こいつ大丈夫かな?の友だち
大人になったら友だちが作りにくくなるというけれど、教会に行くと、新しい友だちはつくれる。
これが教会のいいところだなあと思うが、もっと前からいる教会の友だちも、友だちのままだ。これも教会のいいところだ。
大学の頃、はじめてできた友だちで、もう大学も教会も別々だけど今も友だちなのが、根本だ。
物事の根本をわかって生きていきたいという思いを込めて、根本にしたのだという。でも読み方は「ねもと」だった。いい名前だ。
でもこの前話したときは、なんかもう違う名前になっていた。
根本は、教会の中ではじめて見た、同い年で同学年の女の子だった。
なので、もう友だちだと思った。同い年の女の子はみんな友だちだ。
根本はよく、「にゃーん
」とか「ラララー」と奇声をあげる。
普通に話してるのに、いきなり「にゃーん」っていいだす。
この前もzoomで話していると、「にゃーん」という音が聞こえた。どこかに猫がいるのか?と探しても見つからない。
大抵、根本から発せられた「にゃーん」なのだ。
でも、根本は結局、ほんものの猫も飼っているのだ。
猫を飼っているのに、自分で「にゃーん」といっているのが謎だった。
私はよく根本のことを「こいつ大丈夫かな?」と思っているのだが、たぶん向こうも、私のことを「こいつ大丈夫かな?」と思っていると思う。
別に言われたことはないけど、長年の付き合いなので、言わなくても思いは伝わる。
なので根本は、教会友だちの中でも、こいつ大丈夫かな?友だちだ。
むしろ根本の方が、私を見て「こいつ大丈夫かな?」と思う瞬間が多いと思う。なぜなら、根本が私にツッコんでいる時間の方が長いからだ。
根本以外の多くの友だちも、わたしのことを「こいつ大丈夫かな?」と思っていると思う。そう思ってくれたら、もう友だちだ。
「こいつ」って思われるまではうっすらと壁があるけど、「はなちゃん」から「この子」から「こいつ」って思われたらもう勝ちだ。なかよしだ。
でも同い年だからって、女の子同士だからって、初対面から「こいつ」呼ばわり気分では会いにいけない。ちょっとまちがえたら、「あの人」やばいみたいな距離になる。
だからまずはちょっとずつ「しょうがないんだから」と「なんでだよ」を増やして、だんだん「こいつ」になるのだ。
根本は、うまいこと「こいつ」同士になれた一人なのだ。
神さまありがとう、わたしもお友だち作れた!