ったんですけど、赤ちゃんが全く降りてきてない状態で、子宮口も全然固かったんです。
さらに予定日まで10日もありますし、初産ですから、病院側はまだ、という判断だったんでしょうね。
でも、痛いんですよ・・・。
ご飯も食べれず、ずっと1階で唸ってる状態です。
ちなみに、当時亀を飼ってまして。クサガメちゃんを2匹。
その子たちが、心配して水槽の中の私の方に寄って来てくれるほど痛がってました。
それで、15時頃、さすがに我慢できなくてもう一度病院に電話。
「我慢できない?う~ん・・・。じゃあ、一応病院きましょうか」
めっちゃ渋ってる~。
そりゃ、経験豊富な助産師さんからしたら、まだまだ余裕あるだろ、と思いますよね。
私だって、健診でまだまだと言われて、予定日まで10日もあったら生まれると思わないですよ。
でも、痛いので、とにかく病院へ。
病院で分娩室に寝かされました。
「このまま泊りになるかもしれないので、夕飯出るか確認してきますねぇ」
すごい余裕です。。。逆にありがたい。
でも、私はそんな余裕ない!痛い!
でも、助産師さんの触診では、やはり赤ちゃんは降りてないし子宮も開いてませんでした。
なので、主人に「まだ当分産まれないかな。夜中になるかもしれないので、自宅に帰ってていいですよ」と言いまして。
主人もさすがに15時から夜中までいても仕方がないので、一時帰宅。
そしたらですね。
私はイキンでるつもりはなかったんですけど、何回目かの痛いタイミングで何かがパンっと弾けたんですね。
さすがに驚いて、ナースコール。
「すいません、なんか出ました・・・?」
言い方よね(笑)
助産師さん、すぐ来て、確認。
恐らく破水でした。でも子宮開かないっていう(笑)
でも破水しましたから。
「じゃあ準備しましょうか。旦那さん連絡してね」
そういわれて電話したけど、出ない。
そりゃそうですよ。
帰宅して30分くらいしか経ってないから。
まさかもう生まれるとはね。
それからしばらくして主人からコールバックがあって。
「もうすぐ生まれるよ!」
「まじか!今行くわ!」
どうやら、近くで買い物してたようで。
病院にきたとき、立ち合いお助けグッズを持ってきました。
テニスボールとかストローとか。
やるね、主人!!
そして、あれよあれよと子宮は開き、赤ちゃんは降りてきて、慌てて先生登場。
助産師さんに呼吸等助けられて、無事出産!!
このときの痛みはさすがに忘れました。
むしろ、私は産んだ後会陰が裂けてしまったので、縫ってもらったんですが、そっちの方がとんでもなく痛かった・・・。
結果的に生まれたのは18時24分。
いや、ある意味スピード出産。
開いてない子宮口が一気に開いて一気に生まれるという。
早く出てきたかったんだねぇ。
重さも約2700gと丁度良い大きさでした。
実は、これ以上大きくなると産むの大変と言われてたので、めちゃくちゃ安心しました。。。
私の初産は、こんな感じで結構あっという間でした。
助産師さんから見たら安産だったそうです。
私も安産だったなと思いました。
産んだ後、ご飯を食べ損ねた主人と病室で一緒に夕飯を食べて、その日は一人で就寝。
翌日から赤ちゃんライフが始まるのです。
一つ印象的だったのは、翌日のテレビのニュース。
熊本地震が起きていたんですね。
それで、ニュースで、家族が埋まってしまっていたり、探しているのを見守っていたりするのが流れていて。
亡くなった方のことも放送されていました。
私はそのニュースを見ながら息子を見つめました。
この子はこうして生まれたけど、失われる命もあった。
自然と涙が流れました。
そんな中。
実はこの日、日曜日でして。
私の主人、日曜日しかお休みがないので、めちゃくちゃ良かったなと。
しかも、日曜日って私の実家の家族もみんな休みでして。
こぞって心配して見に来てくれたんですね。
なんなら病院にまでみんな来ましたから(笑)
生まれたての赤ちゃん、しっかり見ていきましたよ。
今なら考えられませんね。
病院には部外者や、なんなら主人まで入れませんから。コロナで。
翌日から母子同部屋で、日中は入院中毎日誰か来るというね。
そして、退院1日前かな。
主人が赤ちゃんの名前を決めてきてくれました。
これ、ちょっと面白エピソードがありまして。
私が夜中に陣痛っぽいので痛がってる中、主人はその隣で突然子供の名前の候補の話してきたんですよ。
いや、今痛くて考えられないけど。みたいな。
なのにずっと言ってくる。
私、適当に返事。今無理ですけど。
そんなこともありましたが、結果的に主人が決めた名前にしました。
日曜日でみんなが集まれる日に生まれてきたことから、たくさんの人に囲まれる人生を送れるような漢字を使いました。
絶対被らないだろうと思ってたんですけど、漢字は違えど、同じ読み方の子、割といた~(笑)
まぁ、それはね。いないことはないでしょうね。
ちなみに男の子です。とっても可愛い男の子。
退院までに、基準体重に行かなくて、再診になってしまったんですよね。
というのも、初めての母乳、初めてのオムツ。
オムツなんて見方分からなくて、おしっこが出たかどうか回数書くんですけど、どうやって数えるの?!みたいな。
「オムツのラインが青くなってれば出てるよ」って教えてもらったんですが、ずっと黄色い。
今思えば、出てなかったんですね。
う●ちのときは青くなってましたけどね。
母乳に関しては、赤ちゃんの方が下手で、咥えられないんですよ。
なので、飲みやすくなるやつ付けてたけどやっぱり難しくて。
最初のうちは搾乳して哺乳瓶で飲ませてましたが、搾乳だとやっぱりお乳が出なくなってきちゃうんですよね。
結局早々にミルクに切り替えました。
それで、体重が引っかかってるので、再診行ったら、めちゃくちゃ増えてました(笑)
ミルクすごっ。
そこからがすごかったんですよ、彼は。
ずっとミルク育児でしたが、めちゃくちゃ飲む。
規定量超すぞというくらい飲む。
よく寝る。
でもミルク足りないとすぐ起きる。
でも規定量超えてる・・・。
とにかく飲む子でして。
結果、1か月経ったらまるまる太ってました(笑)
異常な増え方ではなかったので、健診では問題ないと言われましたが、まるまる太っていき、8か月ごろには10キロいってましたね。
体重が多かったので、寝返りが遅かったほどです。
心配になりましたけど、まぁ、こんなもんかと。初めてですからね。
まぁ、周りの子より明らかにデカかったけど(笑)
これが、怖い事にその当時はデブだったと思ってなかったんですよ。
赤ちゃんなんてこれくらいが可愛いでしょって。そう思ってて。
でも写真を見返すと、ようやく理解しました。
いや、デカいわ。太ってるわ。そりゃ二度見されるわ。
こんなデカい子を片手で抱っこしてた私って。。。
でも、やっぱり可愛いのです♡
そんな彼も、動き始めればスマートになっていきまして。
歩くのもちょっと早かったので、みるみるうちに痩せていきました。
痩せた、と言っても体重は減ってないですよ?動くので余分な脂肪が落ちた感じですね。
今じゃかなりスタイル良いです。
足なんて、むしろセクシーです(笑)
そして、昔からですが本当に顔が可愛い。
親バカとか言わないでくださいね?ガチで可愛いですから。
彼がよその子だとしても、可愛いと思うレベルですから。
主人といつもそんなことを言ってます。
そんな長男も気づけば6歳。
年長さんです。
ランドセルが売ってるのを見ると、もう選ぶ時期か、としみじみ。。。
こんな時代じゃなければ、もっといろんな経験ができたのに。
丁度年少になったころなんですよ。このコロナが始まったの。
本当に可哀そうで。
園児服で通い始めて1週間後、休園2か月。
登園できるようになったのに、イベント類はことごとく自粛。
それが3年目です。
しかも、誕生日の前後、保育園に行けなくなる。
コロナが出てしまったから。
本当なら月曜日に保育園で、「誕生日だったね!おめでとう!」と言ってもらえるのに、月曜日も休みになってしまった。
火曜日に登園したら、先生は言ってくれるかもしれない。でも、コロナでそれどころじゃないかもしれない。
いたたまれないですよ。
連絡ノートに書いておこうかな・・・。
実家で行う予定だった誕生日会も、状況が変化したら中止になってしまう。
こんなことってあり?
私は、誕生日くらい楽しく最高の1日を過ごしてほしい。
ずっと晴れ男だったのに、天気も微妙になってくるし。
どうしたら楽しい嬉しい1日にしてあげられるだろう。
もう当日になったけど、まだ考えてます。
こんな時代。本当に可哀そう。
でも、可哀そうで終わらせたくはありません。
この17日は絶対に楽しく、最高で幸せな日にしてあげよう。
そう改めて決意しました。
ということで、今日は長男の出産のお話を書いてみました。
実はですね、次男の方が産む瞬間、かなり記憶にあるんですよね。
直近だったからとかではなく、生々しくリアルに感触まで覚えてます。
次男は5月が誕生日なので、そのときにまた書こうかな。
長男さんは、色々考えていかないといけなこともありますが、私にとって初めての息子。
親として成長させてくれる大切な先生です。
まずはこの1日を最高にしてあげて、また次の日からは日常と言いずらい日常になるけど、楽しい日を過ごしていけたらなと思います。
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