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歴史の望遠鏡

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この世の理不尽や不合理を疑問に思うこと。実は多くの場合、そこには人間の歴史がある。そこに生きた人々の怨念と情愛がある。
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2023年6月の記事一覧

たてものウォッチャー(2)

たてものウォッチャー(2)

史上最大の木造建築物。
他ならぬ、出雲大社でして以前は高さが16丈といいますから、48m以上あったらしい。今でも十分どデカい(冒頭写真参照)ですが、その倍以上はあったそうです。

平安中期に当時の貴族の子弟たちの教科書として出された『口遊【くちずさみ】』という書物の中に「雲太【うんた】、和二【わに】、京三【きょうさん】」という記述があります。建物の大きさに言及しているといわれてます。一番大きい雲太

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たった一人で扉を開ける(2)

たった一人で扉を開ける(2)

「人類は未来にタイムトラベルを実現させるのではないか。」歴史の中には、そう思わずにはいられないほどの異常人が何人か登場します。ロシアのピョートル大帝、清の康熙帝、アイユーブ朝のサラディンなど、驚異のマルチタレントで時代を一気に進める様は未来を知っているもののようです。
日本史においてはひとり、織田信長で、その意識を伺うにあまりに現代人に近い。
桶狭間の戦いや長篠の戦いが有名ですが、戦国武将などは彼

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たてものウォッチャー(1)

たてものウォッチャー(1)

「何フェチですか?」
と聞かれ、建物フェチです。と答えた私。
そんなのあるのかどうなのか。。
ともあれ世の中で建物ほど鑑賞に値するものはそうない。
大きさ・カタチ・色・素材、、、。
設計という始点と終点のないストーリーにくらくら酔うわけです。
そういう見方で建物を観る人が私だけでないことは、昔の建築家の多くが芸術家を兼任することでもわかるとおり、これは感動商売の部類です。

見事な曲線を描く熊本城

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たった一人で扉を開ける(1)

たった一人で扉を開ける(1)

日本でいつからちゃんとお金が使われだしたか。考えてみますと多分、室町時代じゃないですかね。
「明銭」というのがありましたよね。
清盛の時代は宋銭でも貿易商人や一部の貴族に「お金」は浸透していたのですが、商品経済が発達してきて、民衆レベルで商品取引の対価が必要になってきた。明のお金でもなんでも必要に迫られて、使っちゃえという感じだと思います。実はそれより700年も前に日本では「和同開珎」というお金が

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コミュニケーター

コミュニケーター

今でこそ、マスコミなんていうとえらい感じで、カタカナ商売の最右翼なわけですが、そんなの最近で、広告代理店なんか戦前はヤクザに等しいというか、とにかく全うな商売ではなかったわけです。
これが、もっと昔になるとベースになる状況が著しく違う。
まずマスコミがない。
「日本書記」なんていうのは元は一冊ですよ。出版とは違って一冊づつ写していくしかないから誰でも読めるものではない。詔勅(天皇の公式発表)を出す

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宗教改革(2)

宗教改革(2)

そして前述の信長。この人は宗教権力をまるで信じてなかった。当時としては非常に珍しいタイプの人で、それゆえ扱いも他の敵と一緒、いや兵卒にいたるまで信仰をもっている分さらに苛烈な攻撃を行い、比叡山延暦寺で3千人、伊勢長島、加賀、石山本願寺などでさらなる大量殺戮を行います。

おかげで清盛、信長とも「仏敵」と言われ、いらない敵を作り、いい死に方をしてないですから「仏罰」が下ったなどと世間から評されたりし

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宗教改革(1)

宗教改革(1)

比叡山延暦寺にバイクでいったことがあります。とにかく山全体が寺なわけで、その中心といわれる根本中堂にいたる道もなにやらハイキングコース風で、道の脇に延暦寺の祖、最澄の絵物語みたいなのが描かれています。そして、人々はそれを見ながら寺々を巡るという、とってもディスニーランドに近い無駄のない楽しみ方ができるわけです。
(とはいえ、その絵は相当に懐かしいタッチで描かれてますが、、。)
根本中堂に入ると目に

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いい加減と適当(2)

いい加減と適当(2)

日本文化の根幹「いい加減」と「適当」は政治・行政の舞台でも遺憾なく発揮されます。
大宝律令(701年・飛鳥時代)をはじめとするいわゆる律令は中国から輸入されたもので、またもや日本人にとっては借り物なわけです。なんとなく「孫にも衣装」な感じの心地悪さがあったんじゃないでしょうか。

これ、何の話かといいますと、いわゆる武士がどういう理由で生まれ、どうやって貴族から政権をとったかという話です。
戻りま

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いい加減と適当(1)

いい加減と適当(1)

日本人は細やかなくせして、契約とかレギュレーションみたいなものにいい加減だと言われますね。商売しようとする相手を性悪説でみることに慣れてないのかどうなのかわかりませんが、そういう様々な要因ありつつ、日本文化の根幹には明らかに「いい加減」と「適当」から生まれたと思えるふしのものがいくつかあります。
クリスマスと正月両方祝うなんてのはまさにそうですし、神社と寺の集合体みたいなのが多いのも本来考えられな

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52日間

52日間

熊本城の話です。
(※2016年4月に発生した熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城ですが、天守も復活し現在復旧作業中、今だからこそ観れる熊本城の姿に注目です。
 公式HP https://castle.kumamoto-guide.jp/

本当にいいものが時代を超えた例として、熊本城の例を挙げないわけにはいかないでしょう。この熊本城というのは真っ黒で、巨大な石垣がやたら目立つ威圧感のある城砦です

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更なる恐怖の時代

更なる恐怖の時代

平安時代の貴族にとってさらなる恐怖は地方で頻発する武士の反乱でした。
平将門しかり、藤原純友しかり。人を平気な顔して殺せる奴とか信じられないわけです。(もちろん平気ではないでしょうが、祟りが怖くないとかもう人間じゃない。)
さらにその向こう側にいる蝦夷の大酋長アテルイなんていうのは感覚としては鬼、獣、魔物に近いくらい。※1

ところが、この地方の脅威を感じつつも、近くの祟り(平安京に跋扈する怨霊)

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恐怖の時代

恐怖の時代

平安時代とはよくいったもので、8世紀後半から12世紀後半という約400年、地方での騒乱以外、大した戦争も起こらず時を重ねた時代です。
第二次世界大戦後、平和ボケとか言われている現代が、たかだか60年ということを考えれば平安時代がいかにボケてたか。貴族・藤原氏が権力を握る官僚政治の時代、途方もない“平和”はなにをもたらしか?

まず、朝鮮への出兵もやめ、遣唐使も切り上げ、外的刺激がなくなった。
中国

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歴史ったら

歴史ったら

嫌いな人が仕方なくやって大迷惑なのが歴史なんじゃないでしょうか。
歴史の授業が嫌いな人は年代とか人名とか覚えるのがやだ、みたいなこといいますね。
学校教育というのは嫌いなものを作る天才で、歴史で言えば年代とかあんなに覚えさせる必要まったくないと思いますね。嫌いな人が教えて、嫌いな人が仕方なく覚える、この「歴史」は変えてしまいたいですね。例えば、想像するって方に。

私なんかこのコラム書いてる時にほ

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義経のこと(2)

義経のこと(2)

チンギス・ハーン=義経説というのは、もちろんロマンなわけですが、この2人の異常人に共通する点が多いのも事実です。
源義経が戦場にデビューするのは、宇治川の戦い。木曽義仲に幽閉された後白河法皇を助けに、主戦力の範頼軍が矢合せみたいなことをやってる間に宇治川を馬で渡って、驚異のスピードでそのまま京都の市街地になだれ込む。電撃戦ですね。
平家との決戦、一の谷の合戦では、またも小戦力で迂回軍を指揮し、有名

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