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記事一覧
日記/At The Mercy
めずらしく六時前に目が覚めたので、散歩にでた。無残に溶けた雪の路地裏はどこも、筆舌に尽くしがたいひどい路面である。融けた線路のような道が、延々とつづく。踏み込んだ足が、不意に斜め三十センチほど崩れながら沈み、盛大に転ぶ。起き上がりながら、まず、周りに誰もいないかを確かめる。まったく、いたらどうだというのか。転びました、てへ、で解決する。見たぞ、覚悟しろ、転んだお前は、転ばない私より惨めで劣っている
もっとみる日記/マカロンのようにやさしく
戦闘シーン完全NGの娘の要請により、ほぼつきっきりで観た『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』の感涙が、いまだ止まらない。のび太が手塩にかけて育てた、三匹の空想生物との別れ。これは仕方ない。ひとしきり流した涙をふく。これだから、大長編は嫌なのだよ。すっかり油断したところで、夜なべで勉強し、机に伏して眠るのび太を、ママがそっと撫でる。これは、もう全然アウトである。付き添いの親御さんをここで泣かせる
もっとみる日記/せめて、灯でありたいのだけど
最初に、高濃度の毒を吐き出す。全身型重症筋無力症、わたしは指定難病患者様であり、身体障害者様である。いくつか、紙切れをもらっていて、だが、それがどうした。補助ってのは、金をくれるわけじゃない。病院代と、薬代の上限があるだけだ。元気な奴には無縁な金を、終わりなく払うんだよ。どんなに窮状を訴えようと、結局は病名で型に填めて、御祝儀みたいに、形式的な手を差し伸べられる。これじゃ、ろくに生きもできず、ろく
もっとみる日記/概念のやりとり
半分だけ、恩返ししよう――どこかで、この界隈だか、ニュースだかで、ほんの一瞬すれ違ったことばだ。適度にこなれて、絶妙に釣り針のかえしがついていて、わたしの脳から剥がれない。恩返しとは、ど田舎育ちの惣領息子にとっては、胃が痛くなるほど、重たい概念である。概念でありながら、あたかも質料や臭いを有するかのように付きまとう、難儀な奴だ。前近代的な田舎において、恩は、まず売られる。売りつけられる。乳幼児から
もっとみる日記/Man Eater
なにかが特別におこった日ではなかったが、わたしという人間は、まったく、惑ってばかりだ、取り乱してばかりだ、とひどく落ちこんでいる。きっと、吹き出物をつぶすように、認知のどこかしらを、ぷつっ、とつぶしてしまえれば、なにも起こらなかった一日にふさわしく、わたしはなにも思わず、事は穏便にすすむのだ。たった六十人の富豪が、この世界の富の半分を所有するらしい。たった六十人の苦労性が、この世界の取り越し苦労の
もっとみる日記/フランキー永井
じつに降った。昼すぎには吹雪いて、十米前方さえ見とおせなかった。こんな日の運転は、南国人にとって、かなり気を遣うのだ。そんなこんなで、すでに限界まで疲れきっている。娘に、体調悪いの、と訊かれて、うん、体調悪いよ、と答えられるようになったのは、大きな一歩である。眠い。フランキー堺と、フランク永井は、ちょっと藝名が似すぎちゃいないだろうか、と目下、そんなことしか考えられない。川島雄三「幕末太陽傅」(1
もっとみる日記/どうせ買うのだから
ポリバケツにお湯をため、ツルハで買った徳用ぞうきんを持って、駐車場にゆく。この季節の当地は、泥水の撥ねが著しい。銀色の車のボディは、ココアを塗ったような具合に仕上がっており、それはどこの車も大差ない。だが、わたしは拭くのだ。湯拭きしたら、十秒以内に、すなわち凍る前に乾拭き、そうしなければ、さらに惨めな按配にココアがひろがるからである。前後左右、それをひたすら繰り返す。一時間ほどで、誰が見ても、ああ
もっとみる日記補遺/玄関にて寝る
欠勤。起きたときからすでに、心身すべての力を、使いはたしている。娘を幼稚園のバス停に送り、そのまま玄関先で倒れこむ。四時間も寝ていた。一体、なにをしているのだろう。なんなのだろう。このゲームのプレイヤーは、三歳児に違いない。前の道では、人が談笑している。車も順調に走り、マンションの工事も進んでいるようだ。カラスも問題なく、かしましく啼いている。ゲームのバグではない。システム終了の気配もない。致命的
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