2022年6月1日にロックダウンが解除されてからも、上海市内の商業施設が突然封鎖される事態は起こっていた。ある有名な大型商店では脱出を試みる買い物客の群衆が閉まりかけ…
2022年6月1日深夜0時、62日目にして上海ロックダウンがついに解除された。 小区の重々しかった正門が同時に開き、それとほぼ同時に住民の車が1台出て行ったのを自宅の窓…
2022年5月中旬、上海市からの発表によると、6/1から中旬にかけて上海全市の正常な生産生活秩序を全面的に回復とあった。あと2週間先の解除に向けて皆心を躍らせた。 5月…
2022年4月末日にたった1日だけ解除されまた元の封鎖状態に戻った我が小区。実はこれは上海のあちこちで起こっていた為想定内ではあったがやはり凹んだ。 5月になると食料…
ロックダウン開始から1ケ月経過しようとしていた2022年4月末のとある真夜中、近隣階の住民の叫び声で隣に寝ていた子供と一緒に目が覚めた。ついに壊れてしまったのか。住民…
ロックダウン9日目には夫の会社からも野菜、卵の配給があった。この頃は食料が日に日に減るばかりで非常に助かった。そして10日目に再度政府からの配給。頭、手、足がつい…
2022年3月28日早朝、通常ならまだ開店していない商店にも人々が早々とロックダウンに備えて入店に列を成した。4日間と聞いていたロックダウンだがここは中国、念の為1週間…
ぽつぽつと上海市内でマンション封鎖のニュースはあったが、中国経済を支える上海市全域をロックダウンするはずがないと誰もが疑わず、政府もそう公言していた。しかし2022…
2020年4月に入ると、上海に明るい兆しが戻って来た。慎重に感染対策をし、ソーシャルディタンスを取りつつ外食も楽しめた。6月に入り子供達の対面授業も始まり約4ケ月のオ…
マンション入口で待ち構えていた医師やナース達に再度健康チェックを受け、荷物に消毒液を吹きかけられ、14日間の隔離説明を受けた。元々中国国内にいる夫は隔離の必要はな…
2020年3月初旬某日、昼前に上海虹橋空港に到着した。機内に防護服を着た職員が入って来て、各乗客のパスポートを確認。誰もが押し黙りひたすら着席したまま次に何が起こる…
2020年2月初旬の春節休み明け、上海市は迅速に学校の授業をオンライン化した為、日本から子供達も遠隔で授業が受けられ上海戻りを急ぐ必要がなくなった。ただ中国に残った…
「魔都」、それは上海を形容する煌びやかで妖艶な呼び名。 その呼び名以上の魅力の虜になり私も飲み込まれそうになった1人である。 現在40代後半の私の世代が持つ子供の頃…
フランスでワーホリが始まった2000年、ワーホリ1期生として意気揚々と渡仏した。その数年前フランス旅行をした際、通貨はフランの時代だったが、ユーロに代わり人々の生活…
colorful life
2023年10月26日 16:58
2022年6月1日にロックダウンが解除されてからも、上海市内の商業施設が突然封鎖される事態は起こっていた。ある有名な大型商店では脱出を試みる買い物客の群衆が閉まりかけた出口の扉をこじ開けて突破する映像を見たり、実際私が訪れた商業施設でも封鎖デマがあり、エスカレーターを猛ダッシュで降りてくる人々を見たり、気が気ではない日々は続いていた。 そんな中、近所の床屋の従業員から陽性反応が出て、その従業員
2023年10月21日 08:55
2022年6月1日深夜0時、62日目にして上海ロックダウンがついに解除された。 小区の重々しかった正門が同時に開き、それとほぼ同時に住民の車が1台出て行ったのを自宅の窓から眺めていた。待ちに待った深夜のドライブであろうか、はたまた急用であったのだろうか。住民たちの歓喜の雄叫びが聞こえるかとも思っていたが、意外にも静まり返っていた。恐らく皆手放しでは喜べぬ、ここから始まる煩わしい日常を予感し
2023年10月16日 07:20
2022年5月中旬、上海市からの発表によると、6/1から中旬にかけて上海全市の正常な生産生活秩序を全面的に回復とあった。あと2週間先の解除に向けて皆心を躍らせた。 5月下旬には全面解除前、1家族につき1人3時間のみ外出可能の権利も与えられた。但し商店も公共交通機関もほぼクローズしていて、数少ない開店している商店は行列、入店するにも健康QRコードが緑(PCR検査24時間以内陰性証明)が必要。1時
2023年10月8日 14:47
2022年4月末日にたった1日だけ解除されまた元の封鎖状態に戻った我が小区。実はこれは上海のあちこちで起こっていた為想定内ではあったがやはり凹んだ。 5月になると食料日用品以外にもマンション団体購入では花や電化製品などの嗜好品も手に入った。政府や会社からの配給も何度か届いて助けられた。(卵が格段に多かった) 。ただ毎日3食家族4人分を来る日も来る日も作っては片づけるのが苦痛になり、今まで外食や
2023年10月2日 15:51
ロックダウン開始から1ケ月経過しようとしていた2022年4月末のとある真夜中、近隣階の住民の叫び声で隣に寝ていた子供と一緒に目が覚めた。ついに壊れてしまったのか。住民の雄たけびと共に発された中国語に耳を傾けた。私では解釈出来なかったが、子供は「コロナ死ねと言ってる」と教えてくれて再び入眠した。 その翌日、「あなたの家の近くに陽性者がいます。どうぞお子さんを守って下さい」と、日本人ではない夫宛に
2023年9月27日 12:50
ロックダウン9日目には夫の会社からも野菜、卵の配給があった。この頃は食料が日に日に減るばかりで非常に助かった。そして10日目に再度政府からの配給。頭、手、足がついた鶏丸ごと1羽を箱から見つけた時は大声で叫んだが、毛は付いていないと肯定的に解釈し、夫に丸投げして頭を切除、シンプルに塩コショウ、バターを全体に塗りオーブンで調理し美味しく頂いた。 2週間経過してもまだロックダウン解除の兆しが見えない
2023年9月25日 13:49
2022年3月28日早朝、通常ならまだ開店していない商店にも人々が早々とロックダウンに備えて入店に列を成した。4日間と聞いていたロックダウンだがここは中国、念の為1週間位の備蓄は必要であろうか。ロックダウン直前まで来る日も来る日も買い物に繰り出した。ロックダウン前日の午後、最後の忘れ物を買い出しに馴染みの青果店に行った時は既に棚はもぬけの殻で殺伐としていた。店主の初老の女性が店の奥から出て来て
2023年9月23日 15:13
ぽつぽつと上海市内でマンション封鎖のニュースはあったが、中国経済を支える上海市全域をロックダウンするはずがないと誰もが疑わず、政府もそう公言していた。しかし2022年2月から3月、入境者を集めた上海市内のとある隔離ホテルの空調に不備がありそこから感染拡大が始まった。後にそのホテルがある区の当局者が解任された。 3月3日のひな祭り。子供達の為に夕食にひなまつり料理をこしらた。夕方子供達が帰宅後、
2023年9月21日 15:47
2020年4月に入ると、上海に明るい兆しが戻って来た。慎重に感染対策をし、ソーシャルディタンスを取りつつ外食も楽しめた。6月に入り子供達の対面授業も始まり約4ケ月のオンライン授業が終焉を迎えた。海外から入国する感染者数も極めて少なく、上海はウィルス抑え込みに成功していた。洒落たカフェやレストラン、旧フランス租界のプラタナスが並ぶ美しい街並み、古き良き時代の西洋建築が並ぶバンド界隈と、浦東3兄弟と呼
2023年9月19日 17:46
マンション入口で待ち構えていた医師やナース達に再度健康チェックを受け、荷物に消毒液を吹きかけられ、14日間の隔離説明を受けた。元々中国国内にいる夫は隔離の必要はなかったが、同居する為道連れ隔離となった。 晴れて自宅に戻ったが、これから14日間玄関から1歩も外に出れない日々の始まり。我々より少し後に入国した人々の中には、逃亡防止の為自宅玄関のドアの外側にセンサーなどを設置されたりもした。ゴミ出し
2023年9月18日 11:36
2020年3月初旬某日、昼前に上海虹橋空港に到着した。機内に防護服を着た職員が入って来て、各乗客のパスポートを確認。誰もが押し黙りひたすら着席したまま次に何が起こるのか恐怖と好奇が入り乱れる。1時間弱で機外へ出れた。その数日前に中華系航空会社で夜中に上海に到着し、機外へ出れたのが明け方という情報もあったので、我々は比較的早くて助かった。空港内では航空会社スタッフ、空港職員、税関職員などありとあ
2023年9月16日 15:17
2020年2月初旬の春節休み明け、上海市は迅速に学校の授業をオンライン化した為、日本から子供達も遠隔で授業が受けられ上海戻りを急ぐ必要がなくなった。ただ中国に残った外国人の夫が心配だった。外国人が多く住む大都会上海ではなく、たまたま出張先の深センより更に奥地に入った外国人が極少のホテルで中国語ゼロの状態で上海に戻れず何日も缶詰になっていたのである。毎日テレビ電話をするも、顔色が哀愁を漂わせている。
2023年9月15日 23:05
「魔都」、それは上海を形容する煌びやかで妖艶な呼び名。その呼び名以上の魅力の虜になり私も飲み込まれそうになった1人である。現在40代後半の私の世代が持つ子供の頃からの中国のイメージ。まだ中国が貧しかった頃、メディアで見た皆同じような色褪せた人民服に身に包み整備されていない広い道なりを大勢の人々が自転車で埋め尽くし人民大移動をする姿ではないだろうか。その後時を経て上海や北京を旅行し、子供の頃の
2023年9月13日 15:40
フランスでワーホリが始まった2000年、ワーホリ1期生として意気揚々と渡仏した。その数年前フランス旅行をした際、通貨はフランの時代だったが、ユーロに代わり人々の生活に浸透して行った頃だ。花の都、アムール(愛)、ロマンスの香りが充満するパリ。しかし実際は堂々と道の真ん中に犬の糞が主張し、惜しくも踏んでしまった輩はまさに糞を下品な言い方に変換して叫ばざるを得ない始末だ。ワーホリとは当時週20時