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トウキョウ百景

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東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
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#親友

中野のコンビニで笑顔がひきつる

中野のコンビニで笑顔がひきつる

「坂本くん〜〜〜!いいわね、あんた本当にいい笑顔」
純二店長は、まるで甥っ子や姪っ子でも愛でるように私を褒めちぎる。しかし、隣にいる親友・そぼろの顔を見ると表情が厳しくなり、「あんたは愛嬌が足りないね。お客さんにしっかり挨拶しなさい」と吐き捨てる。なんか嫌だな、と思っていた。そぼろは携帯電話の電話帳に、店長の名前を「クソ」と登録していた。

私は高校2年生のとき、一瞬だけコンビニでアルバイトをした

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西新宿でふと気づく役割

西新宿でふと気づく役割

縛られるのがこの上なく嫌いだ。
誰でもそうかもしれないが、自分は特にその気持ちが強いと思っている。日々生きてて困るのは、定時という概念による束縛だ。

定時。それはこの時間からこの時間まで働くという会社との契約を指す。誤解のないように言っておくが、定時退社するやつが嫌だとか、そういうことではない。なんで私が生活する時間を、相手に決められないといけないのだと思っているだけだ。

ただ一応、社会でどう

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新宿三丁目のカラオケに一人でこもる日々

新宿三丁目のカラオケに一人でこもる日々

ああ、今日はもうカラオケに行かないと無理だという日がある。仕事で疲れていたり、ストレスを溜めていたりするときがほとんどなのだが、じゃあ具体的に何が嫌で、何が辛いのかみたいなことを聞かれてもわからないケースが多い。とにかく、カラオケに行って歌わないとダメだと察知するのだ。

2021年〜2023年春ごろにかけて、新宿三丁目に事務所を置く会社に勤めていた。新宿二・三丁目の飲み屋の間にあるようなところで

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上北台に置いてきた思い出

上北台に置いてきた思い出

「ねえ、上北台って覚えてる?」
「覚えてる!覚えてる!よく練習試合行ったよな〜」
「だよね〜!めっちゃ遠かったよな」

JR新宿駅の東南口を出てすぐの居酒屋で、高校時代の男子バレーボール部の同期や後輩たちと集まっていた。

この日は、キャプテンだった隼人が来年関西に転勤してしまうため、送別会を兼ねた飲み会を開いたのだった。当然、懐かしい話はするわけで、その中で上北台駅が最寄りの高校に行ったという話

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雑司ヶ谷にあるお墓は怖くない

雑司ヶ谷にあるお墓は怖くない

友達の学がカナダから帰ってきて、東京で遊んでいた。あちこち歩き回っていた私たちは、池袋から逸れ、なぜか雑司ヶ谷のお墓に足を踏み入れた。雲一つない秋晴れで、午後の陽光が眠気を誘うような日に来るようなところではないと感じつつ、次の目的地に向かうためには通るしかなかったのだ。

雑司ヶ谷にあるその名も「雑司ヶ谷霊園」は、東京ドーム一個分とか言いたくなるような広大な霊園で、碁盤の目のようにお墓が整然と並ん

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吉祥寺で表舞台に立って泣いた日

吉祥寺で表舞台に立って泣いた日

体調は悪かった。正直なところ外に出ていいかどうかはギリギリな日だった。

2023年10月28日、吉祥寺のPARCOでやったZINEフェスに出展した。太と3年以上にも及ぶこのOLiの活動を、手のひらサイズの折本にまとめてみたのだ。一人で出展するのは心許なかったので、親友の美香とマサにも絵を販売してもらい、一緒に当日を迎えた。ただし、私は5日ほど前から体調を崩し、ようやく稼働できるようなギリギリの体

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練馬の環状8号線でチャリに乗っていた高校生は高円寺に行かないそうです

練馬の環状8号線でチャリに乗っていた高校生は高円寺に行かないそうです

環状8号線を走っていて練馬あたりを通るとむずむずする。それは高校生の頃の恥ずかしい記憶がいまだにちらつくからである。

私は高校生の頃、本格的に古着文化が好きだと自覚した。そして、古着を買うためにいろいろな街に繰り出すようになった。練馬あたりに住んでいた私は、古着屋の多い高円寺にチャリで行くようになったのだった。

しかし、中学生のころと打って変わって古着が好きだとしっかりと自覚すると、雑誌を読ん

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