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愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #2

2020年2月初旬の春節休み明け、上海市は迅速に学校の授業をオンライン化した為、日本から子供達も遠隔で授業が受けられ上海戻りを急ぐ必要がなくなった。ただ中国に残った外国人の夫が心配だった。外国人が多く住む大都会上海ではなく、たまたま出張先の深センより更に奥地に入った外国人が極少のホテルで中国語ゼロの状態で上海に戻れず何日も缶詰になっていたのである。毎日テレビ電話をするも、顔色が哀愁を漂わせている。食事も毎食ホテルスタッフに部屋まで運んでもらえるが、全て中華。何度も日本に来る?と促すが、力なくそれは無理と。
 
連日の報道や大使館情報、上海の日本人の大型グループチャット、上海在住のインスタグラマー、YouTube、ブログなどで情報を掻き集めいつ上海に戻れるチャンスが訪れるのか画面とにらめっこの日々だった。そんな中、中国が鎖国するかもという噂も飛び交い、生活の基盤がある場所に戻れないもどかしさと、年老いた両親のいる実家に子供達といつまで肩身の狭い居候生活が続くのかと益々不安を煽りただただ時間だけが過ぎた。
 
そして1本の朗報が。一時帰国してから既に5週間経過し、3月初旬になっていた。上海の日本人のインスタグラマーやYoutuberが街に人が戻りつつあると伝える。すぐさまその数日後の上海行の航空券を確保。日系航空会社ではあるが、その頃実際に日本から上海行便に乗った日本人の情報は乏しく、中国語が話せない身でまだ小学生の子供2人を連れ上海虹橋空港に到着後どの位拘束されるのか、隔離は自宅可なのかもしくはホテルに即連行されるかなどの未知の恐怖に支配された。出発前夜は文字通り不眠。早朝の空港でチャックイン時に辺りを見回しても日本人の姿はなく中国人乗客ばかりだ。まだ日本では一般的に防護服が普及していない時期で、中にはレインコートを着ている人々も。すくむ足で機内へ、もう後戻り出来ない。普段は行わないが席やテーブル、ひじ掛けやベルトの隅々まで消毒。乗客率は2~3割程度。誰もが皆表情に緊張を浮かべ押し静まる。まだ肌寒い3月初旬の朝の空に浮かぶ3時間弱の未知の未来へのフライト。

つづく

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