しりん

重症筋無力症 #MG の限界に挑戦中。この2年で何だかいける気がする4×歳児。そろそろ…

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重症筋無力症 #MG の限界に挑戦中。この2年で何だかいける気がする4×歳児。そろそろ英語業にも復帰したい。

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  • l Love You and Yours【お気に入り保存箱】

    また読み直したいものを勝手に放り込んでゆくところです。 勝手に入れますが、御容赦ください。

  • 日記

    日記、とされているものをまとめます

  • 随筆/考察 の箱

    わりとまじめに考えたり思ったりした散文。 玉石混淆、御容赦。

  • よりぬきしりんさん

    弊社独自の基準にて自薦 (評定3.5以上)

最近の記事

  • 固定された記事

ただフェイルセーフでありたかった

*0* 性悪説を支持するということぼくは性悪説を支持します。 *1* ぼくはF1マシンのように人間は、目も当てられぬほど無能で凡庸で、無心に徹すれば、ろくでもない、の方に、針はふれるものです。ハンドルもブレーキもクラクションも、理性と分別の領域にあり、ただ、アクセルだけは、脱力すればするほど、本能のままにベタ踏みし続ける。 そうではない、という方、立派です。理性と分別は継続的な学習により、第二の本能になる以上、恐らくは、たゆみない努力と自意識により、善であることを選び採っ

    • 辞書

      辞書が好きだ。 そのひと束の綴りには、知性のすべての要素が詰まっていながら、それ自体は遂に知性ではない。宇宙から素粒子まで、無から全まで、胚胎から消滅までを的確に網羅した、薄紙の束に過ぎない。 美しく、潔く、かなしい―― そのように生きて在る術を、ぼくは延々と、あてもなく手探りしているような気がする。 比喩ではない、辞書のように育ち、生き、死にたい。 清く明るい人たちにこれを伝えようとするとき、ぼくが不覚にも狂者の側にいるかに思えるのは、ぼくがまだ、辞書に近づけてい

      • 教師の資質

        ぼくを訪れた若者の、ぼくはその人の、その人を困らせている「結び目」を、さまざまな手を使い、見出そうとする。 しばらく話すうちに、ひょっとしたら、と「結び目」の可能性をいくつか思い浮かべる。 さらに続く対話で、ぼくはそれが、本当にその人の「結び目」なのかを確かめるために、実験する。 それがもしそうであれば、ぼくはだいたいの「結び目」をほどく、少なくとも弛めることには自信があるから、ほぼ終わりだ。 あとは、双方の協力と根気とがあればよい。 ぼくにとって、ある教科を教えると

        • Sketch

          ことばの本質とは、思念の反作用なのではないかと、そのようなことを長く思っていたのだが、はたしてそれが普遍的な真実なのか、あるいはわたしという一個体における特性なのか。 それを検証するためにのみ、わたしは人と語ろうとしているらしい。 多くの人とことばを交わす、そして彼の姿と彼のことばとの距離を推し量る。やがてわたしは、その程度を「根を張っている」、「地に着いている」、「浮わついている」、「浮かんでいる」、「散っている」などの私的な形容で認識していることに気づいた。 思念、感

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          ダゲレオタイプ

          中身など知らなくてよい たゞぼくといふ概念を愛してほしい 埋めても埋めても底抜けの この身の軽さ 厚みのなさよ できればそれはできただけ できねばそれはできぬだけ 生きればそれは生きただけ 生きねばそれは生きぬだけ 墓石の下は暖かかろか じめじめせぬかと気にかかる Days are gone and so am I Snow's piling as it melts, sigh Like the life you lived says bye The years af

          ダゲレオタイプ

          手帳に書いてあった

          謎ノ病ニモマケズ 迫リ来ル老イニモマケズ 雪掻キ後ノドカ雪ニモ 夏ノ倦怠ニモマケヌ 丈夫ナすぴりつとヲモチ 言ヘバヨカツタノ憂ヒハナク 決シテ自己嫌惡ナドハセズ イツモシヅカニにやツイテヰル 一日ニ白米三合ト しやとーぶりやんト 少シノウニト 山海ノ珍味ト アトイロイロタベ アラユルコトヲ マヅジブンヲカンジョウニ入レ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレ 街中ノ紀伊國屋書店ノ隣ノ庭付キノ 瀟洒ナ四LDKノ小屋ニヰテ 東區ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ授業シテヤリ 西ニツカレタ母ア

          手帳に書いてあった

          命懸けで生きるほど、わたしのことを語るのが困難になっていくのは、元来そういうものなのか、それともわたし個人の特性なのだろうか?

          命懸けで生きるほど、わたしのことを語るのが困難になっていくのは、元来そういうものなのか、それともわたし個人の特性なのだろうか?

          金魚

          夏の縁日から娘が持ちかえった金魚、さまー、みか。さまーはすぐに死んだ。秋になり、かなしみを新たな所有で埋めようと、買ってきた。りぼん。年が明けてすぐ、りぼんは、しきりに腹を見せて浮かんだ。いちど持ち直し、やがて、動かなく、はかなくなった。ぼくたちは、これが、ささやかではあるが、救いのない連鎖であることを、何となく合点した。水槽には一匹。みかはね、強い、きっと長生きして、鯉みたいに図太く大きくなる、テレビの横の水槽を見るたびに、皆がそう信じ込む気配。今日、日付が変わり、連勤を終

          妄念宗宣言

          現実を直視する、現実と向き合って生きる、よく聞く成句、だが妄想や幻想もまた、生きるという真正の現實のなかでのみ生じるものだ。自分の世界にばかり逃避して、と詰る人には、非常口のランプが常に外を指している現實を想起させてやるのがよい。彼らが尊び重んじる現実とは、ただ、内なる囁きに耐え得ない者たちの絢爛たる避難所ではないの、かは。 理想、これもまた、現実至上主義に照らせばひとつの妄想であるから、彼らは日に陰にそれを軽んじ、ときに蔑む。夢も、思想も、創作も、どれも同断。 彼らの御

          妄念宗宣言

          白玉

          ちかごろ向かいに建った高層マンションの窓、8階あたりだろうか、そこに、ひとつだけ、気づけば灯りが点いている。たったひとつ、あとは暗闇で、わたしはブラック・アイスバーンの長いドライブにとても疲れていて、疲れが呼ぶいつもの憂鬱を押し殺す唯一の手段へ、睡眠へ、逃れるところであった。むろん書くつもりはなかったが、なにかが、どこかでぱしんと弾けた、そして書かねばならない仕儀となった。わたしは何かを思い出していて、何を思い出したのか、わたしにはわからない。いつか見た光景のようでもあり――

          I am known IRONICALLY by what I wtite

          Twitter(自称:X)に日々垂れ流される廃水のうちに、どれだけの砂金が含有されるかはわからないが、「人は語りたいことだけは語らない」から「『何を語らないか』に人の本性は顕れる」というひと掬の詠み人知らずには、思わずはっとさせられた。 ことばを操れば操るほど、ことばに操られている感覚はいや増す。 語るは騙る、その自動性に身を任せれば、わたしの語ることばはますます ChatGPT のそれに似てくる。翌朝読む。気味が悪い、それが偽らぬ本心だ。わたしの文体が、何やら腑に落ちない

          I am known IRONICALLY by what I wtite

          解毒

          生身が生きるのは、なんとうっとうしいことか。好かれるのも、厭われるのも。珍重されるのも、軽侮されるのも。 存在をいくつものスペックのパラメータに分割され、その上で距離を測られることは、疲労し消耗する。 しかしまた、生身が疲労し消耗しながら生きるのでなければ、決して満たすことができない一種の秘孔が、わたしにはあるので、どんなに現実に打ちのめされようとも、またおめおめと『最前線』に戻ってしまうのだった。 生きることは疲れる、とは、その謂いなのだろう。 しなくてよいことほど、し

          車で駆けつけた、三ツ矢サイダーでお付き合いの、一見のバーから出ると、首元から北風がひやり、しみ入るのを感じる。気温はいつもより、うんと高いのであるが。かたくなに封印した「物を考える」ことを、ふとわたしは思い出した。いつも私の正気を紙一重でたもってくれた、関東のあのするどい寒風に似ているから。救いがたい風のなかで、わたしの冬はいつも、物思いの季節であった。多忙の極であった年始を過ぎ、どの年のわたしも、いちど全きからっぽになる。一から十までその身に負った若い責任は、その正しさと過

          5周年だってさ 最初のから数えれば、もう8年にもなるんだね Time Flies, Indeed.

          5周年だってさ 最初のから数えれば、もう8年にもなるんだね Time Flies, Indeed.

          ことばに自信があったから、ことばに臆病であった話

          これが答えだ、どうだ、とまるで王手のような表情をした文体の内に、へっぴり腰でおずおずと置いた語どもが、いたたまれない佇まいで縮こまっている。 文体が謙譲ならば、かえって語の奴らはのびのびとくつろいでいる。そんな慇懃にして傍若無人な文章たちを、わたしのぎこちない文章は常に怨望し、とどかないその境地をいつしか憎みさえする。 わたしの文章が、わたしのものでない文章を憎しんでいる気配に、わたしのことばを紡ぐ手は進まなくなるのであった。 生身のわたしは、いつも堂々と振る舞い、憎らし

          ことばに自信があったから、ことばに臆病であった話

          近況報告

          とある経緯で Netflix に登録したため、元を取ろうとちょこちょこ映画を観るうちに、気づけばドラマ沼にずっぽりはまっている。 これは小説にも言えるが、戦後の日本物にはほとんどわたしの食指が動かない。残念なことだ。独断である。 「舶来もの」も筋は面白そうだが、いろいろと騒々し過ぎる。Bang bang. 偏見である。 なぜかくまで、と訝しみつつ、韓国ものしかわたしは観ない。あら意外。 二十代も、三十代も、このたびも、その奇妙な引力に抗えず、気づいてみればわたしは熱心な

          近況報告