マガジンのカバー画像

よりぬきしりんさん

89
弊社独自の基準にて自薦 (評定3.5以上)
運営しているクリエイター

記事一覧

エッセイ/堂々

エッセイ/堂々

生きてくってことは、まずは、下らないもの、取るに足らないものにしがみついてゆくことだ。家族でも友人でもいい、思想でも主義でもいい、宗教でも哲学でもいい、仕事でも趣味でもいい。とにかく、多い方がいい。まずは、10本の指に少しずつ引っかけて、なるたけ今をごきげんでいることだ。成否も出来栄えも、実は大した意味はない。過度の義務感、熱い正義感、完璧主義、そんなものはどこかに投げ捨てる方がいいんだ。つまりは

もっとみる

詩/おとぎばなし

母胎のような気候
何もない昼下がり
誰もいない昼下がり
がらあんとした芝生
見渡すかぎりの芝生
柔らかいシートを敷いて
少し甘めのカフェ・オレ
スマホの電池は満タン
そうだな
だれもいないから
音量も音域も気にせず
きょうだけは
いろいろ歌うのです
潮のかおりもする
いい感じだ
いい感じだ
いつの間に
居眠りしていると
アリスが肩をすぼめて
隣に腰かけていた
ねえ
追われてるの
悪い悪いヤツらに

もっとみる
エッセイ/Coffee Broken

エッセイ/Coffee Broken

早起きして、声の多様性について、長ったらしい論考を書いたけど、下書きに寝かせる。文体が気に食わない。
→仕事のメールを整理しながら、昨日書いた短篇について考えていた。どう転んでも死ぬという先行き、身も蓋もないのだ。身も蓋もないものは清潔だが、認識と叙述における清潔とは、観念 notion にすぎない。Memento mori などは実に下らないことで、これは言ったら怒られるんだろうな、それでも言う

もっとみる
小説/『く旅れた』・番外篇

小説/『く旅れた』・番外篇

今回のコラム『く旅れた』は、ちょっと趣向を変えてみる。

筆者の懲戒解雇のちょっとした休暇を利用して、ヴァカンスの穴場であるプラベント首長国へと足を伸ばすのだ。
あまり聞きなれない地名だが、知る人ぞ知る、まだ知る人に会ったことはないが、私も知らなかった。

まだ雪が舞う当地から、国内便で成田へ、そして国際線の端っこでプラベント・エアに乗り換える。離陸の瞬間は、何度経験しても胸が躍るが、今回は、離陸

もっとみる
半日記/空想癖

半日記/空想癖

朝おきてから、この歌が、心からはなれない。ひさかたの光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ。紀友則さん、いい歌です。枕詞をふくめて、無駄な語がない。どれかを抜けば、たちまち桜の木は折れてしまうだろう。きょうは重たく曇っていて、まだ当地は雪がちらついている。花は散るどころか、ほころぶ気配もみえない。だが、私の目にはみえている。うららかな春の陽ざし、ほのかに冷たい風、花びらは舞い、風のない花びらも

もっとみる
日記/法悦四八〇

日記/法悦四八〇

神性だの、無に充たされるだの、考え、書いていても、わたしは六万円の電気代におびえる、電気子羊にすぎない。または、わたしは六万円におびえる電気子羊にすぎないが、神性だの、無に充たされるだの考え、また書いている。どのみち、まさか、墓石に「六万円」と彫られることもあるまい。かつて、池田晶子おねいさんは、哲学に救いなどあるもんか、すがるなんて、お門違いだわよ、と喝破なさった。御意。とはいえやはり、繭のよう

もっとみる
日記/追儺の変

日記/追儺の変

どうにも、虫の居所が悪い日であった。肚のなかに虫が居る、とは頓狂な謂いだが、大脳辺縁系の機能亢進より、体感として、よほど的は射ている。腹には虫など居りませんよ、と断言するのは、腹に虫が居なかった者の特権だ。小五のとき、わたしと信ちゃんだけ、別室に呼ばれた。虫がおったとよ、と保健の先生に言われ、赤いのみ薬をもらった。蟯虫だ。おしりぺったんフィルムを、朝いちばん、肛門に押しつける検査に引っかかった。当

もっとみる
エセイ/戒語 '23

エセイ/戒語 '23

以下、歯に衣着せぬ自省。

*

構想が湧いた、よしいっちょ小説でもと思えばそこで既に負け戦なのである。エセイと随筆の隙間でちょちょいと筆を動かすから、愚にもつかぬポエムが出来上がるのである。棺桶の型に嵌める覚悟が失せて、細かな行替えと聯立てでどうも分からぬ事を書けば詩、な訳がないのである。存在、事象、言語、認識、認知、社会、文化、鏡像、形式――以上の語をすべて用いて文学の本義を述べよ(二十点)。

もっとみる

犬猫精神病院

パルの頭がおかしくなった。虚空を見つめて吠える。餌の器に排便し、貪り食う。ニヤつきながら、一心不乱に頭を搔く。美聡がいなくなって以来、朝から夜中までこの調子だ。

二度と会うつもりはないという line を最後にブロックされた日、私も多少取り乱したのは事実だ。5年の我慢と寛容が、たった一度の出来心で粉々になるならば、お父さんお母さんや先生方はそう教えるべきだ。人の心は、お歳暮のように、これだけ尽く

もっとみる
エッセイ/Quod Erat Demonstrandum

エッセイ/Quod Erat Demonstrandum

毛錢の話なのである。

取りみだして失礼、とりあえず、読んでいただければよいのだ。

*

カントもびっくり、きょうも律儀に、朝いちばんのルーティーンである、「娘と歌いながらだれもフォローしていないツイアカのおすすめを読む」を実行していた私は、このツイートを目にし、ことばどおり仰天した。

一読して、軽い動悸をもよおしたものの、これは症状かもしれない。再読して、やや呼吸が荒くなるのを覚えたが、これ

もっとみる
エッセイ/スラムは消えたのか?

エッセイ/スラムは消えたのか?

昨夜は、科学映像館のサイトから、「スラム」(1960年)という資料映画を観た。

私は映画――さらに言えば映像・音声メディア全般――が大の苦手だ。等質に、無情に侵略してくる情報の大波に、思考と感性がついてゆけない、潰されてしまうからである。私的に観なければならない Youtube 動画は、0.5倍速か0.75倍速に下げる。溢れそうになったら、止める。

世の中は止まらない、こちらから逃げるしかない

もっとみる
エッセイ/写「真」

エッセイ/写「真」

真実とはなにか、真理とはなにか、と問うとき、この言語で問われたその問いは、すでに幾分、間が抜けてみえるのだ。(もっとも、どの言語であれ、その問いそのものが間抜けていないか、私には何とも言えない。)

ことばという魔物は、いつでもじわじわと純粋思念を侵食するが、「写真」ということばも、そのひとつだろう。
それが白黒の粗い画像の時代から、誰の仕業か、こいつは「真を写す」などと、荷の重すぎる名を背負わさ

もっとみる

随筆/往きて、還らむ

妻も娘もピアノ一すじ、だけど私はギター推し。
ぴえん。

J.S.バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』を村治佳織が演奏したこのチャンネルは、主に、私の望みの喜びである。
私と同い年の村治佳織、べっぴんさんね、声もいいのよ。

弦を指がかすかに掻く、hiccup、という音を待ちわびる。端正な主旋律のなかで、ささやかな私(たち)が必死に、豊かにかなしく生きて死ぬ、また、ささやかな私(たち)が必死に、豊か

もっとみる
エッセイ/ほんとう

エッセイ/ほんとう

りきんでも、かけ声かけても、どうにもこうにも力が入らず、仕事を休んだ。ベッドに寝ころがって、はめ殺しの羊羹みたいな窓から、まっさおな空を見ている。写真をとってみたんだ。

私が見ているのは、この空じゃない。ほんとうは、空がもっとあおく、屋根の雪がもっと白いのだ。スマホのカメラ、素人の腕――そんな話じゃない。ほんとう、と口にだしたときの、ざらっとした後ろめたさ、ばれもせず、指摘もされない、そんなうそ

もっとみる