ただ他人の前でやると、ラップぽさがうまく出ない。
多くの人は、聖書を無言で読むと思う。
わたしは聖書を読むとき、ラップ調で読んでいる。
どういうことかというと、単に聖書をラッパーっぽく読むのだ。
とくにテンションとかは上げない。内容は聖書なので、ボースティングもかまさないし、小節とかバースが決まっているわけでもない。
なぜかというと、普通に聖書を読んでると飽きるからだ。その点、ラップ風に読み始めると止まらない。
ふつうラップでは韻を踏むのだが、聖書には韻がないことがある。ラップじゃないからあたりまえだ。なので、もう単にアクセントをつけてリズムよく音読しているだけだ。
ただ、そうしてラップ調で読み進めていると、韻がトリプルコンボくらいで出てくるときがある。これはかなりテンションがあがる。
例えばちょうど今読んでいる歴代史下の15章17節だと、ただし、高き、正しかった。と「aai」で並んでいる。しかも、ただしと正しで同音異義語だ。
で、これをちょっと美しい寄りのラップビートに合わせてやることもある。
すると、すごい心情的になる。
あれっ、この登場人物ってこんなこと言いたかったのかも、と一歩踏み込めることがある。
なにより聖書を読むと言うワードがかたくてすきではない。聖書をつかってラップをするぞ、と思うほうが手をつけやすいのだ。
聖書を読もうと言って聖書を開くのと、ラップしようと言って聖書を開くのとでは後者の方が気が楽ちんだ。
いずれにしろ聖書を読むことになるのだから、楽しい方がよいとおもった。
これは一人暮らしだからできるが、だれかと住むことになったら、聖書で歌い続けるわたしを見て恐れられるんじゃないかと心配だ。
でももしうまく仲間に引き込めたら、どちらが神さまをうまく褒めることができるかでラップバトルをやってみたい。
ラップバトルはふつう相手を蹴落とす戦いなのだが、わたしはラップを使ってみんなで神さまを褒めたら楽しそうだなと思っている。
韻をバキバキに踏んで神様の褒めちぎりまくったら、神さまもうれしいんじゃなかろうか。