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【短編】『小説家、否』

小説家、否


 私は恥ずかしながら五十にして小説家を目指す身分である。日々仕事をしながら隙間を縫って小説を書いている。そして、執筆をしながら試行錯誤を繰り返し、より自分の腕に磨きをかけている。もうかれこれ三年も続けているので、特に執筆に対しては抵抗感もなく、今となっては自然と浮かんだアイディアをそのまま文字に落とし込むという作業を行なっているのに等しいのかもしれない。しかし、継続は力なりと言うように、中身に関しては到底立派とは言い難いが、忍耐という意味では誰よりも優位に立っている自信はある。このようにして私は、一歩ずつ小説家への道を歩んでいるのである。

 しかし、最近になって小説家を目指すことに一つ思うところがある。私はこれまで、小説家になりたいという思いで日々執筆に没頭してきたのだが、では小説家たるものは一体どんなものか?という問いに対しては答えられる自信がなかった。小説家を目指すとなると、それはもう長い道のりになることは覚悟していたつもりだが、それはあくまで小説家になるまでの話であって、小説家そのものを語ってはいないのだ。要するに、全くもって小説家になった後の人生について考えてこなかったのである。

 私は執筆を止め、今一度初心にかえってそのことについて深く考えてみることにした。そして、一つの矛盾(ディレンマ)に行き着いてしまったのである。小説家になるということは、世間から一定の称賛を得て初めて自らをプロの小説家と呼べるのだと。私はこの三年間多少は周りから称賛を得てきた自覚はあるが、プロとなるとその規模が実に桁違いなのだ。私は、その規模というものを想像した途端に、今まで見えていなかった現実を目の当たりにしたのである。そして、その現実に対する姿勢こそがこれからの自分の小説家人生を左右すると言っても過言ではなかった。

 私が懸念していたこととは、ごく単純なことではあるが、当人からすると至極難しく複雑な問題であった。つまりはこういうことだ。もし仮に私がプロの小説家になり世間から一定数認められるようになったとしよう。すると、この私の性格上その規模の異常さに狂い、その反動で図に乗ってしまうことは必須なのだ。それで事が収まれば良いものの、その心持ちのまま書き続けることで、返って中途半端さが文字に表れてしまうのではないかということだ。然るに、一定の良い文章を書き続けるためには、少なからず僅かな称賛はあっては良いものの、極度の賛美は不必要なのである。常に無名でいることが私にとっての書き続ける原動力となるのだ。言うならば、無名という強固な外壁が世間という敵から私を守っていた。これを聞いて少々弱腰と思われるかもしれないが、私自身何度も思い悩んだ末のことなのである。小説家として認められた自分がいると同時に、無名でいる偽りの自分を保ち続けられるか、という賭けに挑むほど私は果敢ではなかった。あるいは、小説家として認められた自分を丸ごと受け入れるほどの大きな器は持っていなかった。

 私はさらに小説家という人生について深く考えた。まあ、しかし、このまま執筆を続けていてはいつしか支持者が増えていたという事態を招かないとも決め付けられない。実際問題、そのようなことになってしまっては一大事だ。では、どうしたら私は無名でい続けることができるのか?そこで、一つの考えが頭に浮かんだ。無名でいるということは執筆に世間を介さないこと。そして、世間を介さないのであれば、質を判断するのは自分のみであるということ。私はこの短い時間でなんとも円滑に本質に迫っているように感じられた。そして、どこからか今まで考えもしなかった概念が頭の中で開花したのである。なるほど、すると、私はその自分さえ不在であらば、もはや書く必要もないということか。つまり、究極のことを言ってしまうと、小説家としての精神だけを保ってさえいれば、小説を書かなくとも無名でい続けることができるのではないか、ということである。私は自然とその考えが腑に落ちてしまったあまり、自分で自分を圧倒してしまった。

 それ以来、私は筆を握ることはなくなったのだが、小説家であることをより一層自負することに努めた。こうして、紆余曲折ありながらも、自らが目指す小説家たる小説家の次元へと辿り着いたのである。

 我小説家思う、故に我小説家なり


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