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古田徹也 『はじめてのウィトゲンシュタイン』 : 「像」に 囚われないこと

書評:古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHKブックス)

ウィトゲンシュタインというと、なぜか「難しい」という印象があって、これまで敬遠してきた。
まあ、哲学というのは、たいがい難しいものなのだが、扱っている対象によっては興味が持てて、それで読めそうな気にもなる。しかし、ウィトゲンシュタインが扱うのは、どうやら個別具体的な何かではないようなので、これはかなり抽象的な話だぞと、怖れをなしていたのである。

だが、本書は、本当に良い入門書だったと思う。これを読めば、すぐにウィトゲンシュタインがわかる、というわけでないのは当然としても、きっとわかる部分はあるはずだという感触を与えてくれたからである。

本書をかじることで、ウィトゲンシュタインの感触を確かめてみようと思ったのは、著者の古田徹也の長編エッセイ 『いつもの言葉を哲学する』(朝日新書)を読んで、この人の書くものなら読めるかも知れないと思ったからだが、大正解だった。


単に「わかりやすい」とか「平易」というのではない、「優しさ」や「誠実さ」がこの人の文章には感じられて、その点で共感できる書き手だったのである。

(※ 右上の写真は、ミステリ作家の綾辻行人)

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『 生き様が哲学の一部であり、哲学が生き様の一部であるような人がいる。その人生を抜きにして、その思想を語ることが難しい哲学者がいる。たとえば、ウィトゲンシュタインのように。』(P313)

著者が、「あとがき」をこの言葉で書き起こしているとおり、本書は、ウィトゲンシュタインの人生と、それにともなって変化成長していったその哲学を、よく言われる「前期ウィトゲンシュタイン」と「後期ウィトゲンシュタイン」というふうに大きく区分して説明している。
無論、中間的な時期もあるのだが、そこまでの説明は、この入門書では不可能なので、「前期」と「後期」で際立った変化とその共通性を紹介して、ウィトゲンシュタインという哲学者の、根本的な「構え」を紹介解説した本だと、ひとまずそう言えるだろう。

無論、私は、哲学の門外漢であり、ましてやウィトゲンシュタインは、この入門書で初めて接するのだから、ウィトゲンシュタインの哲学そのものについては、いまだほとんど何も理解していないという前提で、本書から、私の受け取ったものについて、以下に書いていきたいと思う。

まず、ウィトゲンシュタインという人は、常に「生きづらさ」と闘いながら生きた人だということが紹介される。簡単にいえば「繊細」「神経過敏」「発達障害」「変人」などと呼ばれることのある人だ。

実際、本書を読んで感じるのは、彼の「鋭敏な感性」であり、それゆえの、他者の「鈍感さ」に対する苛立ちである。
要は「なんで、そんなところに囚われているんだ! なぜそのことに気づけないんだ!」という感覚があったので、そこで他の人と揉めることが多かったようである。

彼は、大金持ちの息子なのだが、必ずしも幸せに育ったとはいえない。
8人兄弟(兄5人、姉2人)の末っ子として生まれたのだが、3人の兄が自殺しており、彼自身、長らく自殺念慮に囚われたという。

(クリムトによる、姉マルガレーテの肖像)

だが、その一方、彼は、豊かな家に生まれた人らしく、地位や名誉名声あるいは金銭とかいったことには、まったく囚われない、損得抜きの純粋な人だった。だから生き難かったのでもあろう。

本書を通読して、私が理解したかぎりにおいて言えば、彼の哲学のテーマとは、生涯一貫して、「囚われないこと」であったと思う。

余計なものに囚われ、それに縛られて、物事をあるがままに見ることができない、ということから、彼は自由であろうとした。
彼にとっての「哲学」は、物事を「あるがままに見る」営為であり、言い換えれば、人々は、様々なものに囚われて、物事を歪めて見てしまうと、彼には見えたのである。
そしてそれは、「物事の真の姿を探求する」という「哲学」者においても例外ではない、と感じられた。だから彼の哲学は、「反哲学」的な哲学であったのだと言えよう。

無論、ここで言う「反哲学」の「哲学」とは、「囚われた哲学=誤った哲学」のことなのだが、哲学の多くが、そうした「誤り」に囚われていると彼は見ていたので、おのずと彼の哲学は、「反哲学」的なものにならざるを得なかった。

彼の哲学は、具体的な何かの事物事象に関する哲学ではなく、「哲学的に考えるとは、どういうことなのか」を示そうとした哲学、であったと言えるだろう。
言い換えれば、一般的に考えられている「哲学的な考え方」というのは、本質的なところで誤っていると、彼には感じられていたのである。

どういうことかというと、要は、事物の「本質を捉える」のが哲学だ、という考え方は間違いだというのが、彼の根本的な認識であったようだ。

事物「そのもの」を捉えようとするのではなく、なにやら抽象的な「本質」といったもの仮構して、それを捉えようとする考え方(本質主義)というのは、自覚の足りない「本質主義」的なもの、つまり「主義=イデオロギー」でしかない、というふうに彼は考えたのである。

つまり、哲学の使命は、「本質」を取り出すことで「全部わかった」とすることではなく、事物対象を「ありのまま」に見ること、視点や時間の経過など、様々な要件において変化する事物を、その変化を含めて、そのまま理解しようとし続けることが、正しい「哲学的認識態度」だと彼は考えたのである。
だから、彼のそうした姿勢は、当たり前の「哲学」的姿勢からすれば、一種奇矯な「反哲学」的なものと映らざるを得なかったのである。

 ○ ○ ○

こうした理解に立って、「前期」と「後期」の違いについて、説明したい。

まず「前期」だが、「前期」は、この「囚われ」に対する批判拒絶が、目的となっていると言えるだろう。

彼の「前期」を代表する著作『論理学論考』は、一般に哲学者が、そして一般人である私たちが考えるような「本質」など存在しない、ということを論じた書物だと言えるだろう。
いろんな哲学的立場があるけれども、それらはいずれにしろ、どこに「本質」を見るかという立場において、同じような「囚われ」の間違いを犯しており、それではダメだということを、同書では、いろんな立場の考え方を順に撫で斬りにするかたちで、論じている。

そして、こうした「前期」の立場を象徴する言葉が、かの有名な、

『語り得ぬものについては沈黙せざるを得ない。』

である。

「本質」などといったものは存在しないのだから、それをあれこれ語ることは誤りなのだ。だから「本質」など語ってはいけない、語れるわけもない、という意味である(たぶん)。

しかし、この「断言」が、ある矛盾を孕んでいることを、ウィトゲンシュタイン自身も気づいていた。
すなわち「本質など無い」という断言こそ、ある種の「本質」論になっているという事実である。
であれば、ウィトゲンシュタインは、この矛盾に対してどうしたか?

それは、自身の結論の自己矛盾を認めた上で、「本質が語り得ない理解した上で、あとはどうするかは、みなさん自身が考えてください。それが哲学するということです。私は、正解など提示しませんし、できません」と「梯子を外してしまう」のである。

つまり彼は、自分が、他の人が知らない「特権的な真理」を知っていると言いたいのではなく、「ひとまず、本質論というのは、間違っていますよ。私のこの言い方も、そうした間違いを孕んでいますが、しかし、この問題提起を回避しないで、みなさんはみなさんなりに、哲学に取り組んでください」と、そう言って、彼自身は、哲学を捨て、小学校の教師になってしまうのである。

まあ、これはタチの悪い「最後っ屁」みたいなものだとも言えようが、彼にしてみれば、これは自分にできる、最後で最大の「哲学への貢献」だと考えたようだ。
「自分には、これ以上の助言・忠告はできません。真理を示すなんてことはできませんから、あとは皆さんが頑張ってください」と、そういうつもりだったのであろう。これまでの「本質主義」的な哲学を叩き潰して、新たな出発点を示すこと。それが、彼の最後の哲学的な貢献だというつもりだったのであろう。

『 ウィトゲンシュタインの哲学は、この世界について展望を開くための哲学だ。言い換えれば、この世界をあるがままに捉え、そのなかで生きるための哲学だ。
 ただし彼は、「世界とはこういうものだ」とか、「こう生きるべきだ」といった具体的な答えを提示するわけではない。むしろ彼は、我々に自分自身で答えを模索するきっかけを与え、その探求を続けるように励ます。彼は言う。「私の書いたものによって、他の人々が考える手間を省くようになることは望まない。代わりに、できることなら、誰かが自分自身の思考を紡ぐきっかけとなりたい」(『哲学探究』第一部・序文)。』(本書P20)

彼としては、人々が正しく考えるための「助言」をしているつもりであり、意見を押しつけるつもりなど更々なかったわけだから、それは感謝されこそすれ、相手を怒らせるようなものではないと感じられていたのだろう。

だが、一般的には、こうした態度は、言われた側の怒りを買う場合が多いというのは、おおよそ見当がつくだろう。
つまり、言われた方は「なんだ、あいつは! 人の意見にあれこれ注文ばかりつけたあげく、でも自分には特に意見はないなんて、人を馬鹿にするのもたいがいにしろ!」ということになりがちだからだ。

言われた側としては「こちらの意見に注文をつけるのなら、こちらの意見を上回る意見を示せ。それならば納得できる」と考えるのである。つまり、この人は「より優れた意見を与えてもらいたい」のだ。
言い換えれば、この人は「自分で考えること」が大切なのではなく「真理を知ること」が大切なのであり、それが「真理」なのであれば、それが「他人から投げ与えられたもの」であろうとも、ありがたく「信奉する」という態度なのである。

だが、ウィトゲンシュタインにすれば「それは、哲学するということではないし、そもそもそんなことはつまらないだろう。自分の頭で考えないで、他人の意見を信じるだけなんて」ということになるのだ。
だから、こうした両者の関係は「うまくいかない」し、それでウィトゲンシュタインは「哲学業界」にいることにも耐えられなくなって、哲学することを捨てようとしたのである。

 ○ ○ ○

だが、結局のところ、彼は哲学することが捨てられなかったから、哲学の世界に戻ってくる。
それに、こんな性格の人が、小学校の教師として「うまくやれる」はずがない。

彼は「人が物事を考えるということの、手助けをしたい」と考えたような人だから、その意味では、きわめて教師向きだと言えるだろう。子供たちに「考えることの喜び」を教えたいと、一生懸命努力したようだ。

だが、現実には、多くの場合「考えるのが面倒くさい」「面白くない」という者の方が多く、多くの哲学者と同様「自分で考えることよりも、まず答えが知りたい」と考えるだろうし、中には、そもそも「考える能力」が十分ではなく、やろうとしてもできない者がいたはずだ。その場合、ウィトゲンシュタインは、そんな生徒たちを「理解」できたかというと、それは難しかったようで、彼は「できる生徒を依怙贔屓」したり、最後は生徒への暴力沙汰を起こして、教師を辞めることになったそうだ。

つまり、「できない者はできない」ということが、天才の彼には、やはり理解しにくかったのではないだろうか。
ならば、できない者に無理強いするのではなく、喜んでやる者に注力する、というのは、ある意味で「当たり前に正しい態度」だと言えるのだが、しかし、それをそのままやってしまっては、現実の社会では通らない。教師が求められているのは「やれる者にはやれるなりに、やれない者にはやれないなりに、平等に教育をほどこせ」ということになるからだ。

しかし、基本的に「やれない者」への(共感的)理解が困難な、天才肌の彼にしてみれば、「やれない者」は、どうしても「やる気のない者」に見えてしまう。
自分が、これだけ情熱を注いでいるのにと、どうしてもそう感じて苛立ち、つい「可愛さ余って憎さ百倍」で、手を上げてしまうことになったのではないだろうか。

彼は、暴力を振るって、生徒が気絶した後、恐ろしくなって、その場から逃げ出し、そのまま辞表を提出したそうだ。
それで、訴えられもして、なんとか無罪になったものの、その裁判で、自分の暴力を過小証言してしまったことをずっと気に病み、後年、その村を再訪して、生徒たちに詫びて回ったという。
一一このあたりにも、彼の「繊細」かつ「神経過敏」と言って良い、真面目さであり、世慣れなさが窺われよう。要は、彼は「図太く無神経に振る舞えない、そうはなれない人」だったのである。

で、そんな彼が哲学の世界に戻ってきた。
では、彼は、その後にどんな哲学を展開したのだろう?

それは、私の言葉で言うならば、思考の「型に囚われない」哲学である。
ウィトゲンシュタインの言葉で言えば、『像』に囚われない哲学である。

つまり、ひとつの「物の見方」で、すべてを理解しよう(裁断しよう)とする「罠」に囚われない哲学。
「ひとつの物の見方」という「立場」を絶対化して、それで「本質」を見つけたとするのではなく、それは「一面の真実」ではあっても「すべて」ではないから、その「ひとつの物の見方」に囚われる(固執する)のではなく、どんどんと「新しい視点」を見つけていく哲学。一一これが「後期ウィトゲンシュタイン」の哲学であり、哲学的スタンスだと言えるだろう。

言い換えれば、「囚われてはならない」という点では「前期」と同じだけれども、「前期」のそれは、あらゆる「立場」を否定するものだった。「それも間違い。これも間違い。あれもこれも、ぜんぶ間違いだ。無論、私のこの立場も間違いだ」という「どん詰まり」の哲学。従来の哲学を殺すためだけの「反哲学」だったわけだが、「後期ウィトゲンシュタイン」の立場は、様々な立場を「間違い=誤り」だと否定するのではなく、「それも一面の真実ではある」と認めた上で「しかし、それがすべてではないのだから、それに囚われてはダメだ。私たちは、この多面的かつ変転していく事物、つまり、原理的には、完全に捉えきれない事物を、可能なかぎり、あらゆる視点から捉えるという営為に従事しなければならない。それこそが、事物をありのままに見ようとする、哲学なのだ」という態度に変わったのである。

つまり、「後期」も、決して「正解としての真理」を示すわけではない。
「後期ウィトゲンシュタイン」がやるのは、次々と新しい見方を見出していく「その姿」を示すことなのだ。「後期」の彼が示すのも、やはり「真理」ではなかったが、「正しく哲学する」という「積極的な哲学者としての姿」だったのである。

 ○ ○ ○

そんなわけで、私が、本書を読む前に、ウィトゲンシュタインに感じていた「抽象性」というのは、半分は当たっていた。彼は、「真理」や「本質」を教えてくれるのではなく、「考える」とはどういうことなのかということを、その「意味」ではなく、「仕方」として教えてくれるのである。だから、通常の「理解を求める」哲学とは違っていて、かえって「抽象的」だと感じられたのだろう。そこに「具体性に欠ける」という印象を受けたのだと思う。

だが、その「ウィトゲンシュタイン理解」は、間違っていた。
ウィトゲンシュタインは、普通の哲学とは違って、あまりにも「実践的」だったのだ。だからこそ、かえって「掴み所がない」という印象を受け、それを「抽象的」だと誤解していたのである。

そんなわけで、私としては、こんな「後期ウィトゲンシュタイン」の立場に、完全に共感する。「そうそう、私もそう思ってたんだよ」と思ったからだ。

だからここからは、私の場合に即して書いていきたい。

私が「後期ウィトゲンシュタイン」の「像に囚われることの問題」に共感できたのは、常々「感動至上主義」に苛立ちを覚えていたからである。
「感動できれば、それでいいの? それは何への感動であり、何のための感動なのだ?」と、そう苛立っていたのだ。

多くの人は、映画などを観て「感動した」「泣いた」とか言う。それが、最大の褒め言葉だと信じて疑わないようなのだが、私はそうは思わない。

昔、どこかで読んだことだが、ある作家が「泣かせるのは簡単なんです。でも、考えさせ、深く感動させるというのは、簡単ではない。泣かせるだけなら、ある種のパターンさえ踏まえれば、たいがいの人を泣かせることはできる。人間は、あるツボを、あるパターンで突かれると、手もなく泣かされてしまう。それを、感動するとも言いますが、感動スイッチみたいなものがあって、それを押しさえすれば、感動的(情動的)に泣かせることは簡単にできて、つまらない。機械的反応みたいなもの、一種の条件反射であって、それを喚起することに、あまり(芸術的な)意味はない。中身が無いんです。それに対して、人を深く考え込ませ、そのことによって心が揺さぶるというのは、そう簡単なことではない。でも、それこそが本物の感動なんですよ」と、おおむねそんなことを語っており、私は、なるほどそのとおりだと、納得させられたのだ。

例えば、私の場合「子供が苦しまされる物語」や「子供が可愛い表現」に、めっぽう弱い。
「子供が苦しまされる物語」と言っても、そんなに深い物語ではなく、よくある「虐待描写」等であってさえ、それを読むだけで苦しくなる。「この程度の描写は、ありふれている」と頭ではわかっていても、「肺腑(体)」が拒絶反応を自動的に示してしまうのだ。
一方「子供が可愛い表現」も、それがありきたりな「可愛い」であっても、いわゆる「キュンキュン」来てしまう。頭では「ありふれた表現」だと思っても、これも「体」が勝手に反応してしまうのだ。一一で、それが、私には不満なのである。

なぜ不満なのか。それは、私は「ロボットではない」ということなのだ。
「ここを押せば、こう反応する」とかいった、そういう「単純な生き物」ではないと思いたいし、そんな「単純な生き物」であることを、人間の尊厳を持って超えたい、という意識がある。
なぜなら、そうでないと「手もなく他人にコントロールされてしまう、哀れな低脳動物でしかない」ということになるからだ。

煽てられれば舞い上がり、貶されれば落ち込むという、そういう「他人任せ(自分が無い)」の存在ではありたくない。
もちろん、人間誰しも「褒められれば嬉しいし、貶されれば不愉快になる」のだけれども、しかし、そこに止まることなく「その批判が正しければ、感謝してそれを受け入れ、その褒め言葉が過分なものであれば、それを真に受けて舞い上がるのではなく、自分を厳しく持する(コントロールする)」、そんな自分でありたいという思いが強い。

だからこそ、所詮は「動物的な反応」でしかない「低レベルの感動」を、なにやら特別に素晴らしいものででもあるかのように思い込んでいる「紋切り型の思考」が、あまりにも馬鹿っぽくて、我慢ならないのである。

ロードショー中の映画のテレビコマーシャルで、よく観客の声として「感動しました!」「めっちゃ泣きました!」「10回でも観たい作品です!」なんて、嬉しそうに言っているのを見かけるが、「こいつら馬鹿だな」としか思えない。
なぜなら、この人たちは「深い感動(存在的に知的な感動)」と「薄っぺらい感動(条件反射的感動)」の区別がついていないからだ。それもこれも、ぜんぶ「感動」であり、感動できさえすれば、「その中身」を問うことなく「素晴らしい」と思い込んでいる、その無思考ぶりが、たまらなく恥ずかしく、苛立たしいのである。

で、こうした話は、「後期ウィトゲンシュタイン」の主題のひとつであある「心的なるもの」の問題に関わってくる。

ウィトゲンシュタインは言う。

『主たる困難は、体験(たとえば痛み)を物としてイメージすることから生まれる。我々は自然にそれの名前を得て、その概念を極めてお手軽に捉えることができてしまうのだ。(『ラスト・ライティングス』P334)』(P244)

どういう意味か。
例えば「痛み」と言っても、実際には「複雑な感覚的現象の複合体」であって、「物」のような「固定したもの(のっぺりと均質な固物)」ではないのだが、「痛み」という『名前を得て』しまうと、その「痛み」という複雑な『概念を極めてお手軽に捉えることができてしまう』という誤りを、私たちは犯しがちなのである。
つまり、そこでは「痛み」というものの、言葉による「物」化としての「意味的貧困化(ミイラ化)」が起こっているのだ。

で、この典型的な事例が、「感動」なのだ。

「感動した!」と言うけれど、本来大切なのは「何に、どのように感動したのか」なのに、多くの人は「感動」を物のように捉えてしまい、「感動した」という言葉で満足してしまう。

「感動」が「物」化されて、「感動する」ことが「すべて(目的)」となってしまい、「何をどのように感じて、そのせいで自分はどう考えるようになり、どう変わったのか」といった「中身」はいっさい失われて、「感動」が、「電気を流されたから、感電して痺れました」というのと何も変わらないもの、「無内容な、物理的反応」にまで頽落させられてしまっているのである。

だから、安直に「感動した!」とか「泣けた!」とか言っている人は、「人間(という知性を持つ生物)ではない」という意味において、「動物」でしかない、と思う。
下手をすると、犬猫や牛豚にも劣る「快楽原則だけ」で動いている存在としか思えず、同じ人間として「恥ずかしい」と感じ、苛立ちを覚えるのだ。

で、こういう人たちは、結局のところ、ウィトゲンシュタインが言うところの「像」に囚われているのである。
「感動することは素晴らしい」「泣ける作品は素晴らしい」という「紋切り型」を、そのまま、何も考えずに信じ込んでしまっているから、何も考えないまま「感動しました!」「めっちゃ泣きました!」「10回でも観たい作品です!」などと言い、それが何か「適切な(意味のある)評価」だと思い込んでしまっているのである。

だから、私も「後期ウィトゲンシュタイン」と同じように、「紋切り型」に囚われるな、「わかりやすい図式」を「疑い続けよ」、そして「自分の感じたもの」を繊細に保持して、それを「注視せよ」と言いたいのだ。
それが、「感じたこと」の意味や価値を「自分の頭で考える(吟味する)」ということであり、それを「自分の言葉で語る」ということなのだ、と言いたいのである。

私がよく、くだらないレビューとして「内容紹介だけ」「感動したとか面白かったとか言っているだけ」「他人の言葉を引き写しているだけ」などと批判するのは、それらが、物事(作品そのもの)を「感じ取る(鑑賞する)」のではなく、言うなれば、そこに貼られた「レッテルを読み上げているだけ」だからである。

多くの人は、この情報過多の社会の中で、自らの力で「感じ考える」人間であることを止めてしまい、他人から与えられた「指示書(命令)」どおりに「これは合格。これは失格」と仕分けするだけの、自分というものの無い「ロボット」になってしまっており、しかもその自覚がない。

だから、私は「後期ウィトゲンシュタイン」の「像に囚われるな。そして、完全には捉えきれない物事を、ありのままに捉える努力を持続せよ」という励ましに、深く共感するのである。


(2022年12月24日)

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