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生い立ちや過去の振り返り

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脊髄性筋萎縮症という難病になった話や病気を抱えた上で大人になるまでを中心に書いています。
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#病院

自分事以外で初めて泣き狂った日。

自分事以外で初めて泣き狂った日。

皆さんどうもウッディです。

あ、申し遅れました
元弱虫泣き虫大魔王のウッディです。

子供は泣くものですが
僕は子供の頃本当に泣き虫で誰よりもすぐ泣き、多く泣き、いつも泣いていました。

人とはなかなか違った環境で育ち
自分自身もどうして良いかわからなかった

そんな時間が長かった分だけ
「泣く」事で自分のバランスを取っていたのかもしれません。

子供の頃は本当にたくさん泣いた。
そのせいなのか

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夜中に泣き腫らした目で…

夜中に泣き腫らした目で…

皆さんどうもウッディです。

今回お話しするのは僕の子供時代の話。

子供自体の話はよく書いてますがその中でも入院生活当初の話。

僕は小学三年生の終わりから地元を離れて香川県の大きな病院で生活をしていました。

その時の話で今も思い出に残ってる話をしていきたいと思います。

では始まります。

主治医の先生今回の話をするには話をかなり遡ります。

僕が生後間もない頃…
いつまで経っても歩かない、

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「桜見に行こう」あの看護師さんの言葉に救われた。

「桜見に行こう」あの看護師さんの言葉に救われた。

皆さんこんにちは。ウッディです。

今回書く内容は病院入院時代の話。

今まで書いたnoteの中で小3の終わりから高校卒業まで入院していたことはよく話していましたが

今回はその病院生活の中でもより印象に残っている出来事について書いていきたいと思います。

3年間毎日泣いていた僕が入院したのは9歳の頃。
入院した病院は地元と離れている県外の病院で知り合いもおらず病棟に同じ年代の子達も少なかった。

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「いつ歩けるんだ」その言葉が消えた祖父と孫

「いつ歩けるんだ」その言葉が消えた祖父と孫

皆さんどうも。ウッディです。

今まで自分のことや両親の話が多かったですが今日は祖父母について書いていこうと思います。

余計な一言も二言も多い祖父母ですが(笑)
昔も今も優しく見守ってくれていて、何か大きな出来事には喜んでくれるそんな祖父母です。

祖父母との幼少期僕が幼い頃。
まだ幼稚園くらいの頃は親が共働きだったので日中はよく祖母と一緒にいました。

今思えば祖母もよく僕のことを毎日見てくれ

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あの日人生が終わる予定だった

あの日人生が終わる予定だった

それなりの障害を抱えて生きてる僕。
そしてメンタルが昔から強くはない僕。
日々病んだり凹んだりして生きてきました。

そんな僕は高校生の時に一度だけ。
生きる事を本気で諦めようと思ってた時期があります。

今日はその時のお話をしていきたいと思います。読まれてる方が気持ちがいい話でもないしなんの情報もない話にはなるけど。

これも含めて僕の人生なので良かったら聞いて頂けたらと思います。

病院生活以

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引きこもり不登校児だった僕は病院で育った(後編)

引きこもり不登校児だった僕は病院で育った(後編)

前回投稿した前編に引き続き今回は後編を書いていきたいと思いますので前編がまだの方はぜひそちらを見て頂けたらと思います。

今回は前編の有料部分の続きなので後編は本編全て有料になります。ご了承ください。

本編に入る前に今回自分の子供時代の事を改めて書き綴ったり思い出したりしていく中で自分はたくさんの出会いと奇跡的なタイミングの重なりで今があるのだなと感じました。

嫌な事辛かった事が数え切れないほ

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引きこもり不登校児だった僕は病院で育った(前編)

引きこもり不登校児だった僕は病院で育った(前編)

僕が今住んでいる場所は愛媛県。
生まれ故郷も愛媛です。ですが学生の間大半の時間を香川県で過ごしました。

時間で言うと約9年間。
家族と離れて生活をしていました。

今回は僕の子供時代の話をしたいと思います。 

物心がつく前の話まず幼少期の話。親が僕の体の異変に気づいたのは一歳を過ぎた頃。ハイハイと掴まり立ちまではするものの一向に歩く気配がない為、不審に思い、病院に連れて行ったそうです。

最初

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