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愛しの上海 de ロックダウン 回顧録 #9

ロックダウン開始から1ケ月経過しようとしていた2022年4月末のとある真夜中、近隣階の住民の叫び声で隣に寝ていた子供と一緒に目が覚めた。ついに壊れてしまったのか。住民の雄たけびと共に発された中国語に耳を傾けた。私では解釈出来なかったが、子供は「コロナ死ねと言ってる」と教えてくれて再び入眠した。
 
その翌日、「あなたの家の近くに陽性者がいます。どうぞお子さんを守って下さい」と、日本人ではない夫宛に日本語で面識のない離れた階の住民から連絡が入った。陽性者が出た場合、基本的に個人情報により部屋番号までは開示していなかったので、誰がどのようにしてこれを知ったのか謎に包まれた。そして昨夜叫んでいた近隣階の住民が陽性を疑われていると合点した。その住民は何日かPCR検査に出る事も許されず、医療従事者が直接部屋を訪れて検査した。しかしその数日後、偽陽性だった事が判明し、その住民は何日も眠れぬ夜で心身共に衰弱したと告白した。住民の誰もが労った。そしてまた真夜中に自身の潔白を祝うかのように陽気なギター演奏と共に1人大熱唱するのが聞こえて安心した。
 
そんな中、今まで陽性が出ていないマンションが一瞬解除されてはまた封鎖されるというニュースも入って来ていた。そしてロックダウン開始から30日目、突然我々の住むマンションの門は開いた。
 
マンションごとに発行される通行証を手に、1ケ月ぶりにマンションの塀を出て外界へ繰り出した。外出可能な範囲は限定的で住居の区域をまたぐ事は出来ない。しかし商店や公共交通機関も全てクローズされている為、住居の区域を散歩するだけで充分であった。この日発表された新規感染者は全て隔離施設内の数、よって社会面ではゼロ。やっとここまで来た。
しかし社会面ゼロが一定数続かない限り、上海全面ロックダウン解除は遠のく。
 
そして翌日また我々のマンションの扉が閉じた。1日限定の解除であった。
 
つづく

写真:街を消毒して歩く大白さん達。(大白:全身白い大きな防護服で包まれているのでダーバイというあだ名がついた)

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