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「若草物語」を読んで――寝てる暇はない

わたしがオルコット「若草物語」を大好きなのは誰にも内緒の話だが、これに限らず、好きなものを人に薦めることに、わたしは極端に自信がないのだ。
というより、そんな僭越なことをすれば、次に会ったときにどう転んでもろくな目に遭わない気がする。

「読んだよー、よかった!」となれば、偏愛ゆえ、どの部分がよかった、とか、どんな所がささった、とかを、きっとわたしは根掘り葉掘り訊いてしまうのだ。そのようなパンドラの箱を逆さに振るようなこと、わたしには荷が重すぎる。

「読んだよ、うーん……」となれば、その時点で反感反省怏怏侮蔑羞恥後悔動悸赤面息切などのミックスジュース的感情を必死で押し殺し、極めて物分かりのよいわたしを演じなければならないなんて、想像するだけで荷が重すぎる。

「あーごめん、読んでない……」となれば、いささか熱くなってはなはだ饒舌雄弁に魅力だとか背景だとかを話したあの帰り道ごとゴミ箱に入れてそのゴミ箱をブラックホールに投げ込みたいそんな感情は、わたしには荷が重すぎる。

本(もちろん本に限らない――何か)を人様に薦めるとは、わたしにとって、そういう袋小路だ。

にもかかわらず、44歳の秋のわたしは、本を諸君に薦めようという気分で横溢している。
理由はない。
明日は分からない。

*

「若草物語」はわたしにとって特別な1冊だ。
アメリカの昔、開拓と戦争のさなか、何とかという一家に生まれ育った4人の女の子(パーティ:ゆうしゃ、せんし、そうりょ、あそびにん)が、ちゃーんとパパ(せんし)の言いつけを守り、それぞれに覚悟と勇気をもって敵やクエストをやっつけ、けいけんちとスキルを獲得しながら成長してゆく。

いかに読書感想文が不得手か、きっとお分かりいただけただろう。
「ひざまづいて足をお舐め」と言うくらいの覚悟と勇気をもって「いいから読んでみて」と、わたしはこれを言いたかったのだ。

喉が痛いとき浅田飴、頭痛いときロキソニン、そのような本だ。
こころが痛いとき、わたしはついこの「浅草物語」のページを開くのだ。

ニッポンの昔、遊郭と浅草寺のさなか、何とかという一家に生まれ育った4人の女の子(パーティ:ゆうしゃ、せんし、そうりょ、あそびにん)が、ちゃーんとおっ父(あそびにん)の言いつけを守り、それぞれに覚悟と勇気をもって敵やクエストをやっつけ、けいけんちとスキルを獲得しながら成長してゆく。

ありもしない「浅草物語」の捏造はもういい。
調べたらあった。むかしの映画でしたわ。それもどうぞ、よかったら見つけてご覧ください。

*

話は戻る。

「若草物語」は、ジェイン・オースティン「高慢と偏見」(中野好夫の「自負と偏見」の方がわたしはしっくり来ます……) の開拓アメリカ版/立志伝的改作とも言える。これも名作中の名作、是非。
なおこの作品の欠点は、5姉妹の名前はわたしの手に余ることだ。
4なら覚えられる。
3はコメディだ。
2は悲劇だ。
1はたぶん、姉妹ではない。

とすれば、どうしても話は谷崎潤一郎「細雪」へと飛ぶことになる。
このお話、わたしには未だにだいぶ退屈である。
この4姉妹は必死で《日常》しようとしているから。逆に疲れちゃうのよ。

*

4兄弟はどうなのだろう。
オトコノコは何しろうるさいしアホだしすぐ拗ねるしそのうち盛りもつくし無駄に暑苦しいから、4人もいらないのかもしれない。

ただ、藤原四兄弟のお話なんか、書いてみたら意外と楽しいかもしれない、など閃いた。
調べたらあった。馳星周ならさぞ面白かろう。

*

ちなみに、わたしの推しはジョー(せんし)です。



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