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愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #8

ロックダウン9日目には夫の会社からも野菜、卵の配給があった。この頃は食料が日に日に減るばかりで非常に助かった。そして10日目に再度政府からの配給。頭、手、足がついた鶏丸ごと1羽を箱から見つけた時は大声で叫んだが、毛は付いていないと肯定的に解釈し、夫に丸投げして頭を切除、シンプルに塩コショウ、バターを全体に塗りオーブンで調理し美味しく頂いた。
 
2週間経過してもまだロックダウン解除の兆しが見えない。上海市は陽性者が出た小区を毎日発表するが、ここに我々の小区が載らない事を祈る日々だった。陽性者はまだ十分に整備されていない悲惨な状態の隔離キャンプに連行される。時には行先を知らされないまま何時間もバスに乗り、上海市外の別の市の施設に連行される事もあった。プライバシーのないこの隔離キャンプで人々の不満も爆発していた。ただただここに連行されず子供達と離れ離れにならないのを祈る日々。
 
この頃ネットスーパーが再開し始めたが、少ない食料に人々が殺到し、ネット購入開始時間にネットに繋がらず、やっと繋がればもう全て売り切れの状態が何日も続いた。体重は3kg程落ちていた。子供達にだけは十分に食料を与えたがおやつはもう何も残っていない。子供達も状況を把握しねだりさえしなかった。
 
こんな中でも日々自分の時間を削り、住民達の為に来る日も来る日も業者の食料争奪戦に参入して下さった団体購入のリーダー達、食料を各家庭に配布するボランティアの皆さんには感謝しかない。この方達がいなければ完全に食いっぱぐれていただろう。お陰で日々の食料の不安が和らいだ後、体重は元に戻った。そして小区間の住民同士の助け合いも活発で、不足物の分け合い、物々交換などが行われた。
 
通常時、お手伝いさん(中国語で阿姨(アイ)さん)が来る家庭でもロックダウン中はその家庭では普段料理を作らない奥様がこんなの作ったよという創作料理をグループチャットに載せると、我も我もと盛り上がりを見せた。このようにロックダウン中に1つスキルが磨かれたという面もあった。
 
毎日のように大音量のバズーカーで「○○住民の皆さん、検査の為下に降りてきて下さい。○時で終了します」と呼び出されるPCR検査。その時は自宅玄関から出て小区内のPCR検査ブースに行く事が許された。籠城生活を2週間以上も続けていると運動不足も顕著に表れる。検査の際は運動の恰好のチャンスにつき、小区内を短時間軽くランニングしたり、ペットを散歩させる住民もいた。中にはPCR検査時の感染を恐れて検査に来れない高齢者や基礎疾患のある住民もいた。このようにほぼ全ての小区内にPCR検査ブースが設置され、上海市以外からも医療従事者が駆り出された。医療従事者達の終わりの見えない戦いも続いていた。
 
つづく

写真:鶏丸ごと1羽を含む超豪華だった日の政府の配給。

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