colorful life

主にアジア圏在住転勤族。外国人オットと2人の子供との生活。コラムニストに憧れて。現実世…

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主にアジア圏在住転勤族。外国人オットと2人の子供との生活。コラムニストに憧れて。現実世界での見聞、日々の脳内妄想や創造を楽しく時にはシリアスに言語化して行きたいです。一生に一度経験するかしないかの上海ロックダウン回顧録全13話完成。

最近の記事

愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #13 (最終話)

2022年6月1日にロックダウンが解除されてからも、上海市内の商業施設が突然封鎖される事態は起こっていた。ある有名な大型商店では脱出を試みる買い物客の群衆が閉まりかけた出口の扉をこじ開けて突破する映像を見たり、実際私が訪れた商業施設でも封鎖デマがあり、エスカレーターを猛ダッシュで降りてくる人々を見たり、気が気ではない日々は続いていた。 そんな中、近所の床屋の従業員から陽性反応が出て、その従業員が陽性を隠して出勤した数日間に訪れた100人程の顧客が追跡され、たまたまその顧客

    • 愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #12

      2022年6月1日深夜0時、62日目にして上海ロックダウンがついに解除された。 小区の重々しかった正門が同時に開き、それとほぼ同時に住民の車が1台出て行ったのを自宅の窓から眺めていた。待ちに待った深夜のドライブであろうか、はたまた急用であったのだろうか。 住民たちの歓喜の雄叫びが聞こえるかとも思っていたが、意外にも静まり返っていた。恐らく皆手放しでは喜べぬ、ここから始まる煩わしい日常を予感していたのではないだろうか。 翌日、このロックダウン中に手に入らなかった日本食

      • 愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #11

        2022年5月中旬、上海市からの発表によると、6/1から中旬にかけて上海全市の正常な生産生活秩序を全面的に回復とあった。あと2週間先の解除に向けて皆心を躍らせた。 5月下旬には全面解除前、1家族につき1人3時間のみ外出可能の権利も与えられた。但し商店も公共交通機関もほぼクローズしていて、数少ない開店している商店は行列、入店するにも健康QRコードが緑(PCR検査24時間以内陰性証明)が必要。1時間だけ散歩に出かけたが季節は春から初夏に向かおうとしていた。つまりこの年は失われ

        • 愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #10

          2022年4月末日にたった1日だけ解除されまた元の封鎖状態に戻った我が小区。実はこれは上海のあちこちで起こっていた為想定内ではあったがやはり凹んだ。 5月になると食料日用品以外にもマンション団体購入では花や電化製品などの嗜好品も手に入った。政府や会社からの配給も何度か届いて助けられた。(卵が格段に多かった) 。ただ毎日3食家族4人分を来る日も来る日も作っては片づけるのが苦痛になり、今まで外食や宅配で人様がこしらえた食事にどれだけ助けられ恵まれていた事かと感謝する。そして数

        愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #13 (最終話)

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #9

          ロックダウン開始から1ケ月経過しようとしていた2022年4月末のとある真夜中、近隣階の住民の叫び声で隣に寝ていた子供と一緒に目が覚めた。ついに壊れてしまったのか。住民の雄たけびと共に発された中国語に耳を傾けた。私では解釈出来なかったが、子供は「コロナ死ねと言ってる」と教えてくれて再び入眠した。 その翌日、「あなたの家の近くに陽性者がいます。どうぞお子さんを守って下さい」と、日本人ではない夫宛に日本語で面識のない離れた階の住民から連絡が入った。陽性者が出た場合、基本的に個人

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #9

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #8

          ロックダウン9日目には夫の会社からも野菜、卵の配給があった。この頃は食料が日に日に減るばかりで非常に助かった。そして10日目に再度政府からの配給。頭、手、足がついた鶏丸ごと1羽を箱から見つけた時は大声で叫んだが、毛は付いていないと肯定的に解釈し、夫に丸投げして頭を切除、シンプルに塩コショウ、バターを全体に塗りオーブンで調理し美味しく頂いた。 2週間経過してもまだロックダウン解除の兆しが見えない。上海市は陽性者が出た小区を毎日発表するが、ここに我々の小区が載らない事を祈る日

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #8

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #7

          2022年3月28日早朝、通常ならまだ開店していない商店にも人々が早々とロックダウンに備えて入店に列を成した。4日間と聞いていたロックダウンだがここは中国、念の為1週間位の備蓄は必要であろうか。ロックダウン直前まで来る日も来る日も買い物に繰り出した。 ロックダウン前日の午後、最後の忘れ物を買い出しに馴染みの青果店に行った時は既に棚はもぬけの殻で殺伐としていた。店主の初老の女性が店の奥から出て来て、呆然と立ち尽くす私を見て、「老朋友(古い友人)ちょっと待ってて」とまた店の奥に

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #7

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #6

          ぽつぽつと上海市内でマンション封鎖のニュースはあったが、中国経済を支える上海市全域をロックダウンするはずがないと誰もが疑わず、政府もそう公言していた。しかし2022年2月から3月、入境者を集めた上海市内のとある隔離ホテルの空調に不備がありそこから感染拡大が始まった。後にそのホテルがある区の当局者が解任された。 3月3日のひな祭り。子供達の為に夕食にひなまつり料理をこしらた。夕方子供達が帰宅後、食事中に学校から1本の通知。日付が変わらないうちに今日中に学校関係者と生徒全員P

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #6

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #5

          2020年4月に入ると、上海に明るい兆しが戻って来た。慎重に感染対策をし、ソーシャルディタンスを取りつつ外食も楽しめた。6月に入り子供達の対面授業も始まり約4ケ月のオンライン授業が終焉を迎えた。海外から入国する感染者数も極めて少なく、上海はウィルス抑え込みに成功していた。洒落たカフェやレストラン、旧フランス租界のプラタナスが並ぶ美しい街並み、古き良き時代の西洋建築が並ぶバンド界隈と、浦東3兄弟と呼ばれる煌びやかな高層ビルが連立する近代的で圧倒される金融街などの美しい上海の街歩

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #5

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #4

          マンション入口で待ち構えていた医師やナース達に再度健康チェックを受け、荷物に消毒液を吹きかけられ、14日間の隔離説明を受けた。元々中国国内にいる夫は隔離の必要はなかったが、同居する為道連れ隔離となった。 晴れて自宅に戻ったが、これから14日間玄関から1歩も外に出れない日々の始まり。我々より少し後に入国した人々の中には、逃亡防止の為自宅玄関のドアの外側にセンサーなどを設置されたりもした。ゴミ出しは毎日指定時間に玄関外に置くと、マンションスタッフが回収しに来て消毒液を吹きかけ

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #4

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #3

          2020年3月初旬某日、昼前に上海虹橋空港に到着した。機内に防護服を着た職員が入って来て、各乗客のパスポートを確認。誰もが押し黙りひたすら着席したまま次に何が起こるのか恐怖と好奇が入り乱れる。1時間弱で機外へ出れた。その数日前に中華系航空会社で夜中に上海に到着し、機外へ出れたのが明け方という情報もあったので、我々は比較的早くて助かった。 空港内では航空会社スタッフ、空港職員、税関職員などありとあらゆる人々がゴーグル付きの頭からつま先までの完璧なる防護服に身を包んでいた。その

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #3

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #2

          2020年2月初旬の春節休み明け、上海市は迅速に学校の授業をオンライン化した為、日本から子供達も遠隔で授業が受けられ上海戻りを急ぐ必要がなくなった。ただ中国に残った外国人の夫が心配だった。外国人が多く住む大都会上海ではなく、たまたま出張先の深センより更に奥地に入った外国人が極少のホテルで中国語ゼロの状態で上海に戻れず何日も缶詰になっていたのである。毎日テレビ電話をするも、顔色が哀愁を漂わせている。食事も毎食ホテルスタッフに部屋まで運んでもらえるが、全て中華。何度も日本に来る?

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #2

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #1

          「魔都」、それは上海を形容する煌びやかで妖艶な呼び名。 その呼び名以上の魅力の虜になり私も飲み込まれそうになった1人である。 現在40代後半の私の世代が持つ子供の頃からの中国のイメージ。まだ中国が貧しかった頃、メディアで見た皆同じような色褪せた人民服に身に包み整備されていない広い道なりを大勢の人々が自転車で埋め尽くし人民大移動をする姿ではないだろうか。その後時を経て上海や北京を旅行し、子供の頃のイメージは払拭された。両脇に煌びやかな高層ビルが立ち並ぶ整備された車道には中国産

          愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #1

          パリお財布事変

          フランスでワーホリが始まった2000年、ワーホリ1期生として意気揚々と渡仏した。その数年前フランス旅行をした際、通貨はフランの時代だったが、ユーロに代わり人々の生活に浸透して行った頃だ。 花の都、アムール(愛)、ロマンスの香りが充満するパリ。しかし実際は堂々と道の真ん中に犬の糞が主張し、惜しくも踏んでしまった輩はまさに糞を下品な言い方に変換して叫ばざるを得ない始末だ。 ワーホリとは当時週20時間の労働を許可されたVISAで、到着後すぐに運良くフランスの老舗デパート内にある

          パリお財布事変