見出し画像

近況報告

とある経緯で Netflix に登録したため、元を取ろうとちょこちょこ映画を観るうちに、気づけばドラマ沼にずっぽりはまっている。

これは小説にも言えるが、戦後の日本物にはほとんどわたしの食指が動かない。残念なことだ。独断である。
「舶来もの」も筋は面白そうだが、いろいろと騒々し過ぎる。Bang bang. 偏見である。

なぜかくまで、と訝しみつつ、韓国ものしかわたしは観ない。あら意外。

二十代も、三十代も、このたびも、その奇妙な引力に抗えず、気づいてみればわたしは熱心な「韓流」ファンであった。

蚕食から併合、抵抗と迎合、民族自決の自覚、解放独立、傀儡と粛清、内戦、やがて発展と独裁、さらに抵抗、民主化運動、懐柔また抵抗、金大中、そこには常に南北分断と緊張……。

これらの国家的体験は、すべて「韓国のドラマツルギー」として昇華され続けている。それは優れた筋書きでもなければ見目麗しい演者でもない。演出でも映像手法でもない。彼ら自身が(半ば訝りながら)「はん」と名づける、骨身に沁みたある人間観が、名作駄作を問わず、韓国作品を韓国作品たらしめている。それは、強いて言えば筆致 touch の問題である。

そのような、当を得たかどうかきわめて怪しいことを、考えたり忘れたりしながら、わたしは手当たり次第に「韓流」を観る。

*

20世紀の末。
ソウルの外れ、上鳳さんぼん駅から、ふたりの若い酔っ払いが肩を組んで歩いている。吸い込まれるようにオデン屋台に腰を下ろす。芝の匂い、蝉の声。練り物を食い、眞露を飲み、ふたりはちぐはぐに噛み合った議論をしている。

又、20世紀の末。
何十通もの手紙、メール、そして一度しか会うことがなかったソウル大哲学科の「民主化闘士」の彼女とは、延大前の『とくすり茶房』で、だが、わたしたちは何を話したのだろう。彼女は恐ろしいほど美しく、落ち着きのないふたりはすぐにカフェを逃げ出し、学生街をただ歩きに歩く。そして最後に、ふたりはワンコイン分の Dance Dance Revolution を踊るのだ。

又。
わたしはこの上なく真剣によたって・・・・いた。一泊3,500うぉんの痒い宿で『仏教TV』を観ながら、何もかもから逃げ出していた。逃げ出すことからさえ逃げ出したいときには、残飯の臭いにまみれて路地裏に座り込んだ。THIS を喫いながら泣いた。

どれもこれも、まるで母親に駄々をこねて甘えるように、わたしはあの街に駄々をこね、甘えきっていた。
あるいは、奇妙な一目惚れ、片恋だったのかもしれない。何を演じることからもはじめて解放され、全きわたしであった。

*

半醒半睡、そんな詮無き妄念に覆われ、一体ドラマを観ているのだか、選りぬきの思い出アルバムを眺めているのだか。

ともかく、韓国語はほぼ思い出した。
だから元は取れていると思うから、妻には怒られない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?