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【アラサー女子会】ファミレスで語るこれからの事
「ウチらどうする?」それが私たちの口癖。
高校の同級生である3人は性格は違えど、考え方や価値観がどこか似ている事もあり仲良くなった。特に現在は、フリーランスとして"自分のやりたい事"を追い求めている状況が似ていて、よく集まり語り合っている。
この日も「同級生の◯◯が…」という噂話で盛り上がっていた。(これは女の宿命)
そしてお決まりの「ウチらどうする?」だ。
フリーランスでやりたい事を追い求め
『帰らなかった日本兵』インドネシア独立戦争を共に戦った日本人③
②のつづき
●悪魔隊長の到来
日差しが突き刺さる白昼の山道、木陰に隠れ息を潜める三十人ほどの部隊がいた。黒のイスラム帽に黒の軍服を身に纏い、インドネシア人で構成されたその独立軍の先頭に立つのは、右腕のない隊長、池上 成人(いけがみ なると)だ。
ここ中部ジャワにはスンビン山、シンドロ山の高山が連なる山岳地帯があり、その山腹に池上率いる独立軍は拠点を構えていた。
独立戦争時、都市部に限らず農村
『帰らなかった日本兵』インドネシア独立戦争を共に戦った日本人②
①のつづき
●日本兵とインドネシア人
インドネシアの突き刺すような日差しは木々で覆い隠され、ジメッとした空気中を数匹のハグロトンボが地面スレスレを飛んでいる。
空気が変わった、そんな感覚だった。
ほんの5分ほどの坂道を進んだ先、そのモニュメントは小さな丘の上にあった。
そしてまず目に入ったのは激戦地を指差すバンバン・スゲン氏だ。
石碑にはこう記されている。
記された内容から、国家独立のた
『帰らなかった日本兵』インドネシア独立戦争を共に戦った日本人①
日本語教師として初めての仕事はインドネシアの中等教育機関でのアシスタントティーチャーだった。
アシスタントではあったが、それでも現地では困らない程度の給料を貰える上に、海外で仕事ができるわけだから駆け出しとしては大満足だ。
問題なのは、派遣先がインドネシア・ジャワ島の山岳地帯、つまりど田舎であるという事。
近くに日用品を揃えるお店がない、交通の便が悪い、さらに現地語がままならないという状態では、日
こんな時代だからこそ、藤井風という存在。
彼との出会いはYouTubeだった。
何気なく"おすすめ"に出てきた彼の動画をクリック。
スマホ一つで撮影したのだろう画質と音質は、今時のユーチューバーのそれとは程遠い。
しかし画面の向こう側にいる彼の奏でるピアノと深みのある歌声、さらに人懐っこそうな笑顔と少しコミカルな演出に、気付けば彼の動画を見るのが日課となり、見るも簡単に虜になっていた。
もちろん、こんな才能の塊を世の中は放っておく訳