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愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #7

2022年3月28日早朝、通常ならまだ開店していない商店にも人々が早々とロックダウンに備えて入店に列を成した。4日間と聞いていたロックダウンだがここは中国、念の為1週間位の備蓄は必要であろうか。ロックダウン直前まで来る日も来る日も買い物に繰り出した。

ロックダウン前日の午後、最後の忘れ物を買い出しに馴染みの青果店に行った時は既に棚はもぬけの殻で殺伐としていた。店主の初老の女性が店の奥から出て来て、呆然と立ち尽くす私を見て、「老朋友(古い友人)ちょっと待ってて」とまた店の奥に戻り、袋を持って来て私に差し出した。店主が自分の為に残しておいたであろう大事なグレープフルーツが幾つか入っているのを見て胸がジーンとした。これは頂けないと言うと、いいから持って行けと強引に私に袋を差し戻す。涙が出てきた。まるで今生の別れかのように「再会(ザイジェン)」と言い合った。この時店主はもう4日間では済まないと悟っていたのであろうか。
 
4日1日、浦東が解除されないまま浦西のロックダウンが開始された。小区と呼ばれるマンションなどの集合住宅、日本でいう団地のような敷地が塀などで囲まれ、出入りを徹底的に管理される独立した区画が封鎖され、そこから1歩も外に出れない籠城生活の始まり。子供達はオンライン授業、夫はテレワークと、2年前の自宅隔離14日間と同じ要領で時間が過ぎるのをただ待つ。
 
意外にもロックダウン2日目にして我々の住居する区では既に政府からの配給が届いた。野菜数種類と冷凍の骨付き肉1パック500g程だ。区によってもこの配給は量や質や頻度が異なる。我々の小区には3棟マンションがあり、計300世帯はあったであろうか、マンションスタッフの方々が1階から30階まで各家庭に配布するご苦労は計り知れない。
 
ロックダウン開始直前には小区やマンション棟ごとのグループチャットが出来上がり、その中で住民と情報交換が常にされていた。やはり浦西も4日間ではロックダウン解除とはならず、小区ごとに食料や日用品が購入できる団体購入システムが始まった。小区内で何人かリーダーが名乗り出て、各自様々な業者から大量購入を取り付け、小区内の住民に分け与えるというシステムだ。商品の取り付けは他の小区との争奪戦につき、十分な食料が住民に行き渡らない事もあったと同時に食料が高騰して住民の不満は政府へと向かった。
 
つづく

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