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«1995» (13)

僕が上智大学に行くと決めて暫くした頃、高校の保護者会で、西條(仮名)という同級生のご母堂が、僕の母に聞こえるような声で
「普通慶応受かったら慶応行くわよねぇ」
とおっしゃっていたという。

よその子の進学先を批評なさるのは勝手といえば勝手だけれど、手前の倅は受けた大学が早々に全滅し、更には翌年も全滅、すなわち二浪の憂き目に遭うのであった……
僕の母校には、妙なプライドで妙なマウンティングを試みる親を時々見かけたものだが、少なくとも自分の息子が僕と同じ大学に受からなければ、プライドは保てまいしマウントもとれない気がするんだけど、西條家の普通なるものが、多少ならず気の振れたものという印象は今もって拭いきれない……

二次試験の前に『しんぶん赤旗』を読んでいた女の子は、後ろ姿しか見ていなかった所為もあって、入学してクラスメイトになっていたのか、今となっては確かめようがない。目下、日本で共産主義革命は起きていない……

面接の時に僕の隣で真っ青になっていた美人の子は、めでたく入学していた。後に僕が学食でサークルの先輩とランチしていたら、その子に目撃されて「ミズノ君がカノジョとイチャイチャしていた」と速攻で拡散され、女子校状態の学科の恐ろしさを思い知ったものだった……いやはや。

そして、あの時点での僕は知る由もなかったのだが、実は上智大学の面接官だった田中先生は先の震災で大切な人を亡くされたのだと後に人づてに聞かされた。
僕にとって阪神大震災は、受験間際の大きなニュースでしかなかったけれど、他人事ではすまされなかった人もいる。人生の最終ページは前触れもなくめくられるし、当たり前だったものは突然瓦解する。そのことを僕自身が思い知ることになるのはもう少し後の話なのだが、それはそれとして、凄絶な出来事からあまり時を置かないまま、大学教員の仕事に通常通り勤しむプロフェッショナリズムに、僕はただ驚嘆したものだった。

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