【心理学】人はなぜ劣等感や嫉妬心を抱くのか
みなさんは、劣等感や他人への嫉妬とどう向き合っていますか?
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この世には色んな人が沢山いますから、自分がしている仕事と同じ業種、同じ職場で自分より秀でた能力を持っている人もいますよね。人間は強よくも弱くもある生き物ですから、そういう時に
「あの人あんなに才能があって羨ましいな」
「自分はなんでこんなんだ」
って、自分の胸に手を当てて聞いてみれば、ついつい嫉妬してしまったり、劣等感を抱いてしまう瞬間もありますよね。
そういう、妬み嫉み自己嫌悪みたいな感情って一見よく見えないですよね。
ただ、心理学では必ずしもその嫉妬心や劣等感は悪いものでは無いってことがわかってるんですよね。
ではそんな劣等感や嫉妬は人にどんな影響をもたらすのかを、本日はお話していこうと思います。
劣等感とは
という事で本日は劣等感についてお話をしていこうと思うのですが、皆さんは「あー自分ってダメだな」とか「あいつ、なんであんなに凄いんだろう」って他人に嫉妬をした事、もしくは劣等感を抱いた事はありませんか?
この世には色んな人が沢山いますから、自分がしている仕事と同じ業種、同じ職場で自分より秀でた能力を持っている人もいますよね。人間は強よくも弱くもある生き物ですから、そういう時に
「あの人あんなに才能があって羨ましいな」
「自分はなんでこんなんだ」
って、自分の胸に手を当てて聞いてみれば、ついつい嫉妬してしまったり、劣等感を抱いてしまう瞬間もありますよね。
まあただ、劣等感や嫉妬と言っても、どちらかの感情を抱く事は自分が他人に負けるという事ですから、負けず嫌いな方なんかは
「この感情を抱くことすら許せない!」
と、その感情を心のどこか奥深くへと、しまいこまれている方もいらっしゃるかもしれませんね。
それで、なぜ人が劣等感や嫉妬心を感じてしまうのかというと、自分と他人を比較してしまうからなんですよね。
なぜ人は自分と他人を比べてしまうのか
しかし、そもそもなぜ人は自分と他人を比べてしまうのかというと、心理学にはフェスティンガーさんが提唱された「社会的比較理論」というものがあって、これは何なのかということを簡単に説明すると
人は複雑な人間社会で自分の役割を見出すために、自分と環境や役割が似ている人を自身と比較する衝動を持っている、という事です。
僕達人間は、何かを何かと比べずには生きられません。なぜかと言うとそういう生き物だからです。上でも出てきたように、この衝動という言葉は、心理学ではほぼほぼ「本能」という言葉と同じ意味で使われています。
なぜ人が、自分と他人を比較するのかと言うと、優秀な遺伝子を残すために、より優秀な遺伝子をもったオスやメスを見分ける必要があるから。だから他人と他人を比較したり、自分と他人を比較するんですよね。
例えば、地元でサッカーが1番上手なA君がいるとします。
A君は、地元だけで見れば一番サッカーが上手いわけです。
しかし、日本全体で見た時にA君が一番サッカーが上手なのかと言われれば、そんな事はないですよね。
もっと言うと、世界で比較すると、クリロナとかメッシとかネイマールとかロナウジーニョみたいな、バケモノ級の選手がたくさんいるわけで、実際に日本から世界的プレイヤーになっている人って、日本のプロ選手の中でも極々一部な訳ですよね。ましてや、A君が世界で活躍できる確率なんて、もっと低いわけです。
むしろこんなバケモノ級の世界のサッカー選手と比べたら、A君なんて初心者同然レベルの可能性の方が高いぐらいに。
だから、例え地元の人と比べた時にサッカーが上手いA君でも、A君と誰を比較するかで、A君はサッカーが上手いのか下手なのかという評価は変わってきますよね。これが、人が価値を図るために持っている能力、比較です。
そして、このA君は、彼自身と他の誰を一番比べるのかというと、地元でサッカーをやっている同年代ぐらいの人なんですよね。サッカーをされていた事がある方はわかると思うのですが、別に自分がサッカーをしていても、クリロナやメッシと比較しようなんて思いませんよね。これが社会的比較理論です。
とまあこんな感じで、人は自分と、立場や置かれている環境が近しい他人を比較する、ある種の本能とも言える特徴を持っているのですが、この自分と他人を比較する行為こそが劣等感や嫉妬を生む原因になっていると言えるでしょう。
劣等感を持つ事は必ずしも悪いことではない
ただ、この劣等感や嫉妬を持つ行為は、必ずしも悪いことではないと言う事が、アドラー心理学では言われています。
アドラー心理学は有名ですよね、おそらく今この記事を読んでくださっている方の中にも、ご存知の方はたくさんいらっしゃると思うのですが、アドラー心理学を作ったアドラーさんは、もともとこの劣等感が元で心理学を始めたとされています。
アドラー心理学では「劣等」という概念は「劣等性」「劣等感」「劣等コンプレックス」の3つに分けられています。
劣等性とは、自分と他人を比べた時に、客観的に実際に劣っている点を言います。例えば、背が低いとか、足が遅いとか、頭が悪いとか、太っているとか。そして、そを自分が把握している事を劣等感と言います。
別にそこに負い目を感じる感じない関係なく「自分は他人より太っている」という自覚があるだけで、アドラー心理学では劣等感の定義に当てはまります。
そして、アドラー心理学ではこの劣等感を抱く事は必ずしも悪いことでもないと言われています。自分は他人よりも劣っている、という劣等感を抱くことによって人は「なにくそ」と頑張れるからです。
ただ、問題なのはここから先で劣等コンプレックスとは、その劣等感を言い訳にして自身の課題を避ける事を言います。
例えば、太っている人に「太ってるね」って言ったとして「しょうがないやん、食べちゃうんだから」と、自分の食欲を言い訳に「自分が痩せる」という課題から目を背ける事です。
これに関してはよくありますよね。
なんか世間の風潮を見ていると、太っている人に「太っている」と言う事はあたかも悪い事のように言われているのですが、別にそんな事ないですよ。
ではなぜ世の中には「太っている」と言われて怒る人がいるのかというと、このアドラー心理学から考えれば、「太っているね」と言われて怒りの感情を抱く人は、自分の今の体の状態に劣等感を感じているからで、まさに「他人の太っている発言」を悪いことにして、太っている事を自分の中で正当化しようとしているからなんですよね。
もっと言ってしまえば、現実から逃げているだけなわけです。
これに関しては、アドラーさんも「劣等コンプレックスはほとんど病気」と言っていますからね(笑)
という感じで、劣等感を抱く時は時に、自分が成長するためのモチベーションになります。ただ、いけないのは、その劣等感を理由にして現実から逃れようとすることです、という事がアドラー心理学で言われています。
まあただアドラー心理学はアドラーさんの自己啓発でしかないので、実際に科学的な根拠のお話をしておくと、不安やストレスは一定数あった方が仕事のパフォーマンスは良くなる事が分かっています。
これはヤーキーズ・ドットソンの法則で明らかになっているのですが、人のストレスとパフォーマンスの関係は、図にするとこんな感じになっているんですよね。
このグラフを見ると、適度なストレス(不安・劣等感)があった方が人はより良いパフォーマンスを出せる事がわかりますよね。
ただ、不安や劣等感を感じすぎても、感じなさすぎてもいけないのです。
ではそんな劣等感とはどうやって向き合っていけるのか、また劣等感を感じなくするにはどうすれば良いのか、という事は明日の記事でお話していこうと思いますので、ぜひぜひ良ければみなさんご覧ください。
それでは、本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
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