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ステラを想う

ベッドの向かいには、偶然『ステラおばさんのクッキー』の紙袋がある。
日がな眠いし日がな頭痛いし、今日も今日とて特に書きたい題材もないので、ここはいっちょ、彼女をやらしい目で眺めながら、つらつらと下らない思索でも思うてみよう。

*

ステラおばさんは、クッキーを焼きすぎてあのような見た目なのだろうか。それとも、あの容姿が彼女をして、狂ったようにクッキーを焼かせたのだろうか。
クッキーが話題になるおばさんは、少なくとも私の周りにはいなかった。よほどの腕前か、よほど執拗に焼いて焼きまくっていたのか、である。

ひょっとしたら、ステラおばさんは実在の人物――ともすれば未だご健在――なのかもしれない。ステラおばさんフリーク、『ステラー』たちの中では常識になっている、彼女とクッキーの奇跡的な邂逅、みたいな感動エピソードがあるのかもしれない。
だが残念なことに、私はステラおばさんもモロゾフも森永も違いが分からぬ門外漢だ。なんなら砂糖舐めてりゃにっこにこだ。

しかしここは、『調べたら負け』――これこそ、純粋駄文創作者の一の掟だ。
私は調べない。断じて。

人生はすべて顔に出る。
顔のみ。
それのみから、彼女の全人生を慮ってみようではないか。
かのリンカンおじさんも喝破したではないか、「40歳過ぎを信じるな! Don't Trust Over 40! 」と。

*

ステラおばさんは、1913年に『クッキーのメッカ』ペンシルベニアで生まれた。生まれた時は、まだおばさんではなかったと言われている。

父スティーヴはクッキー型を造る鋳物工場で働いていたが、ステラが7歳の頃、酔狂で買った宝くじが当たったことで大いに取り乱し、急病に倒れた。

母アンはステラを溺愛した。関係者の誰に聞き取りをしても、アンはステラを溺愛したと異口同音に答える。とにかく、一点の曇りもなく溺愛したのであろう。

ステラは中学を卒業した後、自宅から4キロほど離れたクッキー店に丁稚奉公をするが、店長の妻とクッキー観や好みの小麦粉が異なっていたため、若いステラは苦しく気鬱な日々を余儀なくされた。

とは言え、店長のむちゃくちゃ熱心な指導と彼女自身の天才的センスにより、そのクッキー技術は著しく上達した。この頃にはすでに、ステラが焼いたクッキーをわざわざ遠方から買いに来る客も少なくなかった。

25歳(1938年)、ステラは奉公で貯めた3,500ドル(当時の貨幣価値で3,500ドル)を元手に、『ステラのクッキー』の商標登録を行い独立する。有名なポートレートはこの頃に撮影した彼女の姿である。

すぐにクッキー界で頭角を表したステラは、ニューヨーク、ボストン、ワシントンD.C. をはじめ、全米に45店舗を構えることとなる。F.D.ルーズヴェルト大統領にもその名声は届き、彼への手土産は『ステラのクッキー』と相場が決まっていたという伝説を作った。

やがて彼女は、多忙なクッキー作り(多い日には、1日あたり50,000枚以上を焼いていたと言われている)と並行して、飛行機の操縦に熱中する。クッキー作りによる収益のほとんどをこれに費やしていたとさえ言われる。

時は第二次大戦の最中であり、アメリカ空軍の嘱託として太平洋方面の数々の航空戦に参加したが、1944年の末、ナガノ地方の空襲の際に、機体の故障により不時着する。その後、終戦まで日本の捕虜収容所で過ごす。

終戦直後より、厚木にてクッキー店を営む。当然、米兵のほとんどは、かの高名な『ステラのクッキー』を知っており、彼女の店は大いに繁盛する。

37歳(1950年)、突然剃髪したステラは、『ステラおばさんのクッキー』の経営権を、とある日本人に譲渡し、トヤマにある臨済宗妙心寺派の寺へ出家する。
この有能で勤勉な日本人の尽力により、現在も日本全国で、彼女のレシピを忠実に守った香り高いクッキーが販売されている。

それ以降、ステラの消息を正確に知るものはいない。彼女は1981年、68歳で遷化したが、トヤマにある彼女の墓には、ただ一語『円寂』と誌されている。
彼女の心境は誰も知るべくもないが、出家の後もやはり、クッキーへの思いは断ちがたかったのであろう。

*

思わず非常に長い抜粋となってしまった。

私はこの経歴を読み、無知からとは言え、ステラに対して失礼な物言いを弄したことを、心から反省した。

一流のクッキー屋から飛行士へ、そして図らずも棲むこととなった日本、さらに出家……。

天職のクッキー職人として一世を風靡し、それでも満たされぬステラの志は空へと向かい、さらに、なお、彼女は異国でも、真の充足を求め続けたに違いない。
その境地は私には知るべくもないが、決して充たされぬ魂、その一点で私はステラと繋がる。

エプロン姿で焼きたてクッキーの皿を持ち、満面の笑みを浮かべる20代のステラ。
だが、あなたは見たか、彼女の鋭い、まるで若き哲学徒のような眼差しを!
――彼女が焼くクッキーのように丸い眼鏡、その向こうに、ステラは一体どのような修羅を凝視していたのであろう。

https://www.auntstella.co.jp/about_aunt/

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