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愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #1

「魔都」、それは上海を形容する煌びやかで妖艶な呼び名。
その呼び名以上の魅力の虜になり私も飲み込まれそうになった1人である。

現在40代後半の私の世代が持つ子供の頃からの中国のイメージ。まだ中国が貧しかった頃、メディアで見た皆同じような色褪せた人民服に身に包み整備されていない広い道なりを大勢の人々が自転車で埋め尽くし人民大移動をする姿ではないだろうか。その後時を経て上海や北京を旅行し、子供の頃のイメージは払拭された。両脇に煌びやかな高層ビルが立ち並ぶ整備された車道には中国産や日本車を含めた外国産車が颯爽と埋め尽くす。しかしながらその一歩裏路地を行くと昔ながらの風景が残るのもご愛敬。

ひょんな事から夫の上海転勤が決まり心躍らせながら2019年12月末に上海に降り立った。そう、その同月初旬に武漢で新型コロナウィルスの発症例が報告されたその時期だ。我々は中国で流行し始めたごく初期に裸一貫で入国してしまったやっちまった一家だ。その報道を見た日本の母から、大丈夫なのかと問われたが正直まだその頃は他人事だった。
 
年が明け2020年1月、子供を連れて上海中心部の小児科に掛かった際、医師は「上海でもあのウィルスの症例が2件報告されましたよ」と。2件、たった2件!とたかをくくっていたが、数日、1~2週間であれよあれよと症例は増え、人々は街中で半パニック状態でマスクを買い求め、不要不急の外出を控える日々が始まった。

その1月下旬から始まった中国春節の大型連休中に元々日本一時帰国を決めていた。その予定がなかった日本人や中国人も急遽多く出国し、上海虹橋空港は大賑わいではあったが、誰もが互いを警戒していた。中には日本企業駐在員の妻子に対しのみ緊急帰国命令を出した企業も少なくはなかった。

1月下旬に東京羽田国際空港に降り立った際、武漢がある湖北省やその周辺地域からの入国者は呼び止められた。上海からの入国者は通常通り入国出来た。1週間の予定の一時帰国ではあったが、その間さらに上海の状況が瞬く間に悪化し、戻れない状態に陥った。その頃日本でも日本人の感染症例が確認され始め、メディアが報道した感染ルートはほぼ中国からの入国者経由だった。中国から来たと人様に言えばきっと恐怖を覚えるだろうと、家族以外は誰にも会わず外出も控えた。その頃中国や日本国内、特に横浜港に停泊を余儀なくされたクルーズ船の悪化する状況が来る日も来る日もメディアを騒がせ焦燥した。私たちはいつ上海に戻れるのだろう。。。

つづく


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