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大人になるとだんだん雪がうれしくなくなってきた。

うちの会社に、すごいいい人がいる。
もう、とんでもなくすごいいい人。
すごすぎて、いがもっとあってもいい。
すごいいいいいいい人。

より具体的に言えば、すごいいいマダム。
マダムなのかもわからない。淑女。
その人については、なぜか中国の文化や経済に詳しいということしか知らない。何も知らねえ。

ところで、神様は人を通してやさしくしてくれるという話をご存知だろうか。

その人がよくしてくれているようで、まあ実際よくしてくれているのだけど、その裏では神様がよくしてくださっているのだ。

神様がマダムを通してよくしてくださっている。神様は見えないだけなのだ。

マダムが助けているようで神様が助けているこの状況をカミサ・マダムと呼ぶことにする。

わたしは基本的に毎日全てのことを忘れて生きている。仕事の内容もすっかり忘れて生きている。社会人としては控えめにいってクソだ。

なので、困ったと思うことばかりなのだが、その一部はカミサ・マダムによって助けられている。

今日は仕事中、いつの日か上司に教えてもらったはずのことをもう一度聞いてしまったようで、上司が多少不機嫌になっていた。

しかし、わたしは教えてもらった記憶が一切ない。メモを探しても一切出てこない。

思い出しても思い出しても、脳内は白い。会社に向かう道中、道で積もっていた雪のような白さだった。純潔でなんの跡も手がかりもない、ホワイト。

そんなことあったかなあ、そういえば今回の冬はホワイトクリスマスじゃなかったなあと焦っていると、ちょうど近くにいたマダムが素早かった。

なんんんにも伝えてないのに、そんなに大きい声でも喋ってなかったのに、全てを察し、ササッとその問題の答えを教えてくれた。

次元を超えた配慮。超配慮だった。

ちなみにわたしはその答えがわかっても、上司に教えてもらったという記憶は出てこなかった。

本当に教えてもらっていないのか、わたしの脳みそが終わっているのかはもう誰にもわからないのだ。

とにかくこれがカミサ・マダムの事象だ。

わたしは神様とマダムに感謝感激し、今度こそメモを残した。
メモには「マダムの棚にある」と書いておいた。