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こいつ大丈夫かな?の友だち
大人になったら友だちが作りにくくなるというけれど、教会に行くと、新しい友だちはつくれる。
これが教会のいいところだなあと思うが、もっと前からいる教会の友だちも、友だちのままだ。これも教会のいいところだ。
大学の頃、はじめてできた友だちで、もう大学も教会も別々だけど今も友だちなのが、根本だ。
物事の根本をわかって生きていきたいという思いを込めて、根本にしたのだという。でも読み方は「ねもと」だっ
自分を作った結果は、後から見えてくるのかなと思った。
身の回りで大学院に行く人が多い。
研究したいことがあるのがすごい。
わたしはもう二度と院へは行けない。
院に行って、研究がすこぶる向いていないことがわかったからだ。
なんかもう、サッパリわからなかった。
サッパリサッパリ。
何もかもわからなすぎて、不安しかなかった。どうやって研究するのかとか、全部わからなかった。何からどう考えて取り組むとかもわからなかった。あの二年間は闇だ。
あの闇を乗り
でも結局量足りなくて帰りにじゃがりこ買うんだよな
在宅勤務が続くと、景色が変わらない。
なので、ランチは気分転換に外食をしに行く。
単に作るのが面倒くさいということもある。
家の近くに、やってるのかやってないのかわからないそば屋がある。
今日こそやってないんじゃねえかな、と思いながらめちゃめちゃ滑りの悪い引き戸を開ける。
大抵、ちゃんとやってる。
そして大抵、そば屋のばあちゃんが席に座って机で寝てる。しかも大抵、こちら側を見ている。
い
ただ他人の前でやると、ラップぽさがうまく出ない。
多くの人は、聖書を無言で読むと思う。
わたしは聖書を読むとき、ラップ調で読んでいる。
どういうことかというと、単に聖書をラッパーっぽく読むのだ。
とくにテンションとかは上げない。内容は聖書なので、ボースティングもかまさないし、小節とかバースが決まっているわけでもない。
なぜかというと、普通に聖書を読んでると飽きるからだ。その点、ラップ風に読み始めると止まらない。
ふつうラップでは韻を踏むの
自分、ADHD寄りですって言いまくってたけど、嘘ついてた。
「すみません、精神病院はどちらですか?」
ぼーっと歩いていたら、押し車を押すおばあちゃんに道を聞かれた。
あの赤茶色のやつですよ、と先日行ったばかりの建物を指差すと、おばあちゃんはありがとうございます、と進んでいく。
おばあちゃんを見ながら、勝手に仲間意識を感じ、がんばってくださ〜いと思った。
わたしの人生は今までさんざんな言われようだった。
小学生の頃、友人に、しゃべらなければ可愛いの
私の足下にフシギダネがいたのかもしれない
大通りより裏道を通るのが好きだ。
狭くて人がいないからだ。
社会性のなさそうな理由だが、裏道はわくわくしやすいし、考えごとをしながら歩きやすい。
家からちょっとコンビニに行くときも、特に目的のないときも、裏道を歩く。
家と家の間の狭い道を歩いていると、たまに人が立っていることもある。
昼間ならいいが、夜だとビビる。
この前は、夜に軽く賛美しながら狭い道を歩いていると急に人が現れて二重の意
こんにゃくのような体で岩のような心になろうと思うすごく真面目なこ
最近、整体に行っている。
わたしの体というか筋肉は岩のように固い。
だから定期的にほぐさないと、わたしは岩山になってしまうのだ。
ちなみに岩のように固いというのは、実際に岩のように固い。
この前、整体に行った時に新卒の女の子が担当してくれた。
足と背中と肩と腕と腰が張ってて…あと首も…と伝えると、全部ですね〜とにこやかに承知してくれる肝の座っている子だ。
それで施術してもらうと、えぇっ!と
いつも化粧水もパックもファンデもつけてないけどね。
最近、人と会わなくなり、ものすごいコミュ症だ。
まず人と話すときに目を合わせられない。目が泳ぎまくり、まばたきが増え、目がバタフライ状態。
あと人と話すときにすごい顔触る。外じゃできないが、家ではべったべたに触ってる。そのまま化粧水をつけるだけですごい浸透する。むしろこれはパックも完了し、ファンデーションもつけ始めている。
そんなコミュ症で泳ぎまくりパックまくりのわたしにも友人がいる。
月
大人になるとだんだん雪がうれしくなくなってきた。
うちの会社に、すごいいい人がいる。
もう、とんでもなくすごいいい人。
すごすぎて、いがもっとあってもいい。
すごいいいいいいい人。
より具体的に言えば、すごいいいマダム。
マダムなのかもわからない。淑女。
その人については、なぜか中国の文化や経済に詳しいということしか知らない。何も知らねえ。
ところで、神様は人を通してやさしくしてくれるという話をご存知だろうか。
その人がよくしてくれているよ
副反応の非常食に買ってあったやつだった。
眠気に弱いが、空腹にも弱い。
これは昔からそうだった。
学生の頃、日曜の礼拝に行ったとき、大抵礼拝がおわった後にキレていた。
礼拝の説教に集中しすぎてエネルギーを使い果たし、お腹が空いて、血糖値も急降下していたのだと思う。
いつも牧師の説教までしか体力が持たないため、そのあとのお祈りやなんやかんやの時間はすべてつらすぎてキレていた。
若干のめまいに苛立ち、礼拝後の友人同士の集まりの間、やは
しかも、会って2回目くらいの牧師だった。
新年早々、うちの教会の牧師さんに久しぶりに出会った。
お姉さん牧師なのだが、いくつなのかわからないくらい美しい。本当は年齢を知っているが、信じたくないほど美しい。
私は人間の可能性を感じたのだった。
そして、会って早々に牧師から勢いよく労われた。もう、労うスピードが早すぎて追いつけなかった。いま、労っていただいているのか?誉めているのか?かと思えば心配されている?
くそっ、彼女に追いつけな
21時に閉店するタイプです。
教会に通う社会人は、毎日激クソねむい。
でもこれは人による。少なくとも私はねむい。
たぶん教会に通ってなくてもねむい。
つまり、単にねむい。
仕事もあれば、礼拝もあれば、とにかくいろいろとやることがある。
でも一言もねむいともボヤかないうちの教会の人々。
みんなどうやって生きてんの?
ねむいという単語をそもそも学ばなかった?
「眠」って漢字だけドリルで飛ばした?
とにかくすごい人々なのだ。
今は気にしないで黒いカバンを使っています。
教会に通うと、礼拝があります。
礼拝では、黒い服をあんまり着ません。
非常にざっくりいうと、結婚式で黒い服を着ないのと同じようなノリです。
そういうのがあったので、自分としては普段も黒いもの着たり持つの微妙だなーと思ってました。
神様のためとかじゃなくて、教会の人に、あいつ黒いもの持ってるやんけ、しばいたろかって思われたら嫌だなっておもってました。(注:絶対思われない)
会社に派手なスニーカ