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心ない言葉に負けないで!人は「不安になると攻撃する」生き物

今回は、子どもが不登校のころに投げかけられた
「心ない忘れられない言葉」について取りあげます。

言葉の力って、大きいですよね。
ものすごいエネルギーをもらえたり
逆に奪われたり。

放った側のつもり、受け取る側のとらえ方
お互いの現状やその理解度、価値観の違いなどで
それは大きく変わります。


1 「で、これからどうするの?」

息子が不登校になって、しばらくは
誰にも話すことができませんでしたが
数ヶ月たったころから、親友のママ友だけには、
だんだん話せるようになっていました。

お互い実家が遠くて
頼れる人がいない境遇だったため
第一子が赤ちゃんのころから
何かと協力して子育てしてきた
十数年にわたる、同志のような存在。
彼女がいてくれたから、
子育ての大変な時期を楽しく乗りこえられたと
当時を懐かしく思い出します。

住まいは同じ県内だけど、校区が違うので、
より話しやすかったかもしれません。

不登校から一年余り
高校を通信制に決めてからは、
受験から開放された息子は
心の安定を少しずつ取り戻していた頃でした。
先のことは、3年かけてゆっくり考えよう
という状況だっただけに。


そんなときの(笑)
「で?これからどうするの?」
「家でこれから何するの?」

笑うしかないんですが
「どうする?って、こっちが聞きたいんだよー」
「何するって、決まってるわけないでしょ(泣)」

(ちなみに、いまでも友達関係に変わりはありません(笑))


2 「…なにやってんの?」

これは、母からの言葉でした。

実家は遠方で、しかも、
もともと仲良し母娘ではないので
息子と母が直接会ったのも
小学生3年生が最後という関係性。

その後は、さらに疎遠になっており
電話も1〜2年に一回あるかないか
という程度でした。

息子が不登校になって、試行錯誤している最中
不意にかかってきた電話…
隠そうと思えば、隠せた話です。
「あー、うん みんな元気、変わりないない」
くらいに適当にはぐらかしておけばよかった。
どうせ、会いに来るわけじゃないから
バレない。

準備が足りなかったなぁ…弱ってたなぁ(笑)

「本人が一番辛いだろうけど、母親のあなたも辛いね。」
「私が育てたあなたの子どもなら、きっとだいじょうぶよ」

どこかでそんな言葉を期待していた自分を殴ってやりたい(泣)

「…なにやってんの?」
「なんで、そんなことになっちゃったの?」

子どもがしっかり育つように、一生懸命やってきた
常に、子どもにとって良い選択をしてきた。
わたしが一番
「なんで?どうして?」って思ってます。
お願いだから…責めないで
勝手にガッカリしないでよ…

ムリだとわかってはいたけれど
何も言わずに、ただ抱きしめてほしかった…
唯一あなたに…


3 「俺んときより、甘くない?」

わが家は、兄と弟の2人兄弟
不登校になったのは、次男の方で
2人は、全く性格が違いました。

兄が小中学生のときも、危ない時期はありました。
自分と違う価値観の存在を許せない面があり
うまく自己コントロールができなかったのだと思います。

当時、私の対応は、厳しかったと思います。
きっとそれを思い出して
弟には甘いと感じたのでしょう。

「俺は、無理矢理にでも学校に行ったよ!」
「俺んときより甘くない?」

不登校を乗り越えるにあたり
兄弟姉妹の存在はさらに事態を複雑にします。

兄弟でも違う人格ですから
親の対応だって違ってしかるべきなんですが
ひつ屋根の下に住んでいるがために
一部始終が見えてしまうわけです。

兄の手前、真意とは違う対応をしてしまった時期もあったし
弟に寄り添うことで、
兄と大げんかになったことも一度や二度ではありません。
大学受験と重なったのも
彼にとっては大きな負担だったと思います。


4 「声なき声」

公立の小中学校で不登校になると
事情は、周りの子どもを通して、その親に伝わります。

生徒は何百人もいるし
それほど話題にのぼるはずもないかと
ポジティブに考える日もあれば
スーパーに買い物へ行くことすら気が重い
ネガティブな日と
言ったり来たりの日々でした。

外を歩くと、たくさんの人とすれ違います。
誰からも何も言われていないのに、

「あそこん家、いま大変なんだよね?」

そんな声が聞こえてくるような気持ちに
勝手になっていました。

私だけは、あの子の味方でいたい

他にも
義母「学校行かないなんて、聞いてゾッとしたわ」
中学学年主任「大学進学は難しいと思いますよ」
夫からですら「まだダメなの?」
ハートなえる系の言葉は、いくつかあったと思います。

でも逆に、わたしがその人達の立場になったとき、
果たして寄り添える言葉を選べただろうか?とも思います。

それだけ、「不登校」は、わからないことが多くて
まだまだ悪い印象があるのです。

人は、わからないことには不安を覚えるし
不安だからこそ、闇雲に、無視したり攻撃してしまう

でも、息子にとって、この家だけは安全地帯になるように
母親のわたしが、盾になろう、と思いました。
実は結構、打たれ弱いのだけど。

この子のためなら、
何だってできる。

産まれたときは「存在するだけ」であんなに幸せだったんだ。
そこに戻るだけ。

小さいころ遊んだスゴロクの「ふりだしに戻る」は
少しガッカリしたけど、
またサイコロふって、少しずつ進めばいい。

いくつになったって、
つらいときは
母親に抱きしめてもらいたい
きっと同じだ。


ちなみに、エネルギーをもらった言葉も同じくらいあります!
本当にありがたかった〜
エッセイ、ほかの記事で、紹介したいと思っています!



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