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よりぬきしりんさん

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#エッセイ

エッセイ/堂々

エッセイ/堂々

生きてくってことは、まずは、下らないもの、取るに足らないものにしがみついてゆくことだ。家族でも友人でもいい、思想でも主義でもいい、宗教でも哲学でもいい、仕事でも趣味でもいい。とにかく、多い方がいい。まずは、10本の指に少しずつ引っかけて、なるたけ今をごきげんでいることだ。成否も出来栄えも、実は大した意味はない。過度の義務感、熱い正義感、完璧主義、そんなものはどこかに投げ捨てる方がいいんだ。つまりは

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エッセイ/Coffee Broken

エッセイ/Coffee Broken

早起きして、声の多様性について、長ったらしい論考を書いたけど、下書きに寝かせる。文体が気に食わない。
→仕事のメールを整理しながら、昨日書いた短篇について考えていた。どう転んでも死ぬという先行き、身も蓋もないのだ。身も蓋もないものは清潔だが、認識と叙述における清潔とは、観念 notion にすぎない。Memento mori などは実に下らないことで、これは言ったら怒られるんだろうな、それでも言う

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エセイ/戒語 '23

エセイ/戒語 '23

以下、歯に衣着せぬ自省。

*

構想が湧いた、よしいっちょ小説でもと思えばそこで既に負け戦なのである。エセイと随筆の隙間でちょちょいと筆を動かすから、愚にもつかぬポエムが出来上がるのである。棺桶の型に嵌める覚悟が失せて、細かな行替えと聯立てでどうも分からぬ事を書けば詩、な訳がないのである。存在、事象、言語、認識、認知、社会、文化、鏡像、形式――以上の語をすべて用いて文学の本義を述べよ(二十点)。

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エッセイ/Quod Erat Demonstrandum

エッセイ/Quod Erat Demonstrandum

毛錢の話なのである。

取りみだして失礼、とりあえず、読んでいただければよいのだ。

*

カントもびっくり、きょうも律儀に、朝いちばんのルーティーンである、「娘と歌いながらだれもフォローしていないツイアカのおすすめを読む」を実行していた私は、このツイートを目にし、ことばどおり仰天した。

一読して、軽い動悸をもよおしたものの、これは症状かもしれない。再読して、やや呼吸が荒くなるのを覚えたが、これ

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エッセイ/スラムは消えたのか?

エッセイ/スラムは消えたのか?

昨夜は、科学映像館のサイトから、「スラム」(1960年)という資料映画を観た。

私は映画――さらに言えば映像・音声メディア全般――が大の苦手だ。等質に、無情に侵略してくる情報の大波に、思考と感性がついてゆけない、潰されてしまうからである。私的に観なければならない Youtube 動画は、0.5倍速か0.75倍速に下げる。溢れそうになったら、止める。

世の中は止まらない、こちらから逃げるしかない

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エッセイ/写「真」

エッセイ/写「真」

真実とはなにか、真理とはなにか、と問うとき、この言語で問われたその問いは、すでに幾分、間が抜けてみえるのだ。(もっとも、どの言語であれ、その問いそのものが間抜けていないか、私には何とも言えない。)

ことばという魔物は、いつでもじわじわと純粋思念を侵食するが、「写真」ということばも、そのひとつだろう。
それが白黒の粗い画像の時代から、誰の仕業か、こいつは「真を写す」などと、荷の重すぎる名を背負わさ

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随筆/往きて、還らむ

妻も娘もピアノ一すじ、だけど私はギター推し。
ぴえん。

J.S.バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』を村治佳織が演奏したこのチャンネルは、主に、私の望みの喜びである。
私と同い年の村治佳織、べっぴんさんね、声もいいのよ。

弦を指がかすかに掻く、hiccup、という音を待ちわびる。端正な主旋律のなかで、ささやかな私(たち)が必死に、豊かにかなしく生きて死ぬ、また、ささやかな私(たち)が必死に、豊か

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エッセイ/ほんとう

エッセイ/ほんとう

りきんでも、かけ声かけても、どうにもこうにも力が入らず、仕事を休んだ。ベッドに寝ころがって、はめ殺しの羊羹みたいな窓から、まっさおな空を見ている。写真をとってみたんだ。

私が見ているのは、この空じゃない。ほんとうは、空がもっとあおく、屋根の雪がもっと白いのだ。スマホのカメラ、素人の腕――そんな話じゃない。ほんとう、と口にだしたときの、ざらっとした後ろめたさ、ばれもせず、指摘もされない、そんなうそ

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ステラを想う

ステラを想う

ベッドの向かいには、偶然『ステラおばさんのクッキー』の紙袋がある。
日がな眠いし日がな頭痛いし、今日も今日とて特に書きたい題材もないので、ここはいっちょ、彼女をやらしい目で眺めながら、つらつらと下らない思索でも思うてみよう。

*

ステラおばさんは、クッキーを焼きすぎてあのような見た目なのだろうか。それとも、あの容姿が彼女をして、狂ったようにクッキーを焼かせたのだろうか。
クッキーが話題になるお

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あっちこっち

あっちこっち

たとえば、航空写真を撮ったあとには、ポートレイトを撮りたくなる。
心ゆくまで電子顕微鏡で細胞組織を見たら、次には満天の星空など眺めていたい。

自伝を読んだら、そのひとが生きたころの地域、国、世界、もろもろについて知りたい。
ある出来事を概説的、包括的に学べば、その渦中にあった誰かしらの日記や書簡、そんなものを無性に読みたい。

うどんがつづけば、鶏モモ焼きが食いたくなる。おせちもいいけど、カレー

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存在証明

存在証明

冬の風われに魔物が棲む日あり

風情も余韻もありません。読んでそのままです。この魔物が時に私を食い殺すきっかけは明白で、それは
絶対孤独(のようなもの)
です。
なんと呼べばいいか、
あなたはあの悪夢のおぞましさに、何と名前をつけますか?

高校のときからなにかとお世話になっている
Green Day

この詩を解したときの、一種抉られた心境は忘れられない。
この頃の私は、もろもろありながら、

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Looking Thru Me 90s From Both Sides

Looking Thru Me 90s From Both Sides

《Side A》

はじめて聴いたのは1995年、高校2年のときで、模試A判定にかまけてバンドばっかりにかまけていた頃。ドラムスだったが、留年してた同級生の別バンのリョウジ君があまりに上手すぎて、そりゃ上手いわ、あの人大学行かずにバックバンド行ったもの、で、ともかく始めて1週間くらいで向上心は失せて、まあ何でしょう、スタジオでまあまあ練習してはすり鉢状のせっまい街中でナンパと合コンにかまけていたわ

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ぽつん

ぽつん

私はいつも、生きているこの私の正体をつきとめる、尻尾をつかむ、そのために文章を書く。

鏡を見ても、おなかの辺りをつねってみても、これが私だとちっとも実感できない。第一、このポンコツの肉体など、私のタマシイが死んでも、しばらくは未練がましくここに残るではないか。

そんなもの、この私であってたまるものか。

だから、ときどき搾乳みたいに、私が出せることばを絞り出す。
それが私の核心かどうかわからな

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「若草物語」を読んで――寝てる暇はない

「若草物語」を読んで――寝てる暇はない

わたしがオルコット「若草物語」を大好きなのは誰にも内緒の話だが、これに限らず、好きなものを人に薦めることに、わたしは極端に自信がないのだ。
というより、そんな僭越なことをすれば、次に会ったときにどう転んでもろくな目に遭わない気がする。

「読んだよー、よかった!」となれば、偏愛ゆえ、どの部分がよかった、とか、どんな所がささった、とかを、きっとわたしは根掘り葉掘り訊いてしまうのだ。そのようなパンドラ

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