自分、ADHD寄りですって言いまくってたけど、嘘ついてた。
「すみません、精神病院はどちらですか?」
ぼーっと歩いていたら、押し車を押すおばあちゃんに道を聞かれた。
あの赤茶色のやつですよ、と先日行ったばかりの建物を指差すと、おばあちゃんはありがとうございます、と進んでいく。
おばあちゃんを見ながら、勝手に仲間意識を感じ、がんばってくださ〜いと思った。
わたしの人生は今までさんざんな言われようだった。
小学生の頃、友人に、しゃべらなければ可愛いのに。黙って!といわれた。謎である。
小中の女子たちには、人の気持ち考えてよ!と怒られ続けてきた。軽くトラウマである。
大学受験時の画塾の先生からは、あなたは宇宙人か、アフリカ奥地の民族なの?といわれた。なにげにこれが一番しんどかった。完全にトラウマである。
当時の大学の教授からは、医師免許も持ってないのにADHDだと認定された。だるいから訴えたりしないが、これはモラハラである。多分どこかの機関に訴えたら即アウト。
だから、わたしもADHDなんだろうな、と思って過ごしてきた。完全に人から言われたことを鵜呑みにしている。
なので今回も、自分はADHDだと思っていたが、一度くらい本家の病院に行ってみようかなと思ったのだ。
過去に大学のメンタル的な施設にお世話になったことがあったが、なんかいまいちフワッとして終わった思い出がある。
仕事でもたくさん忘れるし、どうしてかは忘れたけど生きづらいし過ごしづらいし。づらいづらいが多い。とにかく周りの人よりゆるハードモードな人生な気がする。
ひとまずお金も自由に使えるようになったことだし、金を払ってプロと話したらもう少し意味のある道が開けるんじゃないかと思ったのだ。
しかも、行けそうだ、と思った病院が徒歩2分くらいのところにあったのだ。いやコンビニじゃないんだから。
そういうことを考えていたとき、教会で聞いた話の中に、自分の身の回り、今いるところあるところで探しなさいという言葉があった。
たぶんこの病院のことである。
担当してくれた医師は、若い兄ちゃんみたいな人だった。イメージしていた貫禄ある初老とは違ったが、とりあえず話していることは簡潔でわかりやすい。
対話して自分の過去の経緯をべらべら説明していった。ある程度話したところで、お医者さんは、ASDの可能性が高いっすねと言った。
ADHDだと思い込んでいたので、思わず、いやそっちですか!とつっこんでしまった。
反射的にツッコんだものの、そんなに面白い空気にはならなかった。
ただ、たしかにその方が説明がいくと思った。
子どもの頃、同じ服ばかり着てたし、冬でも半袖だったし、同じタオルを何年も握り締め続けていた。
いつも写真はにらんだ顔だったし、いつも棒読みだし、今でも自分の感情も他人の感情も理解するのに大変苦労している。
なんで、ASDの方が当てはまるのでは?とかけらも思わなかったんだろう。
そしてお医者さんは、私が困っていることについて、もしもASDという特性からきているものであれば、薬などでは手の打ちようがないと言われた。
あー、そうかー、と思ってそこから話をあまり聞いていなかったが、なんやかんやあって知能試験は受ける運びとなった。
そのあとはもうどうでもよくなってきていたので覚えていない。とにかく今までとは異なるアプローチで生活の工夫をしていこうと思った。
確実にわかったことは、教会で聞いた話どおり、自分の身の回りに答えがあるという体験をしたことだった。
田舎暮らしとしては考えられない。こんなに近いところに病院あるなんて嘘だろと思いつつ、やっぱり2分で帰れた。