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エッセイ

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#文章

ケチんぼ / エッセイ

ケチんぼ / エッセイ

 人生ではじめての身につけた真面目な腕時計はセイコーのものだった。細身の腕に大振りで、まるで似合っていなかった。それでも妙に愛着があって、その腕時計はもう手元にないけれど、今でもデザインの細部まで思い出すことができる。時計とは不思議なアイテムである。時間を確認するための道具が資産的な価値を得ている。購入した時の価格よりも相場が上がっている時に売ってしまえば差額が儲けとなる。下がらなければトントン。

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喋るのが下手になった / エッセイ

喋るのが下手になった / エッセイ

 「吉本入ったらええわ」

 僕の生まれ育った大阪では、ひょうきんな子供を捕まえて大人はこう言いました。大阪だけということはなく、近隣もそうだったのではと思います。ひょうきんと書きましたが、関西では「ちょけ」と言います。「ちょける」という動詞の名詞形でちょける人を表す。ちょけるというのは、ふざけるという意味といってよいと思います。

 僕はちょけでした。人見知りのちょけだからややこしい。隠れちょけ

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犯行期 / エッセイ

犯行期 / エッセイ

 もう三月も半ばというのに一室の壁のカレンダーだけ一月のままであることに気がついた。その時、だらしなさなのか時空が歪んだというのか、よく分からない化合物のような感情を抱いた。一月を千切っても二月がある。一月と二月の二枚を千切らなくてはならない。今年のために掛けたカレンダー。一月には暦をこれで数えた。しかしそれもどこかでしなくなったはずである。だから一月を捲らずそのままになっているのだ。二月は一月の

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へまをする / エッセイ

へまをする / エッセイ

 私はへまをする自覚がある。あとから、なぜこんなことを間違えたのかと不思議でならない、ことはない。生来の面倒くさがりな性が顔を出したのである。詰めが甘いのである。私は関心のないものには矢張り関心がない。いい加減に済ませてしまいたい思いがある。出来ることなら、出来ている風情を決め込んでいい加減に済ませてしまいたい。そうして、いい加減に済ませてしまおうと思っていい加減にやってしまうと、やっぱりへまをし

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文章を書くためのポイント / エッセイ

文章を書くためのポイント / エッセイ

 文章を上手く書きたいという欲求がある。しかし、ではなぜ「上手く書きたい」のか。その目的が「いいね」である場合がSNS全盛の現代では多いのだろうが、僕はまずこの「いいね」のことは忘れるほうがよいと思う。どのような動機であってもよい、という見方もあるにはあるが、こと「いいね」についてはそうではない。なぜなら「いいね」を動機にしながら、これに振り回されずに書ける人間など類い稀で、まずもってそれが自分だ

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心の保ち方 / エッセイ

心の保ち方 / エッセイ

 家のなかも、一歩家から外に出ても、人工物だらけである。まみれている。とことんに。あなたの家も街もさして変わりはしないかもしれない。それなりの人口規模の発展した街に住んでいるのだとしたら。

発展?

何が?

 世の中は利便に埋め尽くされている。利便のピースが嵌まっていない不便の地表が露出しているのを見つけると、たちまちにしてどこかから人がやってきてそのピースを埋めてしまう。余地はない。考えるこ

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「思っていて」って何や / エッセイ

「思っていて」って何や / エッセイ

「僕はそれはちょっと違うと思っていて、云々」
「私は優先順位を見直すべきだと思っていて、云々」

 この「思っていて」という言葉が僕は嫌いである。一見するとこれといった特徴のない言葉だが実はそうではない。この言葉には自尊心と承認欲求が潜んでいるのである。自尊心と承認欲求から生じ出た言葉とも言える。「思うのですが」でも
「思います」でもなく、「思って『いて』」なのである。既に、なのである。既に思って

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書くことについて / エッセイ

書くことについて / エッセイ

 なるべく毎日書くようにしている。この「なるべく」というところが我ながら甘いのであるが、まあ書いている。とりとめのないエッセイであったり、何らかの考察による論文調のものであったり、描写のための文章によるスケッチなどである。創作は今年の二月頃に百枚程度のものを書いた。そのときはいつになく疲弊した。書き上げるまでに一年程掛かった。推敲のために冷却期間としてトータル二ヶ月は寝かせていたが。納得出来ない描

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足の指 / エッセイ

足の指 / エッセイ

 部屋で電話をしながら足の親指を見ていると、「なんや、これ」と思った。所謂、ゲシュタルト崩壊である。その指の腹は手の親指より一回り大きい。その一回りがやけに大きいのである。こんなに大きかったっけと思いながら眺めていると、ゲシュタルト崩壊はその様相を極め、いよいよ我が身体の一部が不可解に思えてきた。不恰好に丸い肉塊。つまむとふにゃふにゃと赤くなったり白くなったりと気ままである。口もなけりゃ目も鼻もな

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創作と恐怖 / エッセイ

創作と恐怖 / エッセイ

『田園の憂鬱』を書いた佐藤春夫。彼は若き日の三島由紀夫に『小説の極意は怪談である』と言ったそうな。この言葉は妙に腑に落ちる。物語というものは人間にとって重要な概念で、古くは古事記にしても、地方の伝説・昔話にしても、宗教にしても、不可解なものや大いなる疑問があれば、人はその答えのようなものを物語に託してきた。
 僕は幼少の頃、妖怪がとても好きだった。テレビの特番なんかで時折やっていた、心霊特集も好き

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幼心 / エッセイ

幼心 / エッセイ

 そう広くはない部屋で畳の上、脛をあらわに胡座を組んで、小窓の下の机に向かってこうしているところ。実は晩秋の雨降りで、時折はぐれたか細い風が浅くあけた小窓より流れ入っては、腕やその脛をひやりと撫でるのがなんとも心地よい。空は水に練った灰を塗りたくったようでも、それを陰鬱に思うか清かに感じるかは人それぞれ。私は今、後者としてここに座っている。遠くから近くまでよく降っていて、ざあざあと低く鳴っているけ

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