傷跡があることで生きれるのに、その傷跡が社会的生きにくさをうむ。やめたいと思う自分が出てきて初めてやめれない自分と対面する。

8月3,4週目のメモです。思ったことの羅列です。

マクロビーの「ダブル・エンタングルメント」、二重の絡み合い。家庭と公共空間の差。家庭と学校の教育方針の違いのはざまで苦しんだ団塊ジュニア。それって今でもいえるんじゃない?大学でジェンダーを学んでる学生にも。キャンパス内と外での2重の絡み合い。

傷がないと安心できないし生きれないのに、傷があると生きにくい(人の目とかいう意味で)。自分のいきやすさと社会的いきにくさ。

切ってしまうのはどうしたらいいのか。元気だったのにわざわざ自分で切って自分で沈んでしまうんだけど、これさえも自分ではどうもできない気分の波と呼ぶの?それとも切るのがやっぱ悪い?

切りたいという衝動をどうやって押さえたらいいものか。それとも、もう切ってしまってもいいのか。最近、親の気が滅入るなら、このまま傷跡が一生残って生活に支障きたすなら、やめなきゃくらいには思えるようにはなってきたけど、やめたいと思うようになって初めて、やめれない自分と立ち向かうことになる。ぬ~ん。どうしたら。一応、切らない方がいいってわかってるし、切らなきゃどうもならないくらいの希死念慮だってもう来てないんだよ~。でも切っちゃうよ~。ぬ~ん。

心が機能不全

一日一日生きるしかねぇなぁ

自分の気分がわからないという不安

食欲すらも波がある

刃物を取り上げたら切らなくなるとでも思っているのか。なんのためにやってるのか全然わかってない。この人たちはどんどん境界を犯してくる。

母も気が滅入るんじゃないか

受験とか、そーゆー当人には生活と将来の全てだけど案外大したことないことに、全力で入れる間が生きるのにはちょうどいい

一度切るハードルが下がると、少し考える時間ができたりするだけで、そこにどんどん切りたいって願望がうまってくので、大してしんどくなくても切ってしまうし、逃げられない。それとも大してしんどくないことないのかな。わからん。

普通に過ごせるときもあるのにどうやって呼吸したらいいのかわかんなくなるときもある

理芽の食べなくちゃが、もっと深く切らなくちゃに変換されてしまうぞ

地獄を愛す

死の前ではすべてが同列

自分の顔が好きになれないって、鏡見るたびにくそなえるよな

どうしようもなくなってスタックするしかない

ワンナイトの何がだめなの

明日バイトあるの?と聞いてくるとこ。今日は7時から?と聞いてくるとこ。玄関まで見送りに来ること。彼氏ができたの?話せる友達はいるの?
私がどこで誰と何をしてるのか、会話を通して知ろうとしてくるのがもういらん。それが当たり前すぎて気づいてない。暴露後から増えてる。

あんまり計画を立てすぎるとうまく行かなかったときにしんどいので、ぼんやりいくくらいがちょうどいい

良くも悪くもめっちゃ気分を闇の方に引きずられる音楽ってあるよね

溢れんばかりのもの。プロになるくらい。私じゃ到底及ばなくて凡人で。

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。