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愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #12

2022年6月1日深夜0時、62日目にして上海ロックダウンがついに解除された。
 
小区の重々しかった正門が同時に開き、それとほぼ同時に住民の車が1台出て行ったのを自宅の窓から眺めていた。待ちに待った深夜のドライブであろうか、はたまた急用であったのだろうか。

住民たちの歓喜の雄叫びが聞こえるかとも思っていたが、意外にも静まり返っていた。恐らく皆手放しでは喜べぬ、ここから始まる煩わしい日常を予感していたのではないだろうか。
 
翌日、このロックダウン中に手に入らなかった日本食材を求めに2ケ月以上ぶりに地下鉄を使い、スーパーへ行った。地下鉄の混雑はまだないが、スーパーはそこそこ賑わっていた。今後の生活においてどこに行くにも健康QRコードが緑(PCR検査24時間もしくは48時間以内陰性証明)が必要につき、PCR検査をほぼ毎日継続する必要があった。自分の小区に入るにも健康QRコードは必要であった。ロックダウン解除後は小区内のPCR検査ブースも撤去され、近隣のブースをアプリで探して各自行うシステムとなった。
 
そして解除3日目の深夜、抜き打ちのPCR検査で小区の住民達が一斉に呼び出された。もう夜11時を回っていたであろうか。撤去されたはずの小区内の検査ブースが、簡易ブースとして蘇っていた。何たる早業、さすが中国。。。就寝中の子供達を起こしてブースへ向かう。ご高齢者や、乳幼児を抱えるご家族も多く住む中、翌朝までこの検査は待てないのかという住民の訴えも全てスルーで黙々と検査は行われた。寝ている小さなお子さんを抱っこしながら列に並ぶご家族もあった。終了したのは深夜1時を回っていた。先述した通り、解除されてもまだ手放しでは喜べない現実は続いた。
 
解除4日目、前夜のPCR検査陰性結果を持ち、久しぶりに上海のシンボル、個人的には上海のドヤ顔と呼んでいる上海の金融センター陆家嘴(ルージャーズイ)を対岸から一望して来た。いつ見ても圧巻、「魔都」は健在でありホッと安心した。
 
しかしロックダウン解除を待たずして外国人達が続々と本帰国していく中、我々も焦りを覚えた。いつまた突然封鎖されてもおかしくはない状況である。子供達の学校の外国人教師達も一部本帰国していて、オンライン授業は中国とは時差があったのでその教師がいる国の時差に合わせて授業が行われた。隣に住む欧州夫婦も気づかぬうちに本国へ帰還していて、その本国から小区の住民グループチャット宛に無事に元気でいます、皆も頑張ってとメッセージが入っていた。このようにロックダウン中に帰国すると、当然引っ越し業者は入れず、解除後本人不在のまま引っ越し作業が行われる。
 
夫が勤める会社の外国人従業員達も次の異動先の国が決まりだし、ロックダウン解除前に妻子達はまず本国へ戻り次の異動先の準備に入った。引っ越し作業は上海に1人残った男の仕事になった。
我々はいつ?どこへ?と問う日々が始まった。
 
つづく
 
写真:上海のドヤ顔(笑)

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