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自分を作った結果は、後から見えてくるのかなと思った。

身の回りで大学院に行く人が多い。
研究したいことがあるのがすごい。

わたしはもう二度と院へは行けない。
院に行って、研究がすこぶる向いていないことがわかったからだ。

なんかもう、サッパリわからなかった。
サッパリサッパリ。

何もかもわからなすぎて、不安しかなかった。どうやって研究するのかとか、全部わからなかった。何からどう考えて取り組むとかもわからなかった。あの二年間は闇だ。

あの闇を乗りこなす力のある人たちはすごい。

闇すぎて、記憶から吹き飛んでいる。

挑戦してる人たちがかっこよく見えて、わたしもなんかやりたいなあと思ったが、院にはもう行って非力であることをわからせられた。

当時それが立証されることなく、就職し何年かしてから意気揚々と院に行ってしまう、なんてことがなくてよかった。いい大人が大学教授に吹き飛ばされるところだった。

そういうことを考えると、若いうちにたくさん怒られてきてよかった部分もある。たくさん地雷を踏んできた故に、安全地帯が見えてきている。

環境ばかりがよくても、自分の能力や個性が合わなければ、苦痛になってしまう。

今まで受からなかった企業や、やれなかった機会に安心する。よかった。どう考えても、きっと自分にあってない。

そして、もちろん今働いている場所も、合わないところもあるのだが、自分の心持ちで変わる。

今いる場所は、つぶれない程度にがんばったり工夫したりすれば楽しめる場所だと感じる。

どう頑張っても、なんの環境の変化もないとやる気すら失せてくるが、自分の努力で変わると感じれば、やる気が出てくる。

わかりやすく変わるときもあれば、わかりにくいときもある。ずっと変わることなんかないと感じることも多い。

院生時代とか、ぜんぜんやばかった。ぜんぜんわたしの努力では何にもならないと思った。

それでも、とにかく論文を終わらせることが自分の責任だと思ったからがんばった。

論文を書くのが苦痛で、休憩時間のたび、スマホでイラストを描いていた。そして論文を書き終えた。

そのまま習慣で、苦しくなったらイラストを描いていた。描く力が伸びて、今になって仕事の一部でイラストを任されるようになった。絵を描けるようにしておいたから、今の職場を乗りこなす一つの材料となった。

論文がなければ、苦しいこともないから絵を描くこともなかった。過去、うまくいかなかったと思うことばかりだったが、後から実になることも多いと感じた。