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「故・津原泰水」を早速誹謗した男〈小谷野敦〉との、過去のやりとり「全記録」を再公開する。

年間読書人

以下にご紹介するのは、私が本年(2022年)8月1日までの約20年間開設していた電子掲示板「アレクセイの花園」(管理者の「園主」は、私「アレクセイ=年間読書人」)において、一昨年(2020年8月22日〜同年9月12日)に交わされた、文学研究家・小谷野敦とのやりとりと、その後の「Twitter」上におけるやりとり、および、小谷野が私をブロックした後になした、私についての一方的な「陰口」などの、「全記録」である。

小谷野のそれを「陰口」だと断ずるのは、小谷野は「Twitter」において、私が気づかないこと前提とした「悪口」ツイートをし、友人からの知らせによりそれに気づいた私が、小谷野に批判を加えたところ、今度は私をブロックした上で、下劣にも、さらに「悪口」ツイートを重ねたからである。

こうした「記録」については、「アレクセイの花園」に、2020年9月13日付けの、まとめ記事「〈小谷野敦〉氏とのやりとりの顛末」(当記事にも収録)としてアップし、それを持って、「陰口しか言えない(議論のできない)卑怯者」である小谷野の相手にするのは止めた。

だが、小谷野は今回、つい先日の本年10月2日に亡くなったばかりの、小説家・津原泰水について、電話による通話内容など、他者には確認しようのない「個人的な情報」をもとに、故人たる津原を、一方的に誹謗中傷するような日記

・ 津原泰水と私
 (https://jun-jun1965.hatenablog.com/entry/2022/10/18/133000

を、昨日10月18日に、自身のブログ「jun-jun1965の日記にアップした。

この日記には、次のごとき下劣極まりない記述がある。

『津原はこのように、そうであってほしいという願望を事実と取り違える傾向があり、統合失調症か人格障害の疑いがあると思った。

『津原は「烏賊娘」が高橋源一郎のところへ駆けて行って質問していたのを「かわいいんですよー」と言っていたから、やっぱりゲイなのか、と思った。

百田著(※ 百田尚樹『日本国記』)には大勢の批判があり、その尻馬に乗って騒ぐ行為は、花村萬月が津原をさして言った「美意識」はまったく見られなかった。』

偶然この日記を見つけた私は、いわば義憤にかられて、この卑怯者たる小谷野敦という男が、どんなに歪んだ性格の持ち主であるかを少しでも世間に訴え、小谷野の「津原泰水評」が、いかにあてにならないものかを知ってもらうために、少々面倒ではあったが、前記掲示板「アレクセイの花園」での「小谷野敦とのやりとり」の「全ログ」を、こちら(note)で、あらためて公開することにした(というのも、「アレクセイの花園」は、本年8月1日のサービス停止により、すでに閉鎖となっており、ログの確認ができなくなったため)という次第である。

以下は、結構な量のログとなっており、全文通読がかなり大変な作業になってしまう点については申し訳ないとしか言いようがないが、まずは、小谷野が「アレクセイの花園」に書き込みをした際の「文体」と、「Twitter」での陰口の「文体」とを比較してもらえば、小谷野の人間性は、一目瞭然であろうと思う。
その上で、さらに興味を持たれた方に、ここに再公開した「全記録」を、通読ご確認いただければ幸いである。

なお、「アレクセイの花園」への投稿の、「投稿者名」の後に記される「メールアドレス」については、ログには『メール』という3文字が残るのみで、「メールアドレス」そのものは残らないため、「メール」の3文字については、見やすさに配慮して、ここでは削除した。
以下のやりとりにおいて、小谷野は最初の2回(2020年8月22日と同月25日)については、メードアドレスの記載のあったことを、ここで記しておく。

以下の文中(原文)において紹介されている、私の「Amazonカスタマーレビュー」については、すでにAmazonによって、レビューの「全削除」がなされており、それを転載した「アレクセイの花園」についても、前記のとおり、すでに閉鎖されているため、ここでは便宜的に「note」へのリンクを加えておきたい。無論、原文に「note」へのリンクは無かった、ということである。
また、以下で紹介された、私の「ツイート」についても、その後の「ネット右翼との喧嘩」のせいで食らった、アカウントの永久凍結のため、すでに「Twitter」の方には、ログが残っていないことを記しておく。

今回の再公開にあたって便宜的に加えた「註」や「note以外へのリンク」については、(※ )ではなく、(※※ )印を付けておいた。


======〈以下、全記録〉==================================

中川右介さんの本について
投稿者:小谷野敦 投稿日:2020年 8月22日(土)20時05分52秒

中川さんの本についてのアマゾンレビューの削除の話ですが、「管理人に泣きついた」というのは具体的にどういうことで、あなたはなぜそれが分かったのか疑問です。

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小谷野敦さまへ
投稿者:園主 投稿日:2020年 8月25日(火)11時25分25秒

★ 小谷野敦さま

> 中川右介さんの本について

お書き込み、ありがとうございます。

> 中川さんの本についてのアマゾンレビューの削除の話ですが、「管理人に泣きついた」というのは具体的にどういうことで、あなたはなぜそれが分かったのか疑問です。

お申し越しのお話は、中川右介著『萩尾望都と竹宮惠子 大泉サロンの少女マンガ革命』(幻冬舎新書)に関する、私のレビュー、

・ 大泉サロンの〈楽園喪失〉
(https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3U6SRO59XY8LN)

の前書きの、

『(※ 本稿は、本年・2020年4月19日に投稿され、それ以来、本日(2020年4月26日)に至るまで、じつに12回にわたる「削除」のイヤガラセをうけ、その都度、それへの対応としての「補記」を加えた「再投稿版」をアップしてきましたが、それに業を煮やしたのか、匿名削除氏は、とうとう管理者に泣きつくという手段に出ました。』

の部分のことでございますね(※※ 「note」では削除)。

私がこのように判断したのは、それまで「何度も削除され、再アップする」ということが繰り返された後、この時は、同じものを再アップしようとしたところ、管理者からの「ガイドラインに違反しているので投稿できません」という趣旨の、メールであったか、警告文が出たかして、再アップができなかったからでございます。
そこで、私は、数日間は再投稿を試みずに、ほとぼりが醒めるのを待って投稿したところ、めでたく再アップができ、それ以降もご承知のとおり、削除に対する再アップが可能となった、という次第でございます。

したがって、私が上のように書いた段階では、いつもと状況が違って再アップができなかったため、私のレビューを快く思わない何者かが、単純に、管理者に対して「違反通告」をしただけではなく、もっと別の手を使ったのであろうと推測して、あのように書いたわけでございますね。もちろん、これは推測であって、真相はわかりませんが。

そもそも、何度も繰り返されている「いつもの削除」ですら、何者かが「違反通告」をしなければ削除されることもないのですから、いずれにしろ何者かが「管理人に泣きついた」という事実に違いはないのでございます。
反論できる人なら、コメント欄に反論なり批判なりをしたはずでございますしね。(※※ 当時は、コメント欄があった)

私はこれまでにも、多くのレビューで「削除」の憂き目を見ております。そして、その度に再アップという地味な正攻法で抵抗しているのでございますが、その中には、再アップできなくなってしまったレビューが、これまで4本ほどございます。
この、再アップが可能か否かの違いは、管理者が説明に応じませんので、ハッキリした事情はわからないのですが、なにか「裏事情があり、対応の差別化がある」というのは、事実として間違いないところなのでございます。

なお、小谷野敦さまも、ときどきAmazonにレビューをアップされているようですが、これまでご自分のレビューが削除されたという経験は無いのでございましょうか? もしかすると名のある方だから、そこに配慮して管理者も安易には違反通告や削除要請に応じない、といったこともあるのかと愚考いたします。

ともあれ、今回のような疑問を持たれたのは、どういう観点からのことなのか、ご説明いただければ幸いでございます。

ちなみに、メールアドレスをご記入いただいているようですが、別の方へのレスにも書かせていただきましたとおり、この掲示板のメールシステムは、あまり信用できません。
このレスと併せて、掲示板のメールシステムの方で「掲示板にレスを書きました。どうぞお確かめください。」というメールを送っておきますので、どうぞご確認ください。
もしもメールが届かない場合は、

 【メールはこちら】

まで、直接メールをお送りいただけると、メールアドレスが確認できますので、よろしくお願いいたします。
(※ この掲示板のメールシステムは、メールアドレスを盗まれないために、返信者がメールアドレスを確認できないシステムとなっております)

.
https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA

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削除について
投稿者:小谷野敦 投稿日:2020年 8月25日(火)11時34分5秒

お返事ありがとうございます。では「管理人に泣きついた」は推測なのですね。私はアマゾンレビューを削除されたことはあるようです。いちいち確認していないので。むしろ自分の著書についた変なレビューを削除させるほうで苦労していて、二度ほど裁判所にお世話になりました。「管理人に泣きついた」は中川さんが言っていたのか、なぜそんなことが分かるのか、泣きつける相手なのかと不思議に思っただけです。

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小谷野敦さまへ(第2信)
投稿者:園主 投稿日:2020年 8月25日(火)15時57分52秒

★ 小谷野敦さま

> 削除について

> お返事ありがとうございます。では「管理人に泣きついた」は推測なのですね。私はアマゾンレビューを削除されたことはあるようです。いちいち確認していないので。むしろ自分の著書についた変なレビューを削除させるほうで苦労していて、二度ほど裁判所にお世話になりました。「管理人に泣きついた」は中川さんが言っていたのか、なぜそんなことが分かるのか、泣きつける相手なのかと不思議に思っただけです。

こちらこそ、さっそくのお返事ありがとうございます。

『では「管理人に泣きついた」は推測なのですね。』とのことですが、「物理的な証拠がない」という意味においては「推測」ですが、そう判断するに値する「状況証拠がある」という意味では「合理的な推測」です。評論家が、本を読んで、著者の「意図」を「推測」するのと同じことですね。

つまり『私はアマゾンレビューを削除されたことはあるようです。いちいち確認していないので。』というのが、私の言う意味での「推測」であり、それがある程度の妥当性を持つのは、レビューなり何なりを相当数、Amazonにアップしていれば、削除される「蓋然性が高い」からです。

『むしろ自分の著書についた変なレビューを削除させるほうで苦労していて、二度ほど裁判所にお世話になりました。』一一それは、大変ですね。
私などもAmazonレビューで、意図的な誹謗中傷のレビューがなされている場合、その書き手(レビュアー)を名指しで批判するレビューを書いたりしていますが、管理者に「違反通告」をしたり「削除要請」をしたりしたことはありません。
もちろん、自分の著作ではないから、自分自身には実害はないからでもありますが、基本的には「言論には言論で」という立場でやっているからです。

それにしても「リベラルな著作」に対する「ネトウヨ」などによる、誹謗中傷のレビューなどは、いかにも酷い。
読んだ上で、間違っていると判断して、批判するのであれば、それは当然のことですが、読まずに(政治運動として)書いているのが見え見えなものが決して少なくないし、またそんなものに「参考になった(いいね)」を押す同類(これも「推測」です)が、数十人単位でいるというのは、けしからんことだと思います。
「日本の美」がどうの、「伝統」がどうのと言うのであれば、「日本人として恥じないように、正々堂々とやれ」と言いたいところです。

『「管理人に泣きついた」は中川さんが言っていたのか、なぜそんなことが分かるのか、泣きつける相手なのかと不思議に思っただけです。』について。

私のレビューの削除について、中川さんがどうのこうの言った(推測を語った)という事実は、一切ありません。

私が、レビューをアップした際に、ツイッターで中川さんに「レビューを書いたので、ご笑読ください」と連絡し、中川さんから「読ませてもらいました」という返事をもらいました。

なぜ、こんな報告を、見も知らぬ中川さんにしたのかと言えば、私以前の3つのレビューが、どれも見るからに「頭の悪い、読めないオタク」による酷評だったので、言わば義憤にかられて肯定的なレビューを書き、著者に対して「頭の悪い読者ばかりではないですよ」というのを伝えるために、日頃はしない、著者への報告を行ったのです。

そしてその後、私のレビューが削除されたので、中川さんが「削除されましたね」とリプライを下さり、私も当然気づいていましたから「反論もできないヘタレが、管理者に泣きついたのでしょう。可能なかぎり何度でも再アップしますから、まあ高みの見物をしていてください」という趣旨の返信を送ったりしたのです。

したがって、中川さん自身は、私のレビューの削除について、良いの悪いのといったことはおっしゃっていません。
あくまでも、自分のレビューを削除された私自身が、主体的に「匿名削除者」の意図を分析推測して、当てこすりに論評してやった、というだけの話です。

また、Amazonは、基本的には『泣きつける相手』ではありませんが、「誣告」ができる相手ではありますね。「違反通告」のシステムがそれで、その通報を受けた場合に、担当者がどれだけ丁寧に、その通告内容の適否を判断しているのかが、かなり疑わしい。なにしろ「ただの会社員」が「匿名」で判断しているのですから。

それにしても、作家の方が、ああした悪質な誹謗中傷レビューを、直接相手にしているとは知りませんでした。なにしろ、切りがないでしょうからね。

じっさい、Amazonは対応は鈍いでしょう?
私が無名のアマチュアだから軽く見ているということもあるのでしょうが、いわゆる「言論表現の自由」の権利を盾に、なかなか誠実に対応してくれない、というのは間違いのない事実のようです。
まあ、Amazonとしては「当事者同士で勝手にやってくれ」というのが、本音なんでしょうがね。

ところで、掲示板のメールシステムを使って、メールをさし上げたのですが、届いておりますのでしょうか?
ちゃんと届いたかどうかだけでも、お知らせいただけると助かります。

なお、前回のレスに、メールリンクを張っておりますので、個人的にご意見があれば、そちらをご利用ください。

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(無題)
投稿者:小谷野敦 投稿日:2020年 8月26日(水)18時24分37秒

メールは届いております。あの当時中川さんから、削除されるかどうか小谷野さんもレビューを書いてみてくださいと言われたのですが、私は基本的に知人の著作のレビューは書かないことにしています。なお2010年ころまでに書いたアマゾンレビューは『小谷野敦のカスタマーレビュー』として中川さんが刊行してくれました。なお貴兄がいう「読めてないレビュー」というのは萩尾望都とかのファンが嫉妬交じりで書いたもので、別に読めてないわけじゃないでしょうね。あとは竹宮惠子の『少年の名はジルベール』に書いてあることをなぞっているじゃないかという。

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小谷野敦さまへ(第3信)
投稿者:園主 投稿日:2020年 8月31日(月)14時27分33秒

★ 小谷野敦さま

> (無題)

お返事、ありがとうございました。

> メールは届いております。

ありがとうございます。
小野谷さまの少し前に、お書き込みをいただいた方、お二人ほどにメールをさし上げたのですが、お返事をいただけなかったので、システムエラーでもあるのかと、ずっと気になっておりましたが、これでスッキリいたしました。
ご協力、ありがとうございました。

> あの当時中川さんから、削除されるかどうか小谷野さんもレビューを書いてみてくださいと言われたのですが、私は基本的に知人の著作のレビューは書かないことにしています。なお2010年ころまでに書いたアマゾンレビューは『小谷野敦のカスタマーレビュー』として中川さんが刊行してくれました。

『あの当時』というのは、『萩尾望都と竹宮惠子』刊行当時、ということですね?
つまり、私のレビューが何度も削除されるのを見て、中川さんが、レビューの削除なんてことがこんなにあるんだろうかと気になり、旧知の小野谷さんに、確認を兼ねたレビューの投稿をお願いした、と。

ちなみに、私のレビューは、かなり辛辣なものや政治保守や宗教保守を批判するような内容のものも少なくないので、これまで、ざっと20本ほどのレビューが削除の対象とされております。
しかし、『萩尾望都と竹宮惠子』のレビューと同様、削除されても、再投稿すれば何度でも反映されたのですが、下の5本のレビューだけは、途中から、再投稿しても二度と反映されなくなりました。
なぜ、この5本だけがと考えますと、やはり「裏があって、何らかの力が働いたのか」と思わざるを得ないのでございます。

(1) 物江潤『ネトウヨとパヨク』新潮新書
    (https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2515)
(2) 先崎彰容『バッシング論』新潮新書
    (https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2533)
(3) 谷本真由美『世界でバカにされる日本人』ワニブックスPLAS新書
(4) 津原泰水『ヒッキー・ヒッキー・シェイク』早川文庫
    (https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2522)
(5) 新海誠『天気の子』DVDおよび角川文庫
    (https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2615)

ちなみに、

(1)の著者は「松下政経塾」の出身者。
(2)の著者は、「危険タックル事件」で厳しい批判を浴びた日本大学の、危機管理学部の教授。
   同書は、著者が、所属をなかば隠しての、お手盛りの「バッシング」批判の書です。
(3)は、「日本サイコー(自画自賛)」的なタコツボ現象を批判して、世界水準における日本評価の現実を紹介した本。
(4)は、単行本の版元が、かの「幻冬舎」で、文庫の刊行について著者と版元が揉め、版元社長が謝罪するなど、
   ネットでかなり話題になった本です。
(5)は、昨年の大ヒット劇場用アニメですが、その不出来さについて、論拠を示して徹底的に批判した論文です。
   角川文庫のノベライズ本のレビューとして投稿して以降は、ずっと反映されていたのに、約1年後のDVD発売時に、DVDのレビューとしてアップしたところ、どっちも削除されて、二度と反映されなくなりました。

言うまでもなく、(1)(2)は著者に批判的。(3)は、著者に肯定的。(4)は著者に肯定的で、幻冬舎を批判。(5)は、作者・新海誠に批判的な内容です。

> なお貴兄がいう「読めてないレビュー」というのは萩尾望都とかのファンが嫉妬交じりで書いたもので、別に読めてないわけじゃないでしょうね。あとは竹宮惠子の『少年の名はジルベール』に書いてあることをなぞっているじゃないかという。

『萩尾望都とかのファンが嫉妬交じりで書いた』というのは、間違いないでしょうね。
私もレビューに書きましたとおり、あれは信者的読者による崇拝作家の「カルト的囲い込み」心理に抵触したということでしょう。「私たちの方が、熱心なファンだし、よく知っているのだ。横から出てきて、訳知り顔をするな」みたいな「妬み」によって、ど素人のくせに、いやに上から目線の書き方をして、自身の優位性を示そうとしたのでしょう。
もちろん、そんなことで優位性など示せるわけもないのですが、自分が見えていない人というのは、そうしたものですからね。

ただ、彼らはいちおう『萩尾望都と竹宮惠子』を読んだ上で、あの「妬みに発する、皮肉や悪口しかないレビュー」を書いたのですから、「妬み」に目が曇っていたとは言え、やはり「読めていない」ということでしょうし、妬みに曇っていないときでも、「読める読者」でなかったのは間違いないでしょう。何よりも、自分の心理がまったく読めないような鈍感な読者が、微妙な心理の綾など、きちんと読めるはずなどないからです。

なお、竹宮惠子の『少年の名はジルベール』は、単行本刊行当時に読んだのですが、内容的にはあまり印象に残っておりません。ただ、書き下ろしのジルベールのイラストのデッサンが狂っていたのが、とても残念でした。
絵描きというのは、歳をとるとどうしても線が硬くなるし、デッサンに狂いが生じてきますね。よくあることとは言え、いちばん良い時期を知っているだけに哀しくなりました。
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(無題)
投稿者:小谷野敦  投稿日:2020年 8月31日(月)17時33分36秒

お返事ありがとうございます。アマゾンレビューには、他のレビューに触れてはいけないというガイドラインがあるので、それに抵触したんでしょうか。なお私が裁判所に持ち込んだのは「言論」とはいえないキチガイの落書きを、実名開示させるためのもので、キチガイというのは実名開示されるとおとなしくなります。先崎彰容というのはつまらん右翼論客ですが、「週刊読書人」によく登場するのが謎です。

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小谷野敦さまへ(第4信)
投稿者:園主 投稿日:2020年 9月 6日(日)13時26分14秒

★ 小谷野敦さま

> (無題)

さっそくのお返事、ありがとうございます。

掲示板投稿通知メールが、昨日届きましたので、反映させていただきました。
ご投稿から通知までに、なぜ5日もかかるのか、よくわかりませんが、いずれにしろ反映が遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。

> アマゾンレビューには、他のレビューに触れてはいけないというガイドラインがあるので、それに抵触したんでしょうか。

ご教示、ありがとうございます。
ガイドラインに「他のレビューに触れてはいけない」という項目があるとは知りませんでした。
私は、しばしば他のレビューに触れておりますが、それを理由に管理者から「掲載不可」のメールをもらったことはありません。と申しますか、具体的な理由説明はありませんし、そういうのも普通に掲載されておりますから、そこまで管理者も細かくチェックしていないんでしょうね。

と言うことは、理由はどうあれ、削除されるのは、何者かが管理者に違反通告したということでしょうし、他のレビューに言及していないものでも、削除される時は削除されますから、いずれにしろ削除理由はハッキリしません。
管理者も、削除理由は明示しませんし、説明を求めても答えてくれません。問答議論は避けたいということでしょうね。

もちろん、納得できるルールなら従いますが、いったん公開された文章に言及するなというのは、どうかと思いますから、一方的なルールの押しつけには、強かに対応したいと思っております。
したがいまして、今後も必要に応じて他のレビューには言及するつもりですし、それでぜんぶ削除されるのであれば、それはまたその時、対応を考えたいと思います。

> なお私が裁判所に持ち込んだのは「言論」とはいえないキチガイの落書きを、実名開示させるためのもので、キチガイというのは実名開示されるとおとなしくなります。

匿名だからこそ安心して、誹謗中傷悪罵の類を書くような卑怯者は、キチガイの名にも値しないクズですね。
そんな奴はどんどん晒し者にすべきですし、開示請求手続きが、もっと簡単にできるように法改正がなされるべきでしょう。
ただ、法の適切な運用ということが、また問題にはなるでしょうが。

> 先崎彰容というのはつまらん右翼論客ですが、「週刊読書人」によく登場するのが謎です。

日本大学理事長の田中英壽というのは、学生の頃、全共闘つぶしに活躍した、同大学相撲部の猛者だったそうで、当然、右翼ともつながりがあるでしょうし、週刊誌にはヤグザとの交友も暴露されておりました。
また、危機管理学部というのは、加計学園系の何とかいう大学でも設置されてる目新しい学部ですが、要は元警察庁長官だとか警察官僚の天下りポストのようです。
つまり、日本大学は、警察とヤクザの両方にコネのある、ハッキリした反左翼大学だってことですね。
これくらい、あちこちに人脈を作っていれば、その気があれば、『週刊読書人』にライターをねじ込むくらいのことは、簡単にできるのではないでしょうか。

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(無題)
投稿者:小谷野敦 投稿日:2020年 9月 6日(日)14時00分9秒

いや、先崎は東日本国際大学にいた時から登場していました。これは東日本ハウスという西部邁のスポンサーだった会社が作った右翼大学ですね。アマゾンは十年くらい前にはレビュー管理もすべて米国でやっていると嘘をついて門前払いを食わせていたのですが、今では国内で情報開示します。

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小谷野敦さまへ(第5信)
 投稿者:園主 投稿日:2020年 9月 7日(月)09時11分27秒

★ 小谷野敦さま

> (無題)

> いや、先崎は東日本国際大学にいた時から登場していました。これは東日本ハウスという西部邁のスポンサーだった会社が作った右翼大学ですね。

なるほど。そんな名前の大学は、聞いたことすらありませんでした。
ともあれ、そうした「右翼つながり」で、先崎は、より大きな日本大学に出世移籍してきたというわけでございましょうね。

しかし、そうなりますと、先崎の著作に関するレビューの不自然な「削除」についても、日本大学オンリーの力ではなく、その背後にある「右翼的なつながり」(例えば「日本会議」など)の、アマゾンに対する力が働いている可能性もある、ということになりましょう。

また、そのような力が、政治的宣伝のために、先崎を著述家に押し上げたのだとも考えるべきでございましょうね。もちろん、先崎は、そういう「駒」の一つにすぎないのでございましょうが。

> アマゾンは十年くらい前にはレビュー管理もすべて米国でやっていると嘘をついて門前払いを食わせていたのですが、今では国内で情報開示します。

アマゾンほどの大会社が、臆面もなく、そういう嘘をつくというのが恐ろしいところなのですが、現実はその程度のことなのでございましょうね。
ただ、その事実が示すのは、タチが悪いのは、アメリカのアマゾン本社であるよりも、むしろ本社に責任を擦り付けて誤摩化そうとした、アマゾンの日本法人だということにもなるのではないでしょうか。
じっさい、アメリカの方ではGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に対する風当たりはそうとう強く、それに対する否応のない対応も迫られているようですが、日本では、そういうことはまったくなく、個人が苦情を申し立てても、門前払いでなければ、いいように誤摩化される、というのに近い状態でございましょうから。

最近、レビューの「参考になった」数の更新が極端に遅いことに気づいたので、システムに不具合でもあるのではないかと思い、管理者に連絡しようとしたところ、なんと電話受付ができておりました。こんなものは、少し前までは考えられませんでしたからね。
でも、結局は、オペレーターが専門の係に繋ぎ、その係員に説明すると「調査して、後日メールでご返答させていただきます」ということで、結局はメールで知らせるのと大差はございませんでした。ちなみに、この不具合については、改善されております。

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小谷野敦さまへ(第6信)
投稿者:園主 投稿日:2020年 9月 7日(月)20時07分11秒

★ 小谷野敦さま

これまでの「アマゾンレビュー削除」の件とは、まったく無関係なのですが、たまたま、高山羽根子の『オブジェクタム』を読み、小谷野さまのレビューに言及しましたので、こちらでご紹介しておきます。
けっしてお褒めしているわけではありませんが、ご一読いただければ幸いです。

 高山羽根子『オブジェクタム』レビュー:違った〈公理系〉の共存は可能か?
 (https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1HUK1HYWEXORQ)

https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA

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(無題)
投稿者:小谷野敦  投稿日:2020年 9月10日(木)12時01分20秒

ああ、これは前に読みましたが、私が「面白くない」というのは単にそれだけであって、論理的に説明できない、ということは言ってないです。田中さんはあまり純文学に関心はないのでは?

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小谷野敦さまへ(第7信)
投稿者:園主 投稿日:2020年 9月10日(木)21時27分43秒

★ 小谷野敦さま

> (無題)

お返事、ありがとうございます。
また、拙論をお読みいただいたことに感謝します。

 高山羽根子『オブジェクタム』レビュー:違った〈公理系〉の共存は可能か?
 (https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1HUK1HYWEXORQ)

> ああ、これは前に読みましたが、私が「面白くない」というのは単にそれだけであって、論理的に説明できない、ということは言ってないです。田中さんはあまり純文学に関心はないのでは?

さて、このご返事を拝見いたしますと、小谷野さまは、

(1) 純文学には「論理性」は、不要だ。
(2) 自分の感想について、論理的に説明しようと思えばできる。

と考えておられるようなのですが、いかがでしょうか?

ちなみに、私は「純文学」も大好きでございます。
そして同時に、「純文学」にとて「論理性」は、無いよりはあった方が良いに決まっている、と考えております。

もちろん私は、小説家として大西巨人、文芸批評家として柄谷行人が大好きで、要は「論理的」なものが好きだというのは、間違いない事実でございます。
また、「純文学」とは別に、「本格ミステリ」や「ハードSF」も好きですから、そこでも「論理的なもの」に惹かれているというのは間違いございません。

しかしまた、ことはそんなに単純に割り切れるものでもございません。
と申しますのも、私は中井英夫が大好きで「幻想文学」も好きですし、中井英夫の代表作である『虚無への供物』は、本格ミステリの形式を借りながらも、それを内破する「アンチミステリー」と呼ばれる作品で、私はミステリの中では、「論理性」を売り物にする「本格ミステリ」にも増して、この「アンチミステリー」系の作品、例えば、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、竹本健治の『匣の中の失楽』といった作品の方が、ずっと好きなのです。

つまり、単純に「論理的なものが好き」という言葉だけでは、表現し尽くせない「多面性」がある、ということでございます。

世間ではしばしば、単純に「論理性」と「感覚的なもの(感受性)」が対比されて、まるで、人はどちらか一方のタイプででもあるかのように言いたがりますが、言うまでもなく、人間はそんなに単純なものではございませんし、私自身も、そう単純ではあり得ません。

したがいまして、私は、どんな人間でも「論理性」は持っていて然るべきだと思いますし、「純文学」においても「頭の悪い感性主義」などではなく、出来うるかぎりの「論理性」は持つべきだと考えますし、またこれは、ごく常識的な考え方ではないかと存じます。

小谷野さまは『私が「面白くない」というのは単にそれだけであって、論理的に説明できない、ということは言ってない』とおっしゃってますが、出来るのであれば「論理的に説明するべき」ではないでしょうか。

と申しますのも、「面白い」とか「面白くない」と言うだけでは、三歳児でも「ハイデガー哲学」について「面白くない」と申せますように、そんな評価には何の意味も価値もございません。
したがいまして、それを読んで気を悪くする人もいるのを知っていながら、わざわざ「面白くない」とだけ言うのは、いかがなものかと思うのでございます。

もちろん、プロの著述家として「原稿料ももらっていないのに、そんなに面倒なものは書けないよ」というお気持ちがおありになるのかもしれませんが、それならば最初から書かなければいいだけだと、私がそう思いますが、いかがでしょう。

それに、原稿料が出ない文章だと言っても、それを公にする以上は、アマであれプロであれ「言論公表の責任」が伴い、時に「説明責任」の伴うものなのではございませんでしょうか。
そのあたりの認識が、今回の小谷野さまのご返事では、あまりに曖昧なのでございます。

小谷野さまは、高橋羽根子の『オブジェクタム』のレビューにおいて、

> やたら大勢の人が絶賛しているわりにアマゾンレビューが書かれない状態で、なんだこれはと思って読む。表題作のほか、林芙美子文学賞受賞の「太陽の側の島」と、『文學界』に載った「LHOOQ」が入っている。表題作は壁新聞を秘密に作っているおじいちゃんと孫の男の子の話だが、文章が異常に読みづらく、小説の世界へ入っていけないし、何が言いたいのかも分からない。もし素で読まされたら、まだ技術が下手なんでもうちょっとおかしな細部を刈り込んで、何が言いたいのかはっきりさせたほうがいい、と言うだろう。絶賛している人たちはどういうところがいいと思っているのか、何か陰謀でもあるのか、分からない。私にはちっとも面白くなかった。
(https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1T8HAVS3ZETEX)(※※ リンク切れ)

といった具合で、絶賛する人たちへの「疑義」が公然と表明されているのですから、それをするのなら、まずご自分の意見の「正しさ」を可能なかぎり、他者にも伝わるように説明すべきではないでしょうか。
『まだ技術が下手なんでもうちょっとおかしな細部を刈り込んで、何が言いたいのかはっきりさせたほうがいい、と言うだろう。』とまで言うのでしたら、ご自分がその範を示して、問題点を『はっきりさせたほうがいい』と思うのですが、いかがでしょう。

しかし、そのためには「論理性」が必要なのですね。
いくら、自分は「わからない」とか「つまらない」とか言い募ったところで、相手も「わかる」し「おもしろい」と主張するだけで、水掛け論にしかならないのは、火を見るより明らかでございましょう。そうならないためには、お互いに「感じたこと」を「論理」に乗せて説明する努力が、是非とも必要なのでございます。

そのようなわけで、私からしますと「論理的であるべき」という考え方が『あまり純文学に関心はないのでは?』という推察や疑問に直結してしまうこと自体が、非論理的かつ非文学的なことのようにしか思えません。

「文学とは、感性だよ」などというお子様めいた理屈で済むのであれば、誰が何をどんなに褒めようと、それについてあれこれ「疑義」を表明するのは、いかにも無意味なことのように思うのですが、小谷野さまは、そのあたりをいかがお考えなのでございましょう。

たいへん興味のあるところですので、お暇があれば、是非ご意見をお聞かせ願えればと存じます。

.
https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA

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(無題)
投稿者:小谷野敦  投稿日:2020年 9月11日(金)12時49分38秒

いや、私があなたが純文学に関心がないだろうと思ったのはこれまでのレビューにあまり純文学が出てこないからにすぎません。そして1,2ともに間違いです。これについては小池昌代さんとの対談本の最初のほうに書いてあるのでそちらをご覧ください。

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小谷野敦さまへ(第8信)
投稿者:園主 投稿日:2020年 9月12日(土)18時12分17秒

★ 小谷野敦さま

> (無題)

お返事、ありがとうございます。
個性的なお返事、たいへん興味深く拝読いたしました。

> いや、私があなたが純文学に関心がないだろうと思ったのはこれまでのレビューにあまり純文学が出てこないからにすぎません。

なるほど。
でも、amazonレビューにあるのは、ここ3年くらいのものですから、それをざっと見ただけで判断なさるのは、いささか早計かと存じます。

まあ、何を「純文学」と考えるかという定義の問題もありますが、ごく常識的に考えて、純文学に興味のない者が、正宗白鳥や葛西善蔵を読んだりしないでしょうし、『近代日本の批評』を読もうとは思わないでしょう。なぜなら、この『近代日本の批評』という本を読むには、そこで扱われている明治から昭和にかけてのめぼしい作家や批評家を、ある程度は読んでいないと、何が議論されているのか、その評価が適切なのか否かなどが、判断のしようもないからでございます。

つまり、小谷野さまのように純文学書を専門的に読んでいるわけではございませんが、私もそれなりには読んでおり、興味なら十二分にある、ということでございます。

また、私の場合、興味の範囲が並外れて広いので、結果として、純文学ばかり読んでいる暇はない、ということなのでございますよ。「興味がない」のではなく、「興味の範囲が幅広い」のでございます。
それに、ミステリマニアのサークルに入っていた経験から、オタク的に一ジャンルだけに関する詳しさを売りにするようなことはしたくないのでございます。世の中には、いろんなジャンルに素晴らしい作品があるのですから、それらをジャンルイメージだけで、あらかじめ排除するのは愚かなことだと思うのでございます。

ともあれそんなわけで、小谷野さまが読まれている純文学書を読んでいない分、私は小谷野さまが読まれていないジャンルの本を読んでいる、ということでもございます。
このことについては、小谷野さまもレビューを書かれていた、高橋一清『芥川賞直木賞秘話』についての、拙レビュー、

 ・ 「井の中の蛙、大海を知らず」
  (https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R288EJ7INU7Z5M)

に、詳述したとおりでございます。

> そして1,2ともに間違いです。これについては小池昌代さんとの対談本の最初のほうに書いてあるのでそちらをご覧ください。

『1,2』とは、私が前回「小谷野敦さまへ(第7信)」で書いた、下の部分でございますね。

>> さて、このご返事を拝見いたしますと、小谷野さまは、
>>
>> (1) 純文学には「論理性」は、不要だ。
>> (2) 自分の感想について、論理的に説明しようと思えばできる。
>>
>> と考えておられるようなのですが、いかがでしょうか?

これが「間違い」だとおっしゃるということは、小谷野さまも、

 (3) 純文学にも「論理性」は必要だ。

と、お考えであり、その一方、

 (4) 自分の感想について、論理的に説明しようと思わない。または、説明できない。

ということになりますよね。

しかし、「論理性」は必要だが、説明できないとか、する気がない、ということでは、その「論理性」は無価値でございましょう。
自分で、論理的だと思ってるだけでは、それが論理的であるか否かなど、誰にもわからず、本人の単なる思い込みである場合も少なくないからでございます。

例えば、頭の悪いネトウヨでも、自分を論理的だと思っている人は少なくありませんし、各種の宗教信者だって、たいがいは、自身を十分に論理的だと思ってるいるものでございます。
つまり「論理性」とは、他者と共有されて初めて意味を持つものであり、「説明のない論理性」などというものは、語義矛盾なのでございます。

ともあれ、こうした今ひとつよくわからないご主張の根拠については『小池昌代さんとの対談本の最初のほうに書いてあるのでそちらをご覧ください。』とのことなのですが、これは「説明」ではない、ということをご理解なさっているでしょうか。

そもそも、私が小谷野さまのレビューに疑問を感じたのは、そこにあるのが否定的結論だけで、その根拠説明がない、という点ございます。
つまり、私が必要だと考えるのは、その都度、その問題について、その場でなされる説明であって、以前に他所で書いた説明などではないのでございます。

具体的に言えば、例えば、高山羽根子の『オブジェクタム』を否定的に評価する場合、その根拠説明は、その時その場でなされていなければならないし、説明を求められれば、その時その場でそれをしないことには、説明をしたことにはならない、ということでございます。

もちろん、その説明となる文章にリンクを張って、すぐ読めるような状態にするとか、そのままコピぺして示すのなら、それでけっこうなのですが、「この本に書いてあるから、そっちを読んでくれて」では、説明にならない。
それは、自身がなすべき説明を、相手側の理解努力を求める行為(責任を振る行為)であって、書き手である小谷野さまの説明責任を果たしていることにはならない、からでございます。
ちなみに、ネトウヨがよく「ソースを示せ」と言いますが、逆に自身がそれを求められると、他人の書いた論文へのリンクを張って、それで事足れりとしたりします。そんな場合、私は「あなたの口で説明してごらんなさい」と要求しますが、それに応えられた試しは一度としてございませんでした。

それはともかく、小谷野さまが、ご自身のレビューに酷評の根拠を書かないのは「以前に他所で書いてから」だというお考えなのなら、それはとても奇妙な理屈であり、おおよそ常識に反するものだと申せましょう。

例えば、いきなり人から「おまえはクソ野郎だ!」と面罵され、「なぜ、そんなことを言うんだ。理由を説明しろ」と問うた時に、「私のこの本に書いてあるから、それを読め。読めばわかる」と言われても、それは到底納得できるものではないし、そんなものは説明とは言えないでしょう。
それと同じことなのでございますよ。

たしかに、批判的な発言のたびに、その根拠を説明するのは面倒なことでございます。しかし、積極的に、人を批判したり批評したりするのであれば、他人と関係の中で成立つ社会に生きている発言者の負うべき責任として、「根拠説明」の努力は、必要なことでございましょう。

ですから、批判批評の相手が変われば、その相手それぞれに対し、似たような説明をしなければならないことも多ございしょう。また、作品が変われば、その作品に応じての説明が、その都度必要でございましょう。つまり、言論というのは、事程左様に「面倒くさいもの」なのでございますよ。
しかし、だからこそ、それができないのであれば、それは言論人としての責務を果たしていないということになり、言論人失格ということになるのでございます。

したがって、今回の場合で申しますと、「あれに書いてあるから読んでくれ」ではなく、簡単でもいいから、最低限、その説明内容の伝わるように、ここで具体的かつ誠実に説明努力をすべきなのでございます。
そして、そうしたことができないのであれば、小谷野さまが、他人から「あいつは説明責任を果たさない、無責任な奴だ」と評価されても、それは仕方がない、ということになるのでございます。

日本国民なら「刑法」に定められていることを、知らないでは済まされません(つまり、条文を知らなかろうと、罰せられる)が、どんな物書きのものであれ、所詮は個人の文章を、他人が読んでいなければならない義務などありません。
つまり、発言者が、自分の発言(社会的働きかけ)の正当性を担保するには、発言者の側に、他者への積極的な説明責任があるのでございます。
その点、小谷野さまは、どうもズレているように感じられるのでございますが、私の意見は間違っているでしょうか?

「ここに書いてあるから読め」ではなく、私のこの質問に、ここで答えて、ご説明をいただきたいものでございます。

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(無題)
投稿者:小谷野敦  投稿日:2020年 9月12日(土)18時52分54秒

いえ、私はあなたの掲示板を15年さかのぼって見たのです。一度著書に書いたことをウェブで繰り返していたのではきりがないので、著書を読んでくれと言っているのです。

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(無題)
投稿者:小谷野敦  投稿日:2020年 9月12日(土)18時59分52秒

あなたの理屈でいくと、私に仮に一冊分の、文芸作品の評価についての考えを書いた著作があるとしたら、レビューを書くごとにその一冊分をそのあとにくっつけなければならないということになります。かなりバカげた考え方です。

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小谷野敦さまへ(第9信)
投稿者:園主 投稿日:2020年 9月12日(土)20時23分49秒

★ 小谷野敦さま

> (無題)
> (無題)

お忙しいであろうなか、早速のお返事、しかも2本も書き込んでくださり、まことにありがとうございます。
私の返信にご注目くださっているというのがよくわかり、私もたいへん嬉しゅうございます。

> いえ、私はあなたの掲示板を15年さかのぼって見たのです。一度著書に書いたことをウェブで繰り返していたのではきりがないので、著書を読んでくれと言っているのです。

私の掲示板を『15年さかのぼって見』て下さったとは、感謝にたえません。

しかしながら、見てのとおり、私は長文家なので、まさか、15年分を読まれてはいませんよね。
読んだら、掛かり切りになっても、1週間やそこらではとうてい無理でしょうから、たぶん、すごい早さでスクロールなさっただけではないかと、そう論理的に拝察いたします。

しかし、読んでいただければわかるはずなのですが、私は「Amazonレビュー」を書きはじめるまでは、ほとんど「書評」や「レビュー」のたぐいは書いておりません。と言うのも、ここ「アレクセイの花園」の目的は「対話」であって、一方的な宣伝や独り言、日記のたぐいではないからでございます。

しかしまた、そういう方針だったからこそ、書き込みの停滞した時期がけっこう長くございました。
そこで近年は、「キリスト教批判」と暇つぶしを兼ねて「Amazonレビュー」を書くことになり、どうせなら一人でも多くの人に読んでいただきたいと、こちら(アレクセイの花園)に転載することにしたのでございます。
また、それでも私が、自家宣伝にあまり積極的ではないというのは、twitterで紹介するAmazonレビューは、書いたもののごく一部だという事実からも、ご理解いただけようかと存じます。

したがいまして、やはり、私が「アレクセイの花園」に書評やレビューを書いていないからとか、読んだ本の紹介をしていないから、純文学などを「読んでいないだろう」と推測するのは、あまりにも早計だと申せましょう。
私はもともと、読んだ本をすべて公開するような趣味はないのでございますよ。特に、Amazonレビューを書きはじめる以前は。

そんなわけで、「アレクセイの花園」を15年分チェックしたから、私が「純文学に興味がない」だろうとした、小谷野さまのご推察には、やはり妥当性がないと存じます。

> あなたの理屈でいくと、私に仮に一冊分の、文芸作品の評価についての考えを書いた著作があるとしたら、レビューを書くごとにその一冊分をそのあとにくっつけなければならないということになります。かなりバカげた考え方です。

このご意見も、非論理的でございます。
と申しますのも、私は前回の「小谷野敦さまへ(第8信)」で、

> したがって、今回の場合で申しますと、「あれに書いてあるから読んでくれ」ではなく、簡単でもいいから、最低限、その説明内容の伝わるように、ここで具体的かつ誠実に説明努力をすべきなのでございます。

と、明記しております。
つまり『レビューを書くごとにその一冊分をそのあとにくっつけなければならない』などとは申しておりませんし、それは小谷野さまの恣意的な「拡大解釈」でしかないと申せましょう。

論理的に反論するためには、相手の意見をちゃんと読むことが、是非とも必要なのでございます。

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〈小谷野敦〉氏とのやりとりの顛末
投稿者:園主 投稿日:2020年 9月13日(日)21時27分12秒

この掲示板の読者ならご承知のとおり、私は先日来、作家の小谷野敦氏と、当掲示板「アレクセイの花園」上において、小谷野氏の「レビューの書き方」の是非について、議論をおこなってきました。

掲示板のログをご確認いただければ明らかなとおり、小谷野氏の書き込みは、昨日(2020年)8月12日の「18時52分54秒」と同「18時59分52秒」の2つが、最後のものとなっています。

> (無題)「18時52分54秒」
> (無題)「18時59分52秒」

私は、この書き込みで小谷野氏のなさった、私への反論にたいして、同日「20時23分49秒」に次のレスをアップしました。

> 「小谷野敦さまへ(第9信)」

このあと、小谷野氏からの当掲示板への書き込みはなかったのですが、本日(8月13日)夕刻、友人より「小谷野が、反論できなくなったものだから、ツイッターで君の陰口を叩いているよ」との、メールでの知らせがありました。

そこで、小谷野氏のツイッターアカウント「小谷野敦とおとめなパパ・バロネッタ」(@tonton1965)を確認したところ、この掲示板のURLに「?」を付けただけのツイート、

(1) https://8010.teacup.com/aleksey/bbs?

に続いて、次の2つのツイートが、昨日のうちになされていたのが確認できました。

(2) 「俺はお前の本を読む気はないから今ここで俺に説明しろ」ってすごい態度だな。

(3) まあ今どき掲示板なんてもん使っている点で変な人ではあったが

見てのとおり、私の「小谷野敦さまへ(第9信)」を読んだ後に、もはや、私に直接伝える意志もなく、このような「陰口」を叩いて、論駁された腹いせとしたのでしょう。

無論、これが「陰口」でしかないというのは、私の「小谷野敦さまへ(第9信)」を読んでもらえば明らかなことだし、『今どき掲示板なんてもん使っている点で変な人』だなんてことは、議論の内容にはまったく無関係な「大きなお世話」で、「陰口」以外の何ものでもないでしょう。

そこで私は、直接、小谷野敦氏のツイッターアカウントに対し、本論末尾にまとめた【小谷野敦に関するツイート一覧】で紹介した、メッセージ(メンション)、(4)と(5)を送り、その上で、自身のツイッターアカウントにおいて(6)~(13)をツイートしました。

なお、私の(4)と(5)に対する小谷野氏からの応答はなく、(10)をツイートした後に、私のツイッターアカウントは、小谷野氏からブロックされたというのは、(11)に記したとおりです。

 ○ ○ ○

小谷野敦氏の、この一連の言動は、氏の「プロの言論人としての倫理」を云々する以前に、「一人の人間として恥ずべきもの」だと思います。

(12)でも指摘しているとおり、「小谷野敦 - Wikipedia」には、【法廷闘争】の項目があり、氏が被告になったり原告になったりした裁判が「12件」も紹介しており、また【法的トラブル】も2件紹介されています。(※※  すでに大半は削除されている)

さらに【主な批判対象】の項目には、40人ほどの著述家や学者などの名前が挙がっており、そのうちの何人かとはトラブルにも発展した模様です。(※※  すでに項目ごと削除されている)

もちろん、物書きが、他の人を「批判」のは仕事のうちで、それ自体はまったく問題はないのですが、要は、今回私も問題視した、「批判の仕方」が問題なのです。
小谷野氏の「批判」が、しばしば「トラブル」に発展し、裁判沙汰にまでなってしまうのは、氏が「批判の根拠」を、言葉を尽くして誠実に説明する、その努力を怠っているからではないでしょうか。

まともな物書きであれば、どんなやりとりがあったにしろ、上に示した(2)(3)ような、一方的な「陰口」を、公にすることはないと思います。
しかし、小谷野敦という人は、そういうことを平気でやってしまう人だからこそ、これだけ多くの人と「トラブル」になったのではないか。

ネット右翼の「根拠提示のない誹謗中傷ツイート」が、それでも同種の人たちには「痛快」であるように、小谷野氏の「言論」(著作を含む)が「根拠提示のない、一方的な誹謗」でしかなかったとしても、その「結論だけ」を共有できる一部の人たちは、それを「エンタメ」的に、喜んで受け入れることでしょうし、そうした人たちは「小谷野敦の悪口芸」に、喜んで対価を支払うのかもしれません。
しかし、それが「文学」でないことだけは確かでしょう。

小谷野氏は、東京大学卒で、その学歴にたいへんな自負をお持ちのようだし、著作もたくさんある、それなりの売れっ子作家・評論家だと言えるでしょう。
しかし私は、小谷野氏とのやりとりの中でも明記したとおり、氏の著作は『宗教に関心がなければいけないのか』(ちくま新書、2016年2月)しか読んでおらず、2018年当時に書いたAmazonレビュー「同年生まれで、同じようにアニメ好きだった、小谷野敦について」(https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1AFJMWQ9T36IE)には、すでに、次のように、私の小谷野敦評価を語っておりました。(※※  リンク切れ)

『小谷野の著書は初めて読んだが、なぜこれまで読まなかったのかがよくわかった。要は、氏の著書のタイトルが、おおむねその内容の透けて見えすぎる、薄っぺらなもの多かったからだ。
 (中略)
で、そんな私からすれば、小谷野の議論は所詮、薄っぺらで何が悪いという、自己正当化の議論でしかない。
わからないのだから否定はしないと言いながら、わからない自分の感性への懐疑を欠いているがゆえに、宗教を認めようが認めまいが、いずれにしろ小谷野の議論は、批評的に薄っぺらなのだ。評価すべきは、世の優等生的な宗教論に「優等生はうさんくさい」と注文をつけた点だけだと言ってよいだろう。』

こんな私が、小谷野氏から「その説明は、この本に書いてあるから、そっちを読め」と言われても、もとよりその価値などないと思っているのは当然として、それ以前に、小谷野氏には自身の「根拠提示のない酷評(=誹謗)」についての「説明責任」がある。
「説明すべき義務のある」小谷野氏が、説明を求められて「俺の本に書いてあるから、そっちを読め」では「説明にはならない」という私の批判こそ、筋の通ったものではないでしょうか。

しかし、こうした私の批判を、小谷野氏は、

(2)「俺はお前の本を読む気はないから今ここで俺に説明しろ」ってすごい態度だな。

と、私のあずかり知らぬところで「恣意的に文意を歪めて」紹介し、私に直接反論できない「腹いせ」としたのです。
これは、「男として恥ずかしい」でもなければ「女の腐ったような奴」でもなく、単に「人間として恥ずかしい、倫理観の欠落した人」の行ないと呼ぶしかないのではないでしょうか。

私は、小谷野敦氏との直接「対話」において、氏に反省をうながそうと、柄にもなく品の良いやりとりに努めたつもりですが、結局、小谷野氏は、この「議論・対話」の場から立ち去ってしまいました(そして、後脚で砂をかけることに腐心しました)。

その理由は「馬鹿馬鹿しいから、相手にするのを止めた」なのか「反論できなくなったので、逃げ出した」なのかは、意見解釈の分かれるところでしょうが、いずれにしろ、私と小谷野敦氏との一連のやりとりが、「小谷野敦という人」を知るための手がかりであり「資料」のひとつになった、というのは間違いない事実だと思います。

「対話」は、必ずしも「合意」に達するわけではありません。
しかし、「対話」をすることによって、浮き彫りにされる「真実」というものは、確かになるのではないかと、私はそう考えます。そして、今回の「対話」も、それなりに価値のあるものになったのではないかと思っています。

ともあれ、この当掲示板「アレクセイの花園」上で、本年9月7日から同月12日の間に、私と小谷野敦氏とのあいだで交わされたやりとりを、是非ご覧ください。そして、どちらに理があるかを、それぞれにご判断いただければと思います。

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【小谷野敦に関するツイート一覧】

(4)
こんなところで、私とのやりとりを宣伝してくれてるんですか?
そうならそうと、はっきり書くべきですよ。でないと、単なる愚痴や泣き言にしかなりませんから。

・BBS『アレクセイの花園』
8010.teacup.com/aleksey/bbs(※※  リンク切れ)

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(5)
いやあ、変人はお互い様ですよ。
ま、とにかく、私の変人ぶりを見てもらうにしくはないですね。

・BBS『アレクセイの花園』
8010.teacup.com/aleksey/bbs(※※  リンク切れ)

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(6)
作家の小谷野敦さん@tonton1965 の、amazonでのレビューの書き方に、私が疑義を呈し、私の掲示板「アレクセイの花園」(8010.teacup.com/aleksey/bbs)上で、議論しました。(※※  リンク切れ)
本年9月7日の私の投稿「小谷野敦さんへ(第6信)」から、同月12日の私の「小谷野敦さんへ(第9信)」を、是非ご覧ください。

----------------------------------------------
(7)
私の疑義は、小谷野さんがレビューにおいて、ご自分の否定的評価の根拠をまったく示さないスタイルについてです。
これは氏の著作にも、ある程度見られることのようですが、今回の直接のきっかけは、高山羽根子『オブジェクタム』についての、氏のレビューでした。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1T8HAVS3ZETEX(※※  リンク切れ)

----------------------------------------------
(8)
私は、『オブジェクタム』のレビューとして、同作への小谷野さんの否定的意見と、別の方の肯定的意見の双方に言及した上で、下のレビューを書きました。
それを、別件で私の掲示板に書き込みにいらしていた小谷野さんに紹介し、ご意見を伺ったというのが、一連の経緯です。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1HUK1HYWEXORQ

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(9)
私の立論が、小谷野さんのお気に召さず、議論を打ち切るのは、もちろんご自由です。
しかし、いきなり他所(Twitter)で、自分の信者向けとは言え、『まあ今どき掲示板なんてもん使っている点で変な人ではあったが』なんて、単なる誹謗をするのは、いかがなものでしょうか。
https://twitter.com/tonton1965/status/1304723676907012096?s=21(※※  リンク切れ)

----------------------------------------------
(10)
小谷野さんの、こうした「決めつけのみの説明放棄」という態度が、小谷野敦という文筆家の、本質に由来する問題点のように、私には思えます。
結局、小谷野さんには、他者への「一方的な感情」しかなく、「他者」そのものがない。だから、うまくコミュケーションがとれないのではないでしょうか。

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(11)
どうやら、先ほど(2020年9月21日17時頃)、小谷野さんがTwitter上で、私をブロックなさったようです。
私は、忌憚なくとは言え、極めて紳士的にやりとりしたつもりですが、この結果は、とても残念です。
私の主張は、バーバマスではありませんか「人間には対話が大切」だと、それだけなのに。

----------------------------------------------
(12)
私は、小谷野さんとのやりとりを始めてから、ウィキを読んで、氏のこれまでの経歴を知りました。
氏が、多くの文筆家や一般人とトラブルになっているのを承知で、それでも何とか建設的な議論を成立させられないかと努力しました。
結果としては失敗ですが、でも、まったく無意味だったとは思いません。

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(13)
小谷野敦さん@tonton1965は、ご自分からツイッター上に、私の陰口を書きました。私はそれを知って、これまでの経緯を、その読者に知らせるために、説明ツイートをしたら、ブロックされてしまいました。
その後に、小谷野さんが私の陰口をツイートしていたとしたら、あまりに情けなく、悲しいことです。

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【補足】

どうやら、小谷野氏はツイッター上で、私をブロックした後にも、まだ、

『赤江瀑を好きだというあたりでかなりヤバイ人だとは思っていた』

などと、陰口しているようです。

私の場合、ネトウヨなどを論破すると、この種の「負け惜しみの陰口」を叩かれるのが常であり馴れてもおりますから、私へのそれはまあ良いとしても、関係のない赤江瀑への誹謗は許せません。

なぜ『赤江瀑を好きだというあたりでかなりヤバイ人だ』なのか。
赤江瀑が「同性愛者」だったから、そう言うのなら、これは「差別」以外の何ものでもなく、小谷野敦氏の発言は、杉田水脈議員の「LGBT差別」発言以下だとも申せましょう。なぜなら、小谷野氏のそれには「間違った根拠説明」すらないからです。

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異なった〈公理系〉の共存は可能か? 一一Amazonレビュー:高山羽根子『オブジェクタム』
投稿者:園主  投稿日:2020年 9月14日(月)15時13分48秒


 異なった〈公理系〉の共存は可能か?
 Amazonレビュー:高山羽根子『オブジェクタム』
(https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1HUK1HYWEXORQ)

.
本書に対する評価は無論、作者高山羽根子に対する評価も、「面白い」と「まったくわからない(面白くない)」の真っ二つに分かれる傾向があるようだ。
本作のレビューにおいて、「面白い」派を代表するのが、レビュアー「sasa」氏であり、「まったくわからない(面白くない)」派を代表するのが「小谷野敦」氏であろう。

私はどうなのかと言うと、「面白い」派である。
まだ『うどん キツネつきの』と本書の2冊しか読んでいないが、「面白くない」収録作品はひとつもなかった。
もちろん、個々の作品の評価においては多少のデコボコはあれ、それでもこの作家は、総じて面白い。完全な「ハズレ」だとか「失敗作」というのが見当たらない、きわめて安定感のある作家なのである。一一これが、私の評価だ。

しかし、そういう個人的な評価は別にしても、「sasa」氏のご意見には、大筋において賛成である。つまり、「物語は詠み手に伝わってこそ」なんて考えは、あまりにも幼稚なものであり、およそ読み手の意見(あり方)としてお話にもならない、ということで、この「読者論」には完全に同意する。
ただ、注文をつけるなら『わからない、それでいい』という言い方は、適切ではないと思う。

ここで言う「わからない」とは「論理的に説明できない」というほどの意味であろうが、そもそも「わかる」というのと「論理的に理解できる(説明もできる)」というのとは、同じことではない。
実際のところ「論理的に理解できる(説明もできる)」というのは、「わかる」ことのごく一部分でしかない。人は、多くのことを「直観的に理解」しているのだが、そのうちの大半について「論理的に説明することはできない」のだ。つまり「わかってはいるけれど、説明はできない」という事態が、「わかる」ことの大部分を占めているのである(「私は彼が好き。けれども、なぜ好きなのか、その理由はよくわからない」等)。

したがって「わかるけれど、説明できない」というのは「当たり前の事態」であり、「わかっているし、説明もできる」というのは、好ましくはあれ、むしろ「例外的な事態」だと言えるのだ(だから、優れた批評家には希少価値がある)。

よって「説明できなくても、しかたがない」と言い方であれば、それは、ある程度、容認せざるを得ない現実であろうけれども、勢い余って『わからない、それでいい』とまで言ってしまっては、やはりそれは間違いだろうと思う。それは単に「わかってはいるけれど、説明できない場合も多々ある」ということの、不適切に過剰な表現でしかないからである。

まず「わかる」のなら、それでいい。「わかるのだけれど、それを論理的に説明できない」というのも、能力の有無の問題として「仕方のない」ことだろう。けれども、「わかるのなら、できるかぎり論理的に理解できた方がいいし、説明できた方がいい。それに越したことはない」とは言えよう。その上で、どうしても無理ならば、それは文字どおり「仕方ない」のである。

さて、次の問題は、「小谷野敦」氏の『絶賛している人たちはどういうところがいいと思っているのか、何か陰謀でもあるのか、分からない。私にはちっとも面白くなかった。』というご意見である。

氏には、本書収録作品がすべて「わからなかった」。これは事実であろう。まったく毛ほども「わからなかった」からこそ、「面白かった」と言っている人たちの評価を「ホントは面白くなかったんじゃないの? みんなが褒めてるから、それに引っぱられて、そうだそうだと褒めてるだけなんじゃないの? そういうことって、実際よくあることだし、高山作品について評価も、そういうことの一例なんじゃないの?」と疑っているのである。
そして、その疑いの補強材料となっているのは、たぶん「小谷野敦」氏にとっては、高山作品の絶賛者の絶賛評の多くが「その面白さを、論理的に説明できていない」と感じられるところではないだろうか。つまり「面白い、面白い」と言うばかりで、いっこうに「根拠説明がない」と感じられているからこそ、これは「陰謀」じゃないかとまで勘ぐってしまうのである。

一一また、だからこそ、可能であるのなら、「論理的な説明」は為されるべきなのだ。

ふつう、人は、否定批判する時には、その根拠を論理的に示す義務を感じて、その努力をするのだが(今どきは、貶すだけの人も多いが)、褒める場合は、あまりその根拠説明の必要性を感じないから、それをしないことが多い。「だって、読めばわかるでしょう」というわけである。一一しかし、現実は、そうではない。

「この世には、誰もが同じように分かる事実など、一つも存在しないのだよ」

ということである。
それは単に「知的能力の有無」の問題ではない。そもそも、知的能力と言っても、それは無限に多方面多方向にわたっており、そっちは優れていても、こっちは鈍感だというのは当たり前にあることで、誰しも、そうした一筋縄ではいかない事態を、「人間的な現実」として、多かれ少なかれ感じているはずだ。

したがって、「説明しても、理解されない説明」もあるし、「説明されても、理解できない説明」もある。
「こいつは、どこから見ても醜男(醜女)だろう!」といきり立ったところで、「いや、私は好きだな」という人は必ず出てくるわけで、その人は「嘘」をついているわけでもなければ、「陰謀」に加担して難癖をつけているわけでもない。99パーセントの人にとって「醜男(醜女)」であろうと、かならず何人かは、心の底から「美しい」と思う人がいるのだ。
同様に、「あいつは殺すべきだ」とか「人類は滅ぶべきだ」といった意見も、決して「嘘」でも「陰謀」でも「冗談」でもなく、きわめて「誠実」かつ「本気」で語られるからこそ、この人間の世の中は難しいのである。

そして、この「人間にとっての、こうした世界の現実」を描いているからこそ、高山羽根子の作品は、「小谷野敦」氏のようなタイプの人にはとっては『文章が異常に読みづらく、小説の世界へ入っていけないし、何が言いたいのかも分からない。もし素で読まされたら、まだ技術が下手なんでもうちょっとおかしな細部を刈り込んで、何が言いたいのかはっきりさせたほうがいい、と言うだろう。』ということになってしまうのだろう。要は、「小谷野敦」氏にとって、高山羽根子の作品は、心の底から正直な感想として、「醜男(醜女)」同然なのである。

だが、そんな「感性」を持つ「小谷野敦」氏のようなタイプの人に、高山作品が「美男(美女)」的に感じられる人の「論理的な説明」が、果たして役に立つだろうか?

喩えて言えば、「1+1=2」という世界観を持つ人に対し、「1+1=無限大」という世界観を持つ人が、「論理的」な説明した場合、その説明は、「1+1=2」という世界観を持つ人に対し、論理的なものとして機能するだろうか?
もちろん、機能することなどないだろう。その論理的な説明は、「意味不明」なものと受け取られるだけである。

しかしながら、「小谷野敦」氏が、「違った公理」を生きているかのような人たちに対して「説明」を求めるのは、きっとどこかで、他人も「同じ公理系を生きている」と信じているからであろう。それは「話し合えば、わかり合えるはずだ」と、どこかでナイーブに信じるのと、同じような「信念」なのではないか。

もちろん、人間社会においては、「話し合えば、わかり合えるはずだ」という「理念」を掲げて、その運営がなされるべきだろうとは思う。しかし、それは「理念」や「理想」ではあっても、残念ながら「現実(そのもの)」だとは思えない。むしろ、それが現実ではないからこそ、人は「話し合えば、わかり合えるはずだ」という「理念」や「理想」を掲げて、少しでもそれに近づこうとするのではないだろうか。

そして、そうした意味で、高山羽根子の描く世界は、「複数の公理系が交錯する、リアルな世界」なのである。
だから、「小谷野敦」氏のような「世界観」を信奉している人には、高山の作品は「デタラメで無責任」なものに映るのかもしれない。その気持ちは正直なものであり、その正直さを疑うものではなけれど、しかし、氏の世界観は、やはり「単純」にすぎて、「文学」向きではないとも思う。

私は「小谷野敦」氏の文芸評論作品を読んだことはないけれど、読めばきっと「単調で、つまらない」と感じることだろう。また事実、「文学論」ではないけれども、唯一読んだ小野谷敦の著作『宗教に関心がなければいけないのか』に対する、私の4年以上前のレビューは、

『小谷野の著書は初めて読んだが、なぜこれまで読まなかったのかがよくわかった。要は、氏の著書のタイトルが、おおむねその内容の透けて見えすぎる、薄っぺらなもの多かったからだ。』

という言葉で始まって、

『で、そんな私からすれば、小谷野の議論は所詮、薄っぺらで何が悪いという、自己正当化の議論でしかない。
わからないのだから否定はしないと言いながら、わからない自分の感性への懐疑を欠いているがゆえに、宗教を認めようが認めまいが、いずれにしろ小谷野の議論は、批評的に薄っぺらなのだ。評価すべきは、世の優等生的な宗教論に「優等生はうさんくさい」と注文をつけた点だけだと言ってよいだろう。』
(『宗教に関心がなければいけないのか』のレビュー、「同年生まれで、同じようにアニメ好きだった、小谷野敦について」2016年2月18日付)

という言葉で締めくくられていた。

やはり、私から見ると、小谷野敦の「世界観」は、「一次元足りない」ようにしか見えず、「薄っぺら」としか感じられなかったのだ。
当然、「小谷野敦」氏にすれば、私の意見は「混乱した意味不明」なものと映るだろう。三次元の人間が、四次元の人間を観察すれば、それが論理的整合性を欠いた「動き」に見えるのと、同じことである。

そんなわけで、高山羽根子作品を「小谷野敦」氏が理解できないのは、端的に言って「見えている世界像」が違うからであり、言い変えれば「世界観」が違うからである。
「四次元人の美学は、三次元人には理解不能であり、三次元人の美学は、四次元人には平板すぎてつまらない。あんなものの何が良いのか」となって、お互いに直観的な理解は不可能なのである。

しかし、「直観的な理解」は不可能でも、「違う世界観に生きる人が在る」とメタ的に理解することは、あながち不可能ではないのではないだろうか。それとも、こうした考え方自体が、すでに「小谷野敦」氏的な世界観からすれば「非論理的」で「理解不能」なものと感じられるのだろうか。一一そこは私にも理解不能である。

私はもともと「他人を理解する努力、自分を説明する努力は、必要であり重要だけれど、他人を完全に理解することも、自分を完全に理解してもらうことも、原理的には不可能だ」と考える人間なので、「小谷野敦」氏が理解してくれなくても、それはそれで仕方がないと考える。

ただ、たまたまなのだが、まったく別の要件で、小谷野敦氏が私の掲示板に、先日から何度か書き込みを下さっているので、このレビューを書いたことは、そちらで直接伝えておこうと思う。一一無論、ご感想を下さるかどうか、「それはまた別の話」である。

ちなみに、今回の評価が「星4つ」なのは、『うどん キツネつきの』に比べると、全体に「普通」で、そこが物足りないと感じたからである。
当然、本作品集収録作品が「異常」に思える人の感覚は、私にはまったく理解不能なのである。

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 【補記】(2020.09.13)

レビュー本文の末尾に書きましたとおり、小谷野敦氏本人にこのレビューを示して、ご意見をうかがいいました。

その結果、小谷野氏とは、何度かのやりとりがなされたものの、結局、小谷野氏は、自分の「レビューの書き方」つまり「批判の根拠を示さない」という書き方に対する、私の疑義に対しても、何ひとつ説明をすることはなく、沈黙した途端、自身のツイッターアカウントで、こっそりと私の「陰口」を叩くという所行に及びました。曰く、

 「まあ今どき掲示板なんてもん使っている点で変な人ではあったが」

また、これに対し、直接「変人はお互いさまでしょう」とメンションした私をブロックした後も、小谷野氏は、

 「赤江瀑を好きだというあたりでかなりヤバイ人だとは思っていた」

などと書いたりしておりました。

以上のやりとりをまとめた【〈小谷野敦〉氏とのやりとりの顛末】を、本日、私の掲示板「アレクセイの花園」(記事番号2857)にアップしておりますので、ぜひご確認ください(※ ここにはURLを書けませんので、掲示板名で検索をお願い致します)。

なぜ、小谷野敦という人は「批判の根拠説明」ということが出来ないのか。その理由が、氏とのやりとりの中で、ある程度は明らかにできたかと思います。

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 【補記2】(2020.09.14)

「小谷野敦に関する七つのツイート」を書いたので、こちらにも収録しておきます。

(1) #小谷野敦 は、なぜ「説明」ができないのか?
それは「他者」がいないからだ。自分とは「違うもの」の実在が実感できず、それを「間違った」存在だと誤認する。
だから彼は、性的な差別発言をし、そう指摘されると、本気で誤解だと抗弁する。自分が被害者だと思ってしまう。一種の「認識障害」なのだ。

(2) #小谷野敦 が「論理的」に見えるのは、「自分の世界内部」を語っている時だけだと言ってよい。
つまり「他者」の世界が、彼には見えない。「他者」に開かれた「窓」が無い。「想像力」が働かない。だから、性的な差別発言をしてしまう。彼にはLGBTは「他者」ではなく「間違った人」と認識されるのだ。

(3) #小谷野敦 と私との議論が、なぜ成立しなかったのか。
それは、私が小谷野の同類ではなく、世界観を異にしていたからだ。私は、二つの世界を架橋しようとしたが、小谷野にはそれが、「不法な侵襲」と認識されたのだろう。
「変人」で知られる小谷野が、私を「変な人」と平気で呼んだのは、そのためだ。

(4) #小谷野敦 は、なぜ、しばしばトラブルになるのか。
それは、彼には「他者」が理解できず(存在せず)、自分の延長でだけ、人を見るからだ。
したがって、彼の理解に反する人は「変な人」であり、むしろ彼は、そうした人たちから被害を受けているつもりなのだ。彼は「被害者」のつもりなのである。

(5) #小谷野敦 が、その無自覚な差別発言において、ネット右翼と似てくるのは、「他者=外部」を認識できないという共通点においてである。
彼らは、「他者」を、「異なった人」ではなく「間違った人」だと誤認し、自らを「被害者」だと誤認してしまう、「心の窓」が閉じた、魂の隔離的収監者なのである。

(6) #小谷野敦 には、「もてる・もてない」という問題は、「制度としての恋愛論」の誤りとして論じることはできても、いずれにしろそれが「脳科学的な現象」でしかないといった、醒めた目では見られない。なぜならそれは「外部の眼」だからだ。小谷野は「内部だけの人」だから、外部の観点には立ち得ない。

(7) #小谷野敦 は、基本的に「自信のない人」である。
だから、「他者」を「間違ったもの」として否定排除したがる。あるいは「東大卒という学歴」を殊更に誇示して、自身を鎧わなければならない。
彼は「被害者意識」が強く、他者を信じない。だから、嫌われやすくもある。つまり、可哀想な人なのだ。

(付言) ここまでの「小谷野敦に関する七つのツイート」で、#小谷野敦 という人の「問題点」や「奇矯さ」の意味が、おおむね説明できたのではないか。
小谷野と違い、私は「他者や外部」を否定するのではなく理解したい。それは「他者や外部」が、恐る対象ではなく、興味を唆る対象だと感じられるからだろう。

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小谷野敦に関する七つのツイート
投稿者:園主  投稿日:2020年 9月14日(月)16時12分1秒

「小谷野敦に関する七つのツイート」を書いたので、こちらでも紹介しておこう。

すでにご紹介した「〈小谷野敦〉氏とのやりとりの顛末」は、タイトルのとおり、私と小谷野敦氏との直接のやりとりの全貌を紹介するものだが、リンクで紹介した部分まですべて含めると、けっこうな文章量となるので、ここでは、私の「小谷野敦論」を手短に紹介している。

なお、小谷野敦という人を知るための資料としては、「小谷野敦-Wikipedia」が必読である。
そこには、次のような記述もある。

『ウィキペディアでの編集活動をめぐり「日本版ウィキペディアの責任者」に提訴を警告
ウィキペディア日本語版で利用者:Akoyanoとして活動していたが、自らの編集活動をめぐり管理者と衝突。2007年11月20日には「仮に私の編集停止措置などをとれば、公示送達によって提訴し、日本版ウィキペディア(ママ)の責任者を引きずり出してやる」と宣言した[103]。これらの言動がサイトの規則に反するものとして、最終的には恒久的にウィキペディアへの投稿が禁止された。』

その他、小谷野の『「裁判をやってもらうために税金を払っていたわけで、これは納税者の重要な権利である。どうも日本人は訴訟狂でなさすぎる傾向があるね」』との発言も紹介されており、小谷野自身、自ら『訴訟狂』であると認めている。

つまり「小谷野敦-Wikipedia」には、小谷野に不都合な、その人格や性格的偏向を窺わせるエピソードが、山ほど紹介されているのだ。

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 【小谷野敦に関する七つのツイート】

(1) #小谷野敦 は、なぜ「説明」ができないのか?
それは「他者」がいないからだ。自分とは「違うもの」の実在が実感できず、それを「間違った」存在だと誤認する。
だから彼は、性的な差別発言をし、そう指摘されると、本気で誤解だと抗弁する。自分が被害者だと思ってしまう。一種の「認識障害」なのだ。
(https://twitter.com/1dcqawtclc0lgqn/status/1305329486200598528)(※※  リンク切れ)

(2) #小谷野敦 が「論理的」に見えるのは、「自分の世界内部」を語っている時だけだと言ってよい。
つまり「他者」の世界が、彼には見えない。「他者」に開かれた「窓」が無い。「想像力」が働かない。だから、性的な差別発言をしてしまう。彼にはLGBTは「他者」ではなく「間違った人」と認識されるのだ。
(https://twitter.com/1dcqawtclc0lgqn/status/1305335948918448128)(※※  リンク切れ)

(3) #小谷野敦 と私との議論が、なぜ成立しなかったのか。
それは、私が小谷野の同類ではなく、世界観を異にしていたからだ。私は、二つの世界を架橋しようとしたが、小谷野にはそれが、「不法な侵襲」と認識されたのだろう。
「変人」で知られる小谷野が、私を「変な人」と平気で呼んだのは、そのためだ。
(https://twitter.com/1dcqawtclc0lgqn/status/1305338668941361152)(※※  リンク切れ)

(4) #小谷野敦 は、なぜ、しばしばトラブルになるのか。
それは、彼には「他者」が理解できず(存在せず)、自分の延長でだけ、人を見るからだ。
したがって、彼の理解に反する人は「変な人」であり、むしろ彼は、そうした人たちから被害を受けているつもりなのだ。彼は「被害者」のつもりなのである。
(https://twitter.com/1dcqawtclc0lgqn/status/1305340783692668928)(※※  リンク切れ)

(5) #小谷野敦 が、その無自覚な差別発言において、ネット右翼と似てくるのは、「他者=外部」を認識できないという共通点においてである。
彼らは、「他者」を、「異なった人」ではなく「間違った人」だと誤認し、自らを「被害者」だと誤認してしまう、「心の窓」が閉じた、魂の隔離的収監者なのである。
(https://twitter.com/1dcqawtclc0lgqn/status/1305344178168102913)(※※  リンク切れ)

(6) #小谷野敦 には、「もてる・もてない」という問題は、「制度としての恋愛論」の誤りとして論じることはできても、いずれにしろそれが「脳科学的な現象」でしかないといった、醒めた目では見られない。なぜならそれは「外部の眼」だからだ。小谷野は「内部だけの人」だから、外部の観点には立ち得ない。
(https://twitter.com/1dcqawtclc0lgqn/status/1305349466241683456)(※※  リンク切れ)

(7) #小谷野敦 は、基本的に「自信のない人」である。
だから、「他者」を「間違ったもの」として否定排除したがる。あるいは「東大卒という学歴」を殊更に誇示して、自身を鎧わなければならない。
彼は「被害者意識」が強く、他者を信じない。だから、嫌われやすくもある。つまり、可哀想な人なのだ。
(https://twitter.com/1dcqawtclc0lgqn/status/1305356097180508160)(※※  リンク切れ)

(付言) ここまでの「小谷野敦に関する七つのツイート」で、#小谷野敦 という人の「問題点」や「奇矯さ」の意味が、おおむね説明できたのではないか。
小谷野と違い、私は「他者や外部」を否定するのではなく理解したい。それは「他者や外部」が、恐る対象ではなく、興味を唆る対象だと感じられるからだろう。
(https://twitter.com/1dcqawtclc0lgqn/status/1305357869051568129)(※※  リンク切れ)

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https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA(※※  リンク切れ)

======〈以上、全記録〉==================================

 あえて書き添えるが、当記事は、盛大に「リンクフリー」である。

(2022年10月19日)


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(※ 2020年時点では存在した、小谷野の「主な批判相手」に関する、小谷野に不都合な記述の大半は、2022年の現時点では、すでに削除されている。「訴訟狂」たる小谷野が、スラップ裁判をチラつかせた結果であろう。小谷野曰く『裁判をやってもらうために税金を払っていたわけで、これは納税者の重要な権利である。どうも日本人は訴訟狂でなさすぎる傾向があるね』。


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「Amazonカスタマレビュー」関連の「note」記事(時系列)