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中国の様々な問題~その3~

この記事は前回の記事の続きです。

今回の問題は ダライラマ14世の後継者問題

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チベット仏教について

チベット仏教とは

7世紀にチベットにもともとあったボン教とインドから伝わった仏教が融合してチベット仏教になりました。

チベット仏教には4つの宗派があります。

カギュー派、サキャ派、ニンマ派、ゲルク派

ガギュー派 11世紀にインドに留学したマルパとその弟子であるミラレパにはじまる宗派。チベット仏教の中でも最も密教色が濃い宗派だとされます

サキャ派 モンゴル帝国、元王朝と結びつくことで宗派の勢力を拡大した一派。

ニンマ派 4大宗派の中で最も古い宗派です

ゲルク派 ダライ・ラマを頂点としてチベットの政治・宗教を牽引した宗派。チベット仏教ではこの世の人々を導くため、如来や菩薩などが転生して現世に生まれると考えられました。こうした生まれ変わりの僧侶を化身ラマと呼びます。
化身ラマのうち観音菩薩の化身ラマとされるダライ・ラマが最も尊ばれました。ダライ・ラマが死ぬと化身した新しいダライ・ラマの探索が始まります。転生したダライ・ラマだとされる子供が見つかると、新しいダライ・ラマとしてポタラ宮に迎えられました

簡単に言うと ダライラマが亡くなったら誰かに転生する。転生された子供がダライラマ何世となる。

ダライラマの次に偉い人がパンチェンラマ

パンチェンラマも同様に なくなったら次の子供に転生します。

誰が転生先を決めるのか

それは、パンチェンラマはダライラマを決めて

    ダライラマはパンチェンラマを決めます。 

お互いに決めるということです

しかし中国が余計なことをしたから大問題が起きてしまいました。

パンチェンラマ11世 2人いる問題

本来であれば お互いに1人ずつでなければいけない。

なぜ 2人になったのか

 パンチェンラマ9世のころにさかのぼります。

1949年 中国 チベットに侵攻  

チベットの敗北が決まるのと同時期に パンチェンラマ9世が亡くなります。次の10世を決めたのが中国政府でした。

もちろん反対もしたが敗北の結果もあり認めざるを得なかった。

中国政府の思惑としてはパンチェンラマを操り 中国思想を植え付け「ダライラマはチベットにおいて悪者であり、パンチェンラマこそトップにふさわしい」とゆう風にしたかった

その後ダライラマ14世がインドに亡命してパンチェンラマ10世はチベットにとどまり、中国とチベットの架け橋的な存在でありました。

しかしパンチェンラマ10世は中国のやり方を見てこれはいけないと思い中国を批判し始めました。 1964年に行事で中国政府が用意した「ダライラマを批判する原稿」を読ませようとしたところ、パンチェンラマ10世は「ダライラマを尊重」するスピーチをしました。すると中国はこれを理由に拘束 牢屋いきにしました。月日がたつこと10年。その後、また同じように中国が用意した演説でパンチェンラマ10世はその原稿を無視した結果 5日後に亡くなられました。

まださらにあります。

ダライラマ14世が次のパンチェンラマ11世を決めました。しかし、中国政府はこれを認めず、11世を拉致して偽物のパンチェンラマ11世に指名しました。

これによってなにが起こるかというとダライラマ14世が亡くなったら次はだらが指名するのか

もし仮に偽物のパンチェンラマ11世が選ぶとしたら確実に中国政府よりのダライラマ15世になります。こうなったらチベットの信仰の自由がなくなります。

ダライラマ14世は現在84歳 一刻も早く本物のパンチェンラマ11世チベットに返還してほしいです。

遠いどこかの国の出来事ではありません。一人でも多くの人にこの記事を見てもらいたい、そして自分自身で調べて共有してほしいです。


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