記事一覧
常に傲慢であれたらと願う
厳密には嘘ではない
1を10にはしたかもしれない
けれども0を1にしたわけではない
嘘とはなにか
事実を捻じ曲げることか
それでは事実とはなにか
真実はいつもひとつではなく、解釈の数だけ事実が存在する
浮気などしていない
盗んでなどいない
あなたのためを思って
私にとって、嘘を定義することは容易ではなく
他者を嘘吐きであると断ずることもまた然り
しかしながらどれほど言い訳を積み重ねても、消
そんなもんだと言えるなら
私は最低だ、そう思うときがある。
私は最高だ、そう思うときもある。
私は最低だ、そう思っているときの私は、客観的にみるとそう最低でもなさそうで、嫌いじゃない。
私は最高だ、そう思っているときの私は、客観的にみるとそう最高でもなさそうで、好きじゃない。
そう悪くはないし、そう良くもない
そんな風に自分を認識しているときの私が好きで、中庸を愛す。
ただ、私はときに突き抜けたくなるので、極端を好む
脱糞について本気出して考えてみた②
さて、以下の記事で「脱糞」について触れた。
(糞を手で触ったということではない。)
上記記事の最後で言及したように、脱糞について少し真剣に考えてみようと思う「きっかけ」となった事件があった。
今回は、この事件について触れていくとする。
(触ってない。)
◼︎ 本編先日電車内で、ある初老の男性に出会った。
しかし一目見た時から、彼の様子は不自然だった。
臀部に右手を添えながら、おぼつかない足取り
脱糞について本気出して考えてみた
「糞を脱ぐ」
いや、「大便をすること」の能動的な言い方が、「排便」であるとすると、
受動的な行為である「脱糞」は
糞が「脱げる」
と表現するのが正しいのかもしれない。
というわけで、今日は脱糞について語るとしよう。
◼︎ 本題小便の排泄も快感を得られるのだが、大便の排泄はまた別次元である。
体積・質量の問題であるのか、形状に依拠するのか、あの感覚は代替できない。
クリトリス、Gスポット、